諦めの結婚式、からの、
正午の鐘と同時に、城敷地内の教会の鐘が鳴る。
指定されていた時間の、まさしくその時。
城から俺の出迎えに来てくれた執事やメイドたち、守備の兵たちまでが大慌てだったけれど、さすがに身なりどうこうというより、相手不在の式のほうがずっとずっと辛いんじゃないかと、そのままの勢いで教会に乗り込んだ。
純白のウエディングドレスに身を包んだ女性が立っている。
無遠慮にその横に並んだ。
身内からは、なんて格好だ、と目で訴えられ、神父様は絶句だ。
ちらりと花嫁を見てみる。
頭からすっぽりと純白のヴェールを被っていて、髪色さえ見えない。もちろん、その表情も。
だから告げた。
話し合う時間なんてなかったんだから仕方ないだろう?
「俺には好いた女がいる。だからあんたのことは愛さない」
彼女が、俺の噂を知っているのか、はたまたフォーレスタにどういうふうに聞いたか知らないが、隠し立てはするつもりがないから、告げた。
「跡継ぎには養子の息子がいるから、子供も必要ない。この結婚は国政のための王命だ。それはお互い理解しているだろう? あんたにひどいことをする気も、誇りや立場を蔑ろにしようなんて思ってもいない。あんたの身の安全も生活も保証する。領地の財政を傾けたりしないのであれば、女主人として好きにやってくれ。俺は知ってのとおり、防衛に出てるほうが多いんでな」
ああ、そうだ、特に今までと何も変わらないんだ。
名ばかりの妻を娶ろうと。
「世に言う『白い結婚』ってやつだ。嫌ならすぐに公爵領へ帰ってくれ。別に責めはしない。王にはどうしてもだめだったって俺から言ってやる」
そうでないなら、『白い結婚』として過ごして、エルトフォード公爵が帰ってきたら離婚して公爵令嬢を安全に実家へ帰す。
それまでお互い、悪くない、ってだけの関係が築ければ十分だろう。
まぁ、俺は城にとどまることが少ないからそんな交流や関係を築くとかもないかもしれないけど。
「委細承知いたしました。民の血税を宝石に変える趣味は持ち合わせておりません」
凛とした声だった。ほんの少し、ヴェールのせいだろう、くぐもった音で聞こえた。
「はっ、そりゃいい」
フォーレスタが言っていたように、それなりの常識を持ってくれている令嬢なのだろう。
貴族としての体裁のために身を飾る物は必要だ。
それを贈るのは夫や身内の男の仕事だってことくらいは俺も理解しているので、明日にでもこの領らしい宝石やドレスなど、この公爵令嬢に似合うものを手配をしなければ。
俺が結婚した、ってことが、彼女の耳に入らないことだけは祈る。
……いや、俺の本当の正体に、彼女は気づいていないまま、会えなくなったんだっけ。
神父様のありがたい説話に眠気が誘われる。
申し訳ないが式が終わったら仮眠を取らせてもらって、それから話し合いの場を改めて設けて、色々手筈整えて、ダンジョンのほうの報告が来るから目を通して、あの王家の見届け人拘束しといてフォーレスタに小言の一つでも書き足して、軍備の確認と三方砦、小城の報告と、魔物の奇妙な動きの原因と究明と、せっかく城に戻って来てるんだから財政と税収と、各地域の人口比率による魔物の出現情報とダンジョンの収益と強さの把握と……。
「では、誓いの口づけを」
神父様の声にハッとなった。
ヤバい、今確実に意識が危うかった。
口づけ?
……口づけ?
あ、そうか、これだけは避けられないか、結婚式だもんな。
少ないとはいえ、観客はいる。
令嬢が冷待遇を受けたと思われないよう、最低限恥じないようにだけはしてやる必要がある。
真っ白なヴェールに手を伸ばして、せめて手くらいはしっかり洗うべきだったと今更後悔した。
そっとめくり上げたヴェールに、俺の手の血汚れほこり汚れが色濃く残る。
なんて申し訳ないことをしてしまったんだ、と白に伸びゆく汚れを目で追っていた。
だから、彼女の顔を見るのがほんの数瞬、遅れた。
「あなたの目は隻眼ではなかったのですね。……良かった。一つでも、あなたが怪我を負っていなかったことが知れて、……良かった」
小さかったけれど、確かな言葉が耳に届いた。
俺が隻眼?
なんのことだ?
……、……どうして、隻眼のフリをしていた俺を知っている?
……嘘だ。
優しく微笑んでくれる、花がほころぶような唇の形を覚えている。
…嘘だ。
夜明け前の夜空のような深く複雑な色味の黒い瞳を知っている。
嘘だ。
満月の夜空のような艶やかな黒髪を、知っている。
「……そんな…」
焦がれて、焦がれて、探し続けた、唯一人。
愛したいと望んだ、俺の魔女、リオ。
なぜ、彼女がエルトフォード公爵令嬢?
エルトフォード公爵は青みがかった銀髪と月明かりの夜空のような浅い青の瞳。
この兄妹に、血統に共通する色味など何一つない。
フォーレスタは兄妹の顔立ちが似ていると言ったが、あいつの目は節穴だと証明された。
結婚式用に化粧をした彼女は、以前よりもずっとずっと大人の女性らしく、女神のごとく美しくて。
……俺は、彼女に、……何を言った?
「伯、口づけを」
こっそりと神父様が急かしてくる声に、我に返る。
式はまだ続いている。
そうだ、口づけを。
そっと唇を寄せると、ゆるりと閉じられていくまぶた。
ほんの微かに、唇が触れ合う。
甘く、柔らかな、夢にまで見た彼女の唇の感触。
俺の身に染み付いたような血や土の匂いの中に、微かに感じる、風の中の甘い花のような彼女の匂い。
夢か。
そうか、俺は夢を見ているに違いない。
だから、離れることができた。
距離を取って、ちゃんと彼女の姿を見ようと思って。
開かれていくまぶた。
彼女の瞳に、俺が映るのを確かに感じた。
「ここに二人を夫婦とする」
どこか遠慮がちな神父様の声がやけに現実的で、すぐにこれが夢じゃないことを理解した。
静まり返ったままの教会内。
祝いの拍手さえ、皆忘れている。
ふっと、彼女の目が俺から逸れた。
まるで興味がないものを振り切るように。何の感情も抱いていないかのように。
ブツリ、と頭の中で理性の糸というやつが切れた音を確かに聞いた。
もしかしたら、堪忍袋の緒というやつだったかもしれない。
「ひゃあっ?!」
無理やり抱き上げた。
頭の上で可愛らしい悲鳴があがった。
抱き上げたことで、ウエディングドレスの白に、俺の見慣れた汚れが広がるけれど気にしてやれない。
彼女の髪を、顔を、また覆い隠してしまいそうなヴェールに苛立ちを感じて、むしり取って投げ捨てた。
そして、歩き出す。
夢であっても、現実でももうどっちでもいい。
ただ、今彼女を離したら、また何も言わずに消え去ってしまうんだろう、という恐怖と苛立ちだけが胸の中を、頭の中を占拠していた。
誰も俺を止めない。
止められるわけがない。
この城で、この領で、主は俺だ。
怒りに据わった目をして、抑えきれない怒りの闘気を垂れ流して、大事にしなければいけない花嫁を乱暴に抱えて自室へ向かう俺に、声をかけようと思う死にたがりは一人もいない。
ゆうに数ヶ月ぶりの自室はそれでも綺麗に整えられていて、自分にはあまり馴染めない豪奢なベッドに彼女を投げ下ろす。
何が起こっているのかわけが分からない、と言わんばかりの表情さえ、ずっと眺めていたいと思うほど可愛らしくて、美しくて、焦がれた彼女の姿だった。
だけど。
「あの? なに…? 辺境伯様?」
彼女が俺を、そう呼んだ。
辺境伯だと、俺を認識しているんだ。
彼女の中に、……冒険者ステラはもういない?
悲しみと寂しさと、どうしようもない怒りで、目の前の色が変わった気さえした。
もう、どうでもいい。
とりあえず決まっていることは、俺は彼女を逃がす気はもう二度とないということだ。
恋焦がれ、求め続けた彼女を、押し倒し、抱きしめた。
「んーーーーっ!!」
かじりつくように塞いだ唇の向こうで、彼女が呻いて叫ぶ。
絶対に、逃がすものか。
至近距離で交えた視線。
驚きと戸惑いとで濡れた瞳が、それでも美しいと見惚れた。
アステライト・ウォルフィンリード
リオノーラ・エルトフォード
参列者の皆々




