リオノーラの過去 知識の空白・無垢すぎるリオノーラ
大慌てのビオラに手を引かれ、兄様の執務室へ駆け込んだ。
隣国へ行く準備を着々と進めているソーラス兄様。
貴重な時間を奪うのはどうかと思うとためらう私の意見を聞き入れることなく、ビオラは私を兄様の執務机の横の椅子にしっかりと座らせ、それから主へ恭しく礼をして、その耳に重大案件だとばかりに囁いた。
ビオラの言葉を聞いたソーラス兄様の表情が固まり、ゆっくりと私へ向いて、それから青ざめた。
ビオラの小声が聞こえていたらしい、家令長ゼリゼの顔も蒼白になった。
「……リオノーラ、いくつか質問してもいいか?」
「はい」
「子どもはどうやったらできるか知っているか?」
ビオラとゼリゼが、思っていたよりも直球の質問だな、と驚いたけれど顔には出さなかった。だから、私はその変化には気づかなかった。
「えっと、男女が恋人になるか、結婚すれば、そのうちに、です」
言い切った私に、ソーラス兄様の眉間にしわが寄った。
「間違っていない…、間違ってはいないが……」
ボソボソと呟く、不満そうな声。
「子どもはどうやって生まれてくるか知っているか?」
その質問に素直に答える。
「はい。女性が十月十日、腹の中で育てます。十月よりも早く生まれてくることもありますが、それは母体にかかっていた悪影響なんかのせいで、早く生まれてしまう子にはそれなりの生命の危機が降りかかりますので、できるだけ十月は持たせるほうが良いと」
「ふむ、それは医学書や薬学書からの観点の話だな? 同じような文言の医学書を読んだことがある」
「そうです!! 兄様も同じ医学書を読んでいたのですか?」
「ああ、きっと同じ著者のものだろう。……そのあたりの知識はあるのか。本の話は後にしよう」
同じ本を読んでいたことが知れて嬉しくなってしまった私と、なぜかひどく肩を落としたソーラス兄様。
片手で顔を覆ってうなだれ、考え込んでいる。
「ミオシス母様が亡くなったのが、リオノーラがおおよそ十二のとき……。そこから森で独り、知識は本から…。リオノーラに売る本を仕入れていたのは、村の雑貨屋の女性だったか……」
子供の頃から知っている魔女の娘に、男女の閨事が書かれた好色本など好んで渡すわけもない。
基本的には人里離れ、森の中で孤独な生活。他人と関わるのは最低限。
生活することに対してや、母から教えられた薬の知識にも通じる医学関連の本も好んだだろうが、それでは決定的に足りない、男女の営みに対しての、生物学的なことではなく、純粋な行動に対しての知識。
それがリオノーラにはまるまる欠如している。
彼女が読んだことがあるだろう恋物語の本にさえ、表現されるのは接吻までだろう。なにせ、万人の目に触れる物語だから。
そうなれば、子どもができることは知っていても、やり方までは……。
国王陛下にさえ一目を置かれた、エルトフォード公爵領に生きる者、仕える者、誰もが誇る当主、ソーラス・エルトフォードの端正な面に、困惑と戸惑いと凄まじい動揺が浮かんで、思わずほとんど生来の友とも言える家令長ゼリゼに助けを求めるような眼差しを向けた。
「私が、教えるべきなのか……?」
明らかに混乱した主の言葉に、その場にいた忠臣たちは必死で首を振った。
「ソーラス様がリオノーラ様にお教えするとしても、座学で!! 座学でです!!」
「そ、そうだな、うん。それならば…、……それならば?」
全くもって性に無知な妙齢の妹に、男女の営みについて座学を開く兄。
それもなかなかに頭の痛い光景である。
ソーラス兄様は両手で顔を覆った。
「ゼリゼ、筆頭メイド長とビオラと協力して、既婚者のメイドから有志を募り、リオノーラに勉強の時間を」
「ただちに」
「ビオラ、私に報告は必要ないが…、……ある程度リオノーラが理解できたと判断したそのときにだけ、報告を」
「かしこまりました」
「急ぎ…、急ぐことではないのだが、……やはり早急に。私が隣国へ行くまでに目処を立ててくれ。月末には、出立の労いとして王太子殿下の茶席に招かれている。リオノーラも共にだ。その用意で忙しくもなるだろうが、よろしく頼む」
月末まであと半月強ある。
ソーラス兄様に深く頭を下げて応え、ゼリゼは大慌てで執務室を出て筆頭メイド長に協力を仰ぎに向かい、ビオラは笑顔で私の身を拘束した。
「ビオラ?」
「では参りましょう、リオノーラ様」
「は、はい」
ソーラス兄様が早急に勉強、と言ったのだから、私はそれに逃げずに従うつもりだけど?
その座学の内容がどんなものになるのか、もちろんそのときは知る由もなかったけれど。
リオノーラ
ソーラス
ビオラ
ゼリゼ




