リオノーラの過去 父と母の理由
リオノーラ視点
シフィアフラ視点
ソーラス兄様から、父のそばで過ごすことを願われた。だから、日中のほとんどは、ベッドの上で養生しているシフィアフラ父様のそばで過ごすことを決めた。
先日、兄様と話したあと、ふと見た彼の机にあった書類の一つ、今月の使用人たちの給金をまとめた書ものが見えた。
ほんの些細な計算間違いで支払われるべき給金の額が間違っていたから、それではこの者が可哀想だなと指摘した。
驚かれた。
「リオノーラ、この書類の意味がわかるのか?」
「え、はい。使用人に支払われるべき給金ですよね? 月に働いた日数計算により…」
「ではこちらは?」
違う内容の書類を机の上に滑らせて見せてくる。
「……厨房の在庫です。あと、日に掛かっている支出と、臨時支出と、月の予算」
「これは?」
また次の書類。
「薬草の仕入れ値ですか? んん…? この薬草、買うとこんなに高いのですか? 育てられるのに…?」
「もう一枚、こちらは?」
今度は込み入った数字だ。
じっと覗き込んで考える。
「エルトフォード家の騎士団の衛生兵養成。かかった薬代と治療費と消耗品。……消耗品の在庫管理はどうなされてますか?」
思わず尋ね返すと、ソーラス兄様は不思議な乾いた笑みを浮かべた。
魅惑の美青年っぷりが吹っ飛びそうな、なんだか面白い笑顔で。
「ミオシス母様は一体、お前にどんな教育をしたんだ…?」
兄様の言葉の意味が分からなくて、首を傾げるしかない。
とりあえず、私は父様のそばにいる間、兄様に渡されたエルトフォード公爵家の内政に関わる簡単な事務仕事に携わることになった。
子供の頃から母様に教えられていた計算や集計や、天気の読み方、薬の在庫管理方法も何もかも、公爵家でもやっている内政の管理のやり方の一端を担っていた。
ただ、規模が自分一人分、から、数百人以上分を管理するものに変わっただけ。
桁が違う、と最初はびっくりしたが、やってみればできるもので、分からないことが出たら、私のことを目を細めて見ている父様に聞けばゆっくりと丁寧な指導で教えてくれた。
願われたとおり、私は毎日父様のそばで過ごした。
もともとほとんどの気力を失っていたことから、食欲も元気もなかったシフィアフラ父様と、ソーラス兄様とで、父の寝室で食事を取る。
ソーラス兄様を入れて三人きちんと揃っては朝だけが多いけれど、昼食、お茶の時間、夕食と忘れずに。
食前の薬酒を少し飲ませ、食欲がない父に甘えたフリをして一口、手ずから消化の良い食事を食べさせる。
量は多くない。でも、気持ち多めに。
一つ前の食事の時よりも少しだけ多く。
医師と薬師と相談して、日々の薬を見直す手伝いもした。
直接薬を調合するほどまでには関わらせてはもらえなかったが、ソーラス兄様の威光もあって、意見は通してもらえた。
そうやって三日が経つころには、父の顔色は少し良くなったように思えた。
だから、四日目の朝、ゆるりとした朝食を終えたあと、シフィアフラ父様はゆっくりと話し始めた。
ミオシスは、境界の森の奥にある山脈を越えた先にある隣国の第三王女だった。
当時混乱を極めていた隣国から、そう大事にされていなかった訳アリの第三王女は、己の侍女一人を伴って安全に山脈を越えて、このアスラン国エルトフォード公爵領までやってきた。
そう出来たことでもう、彼女が「力ある魔女」だということは証明されたようなものだった。
紆余曲折、色々な波乱もあったが、ミオシスとシフィアフラは身分の差や国を挟んだ問題などはなく、無事結婚した。
ミオシスが十八、シフィアフラが二十三の時だった。
ミオシスが「力ある魔女」であることは隠されていた。
隣国で第三王女だというのに大事にされなかった理由がまさしくそのためであったから、彼女自身が秘匿することを願った。
知っていたのは、シフィアフラとその従兄弟である国王陛下。かなり親しい使用人。そして、連れてきた侍女のビオラだけだった。
エルトフォード公爵領を覆った魔女の魔物忌避の効果。
こっそりと上がった、エルトフォード公爵領内の薬の質。
そんなものよりも、若き公爵夫妻が子供を授かったことに、エルトフォード領はずっと穏やかな幸せに包まれていた。
二人の間にソーラスが生まれたのは、ミオシスが二十、シフィアフラが二十五の時だった。
その四年後、国王を狙った暗殺未遂が起こり、ソーラスは王のかわりに毒を食らった。
ミオシスはその力をもって、命を賭す覚悟でソーラスを救った。
毒を食らった幼子をその場で癒やすなど、「力ある魔女」でもどれほどの者が出来うることだったのだろうか?
代償は大きかった。
ミオシスは日のほとんどを寝込み、ベッドの上で過ごす日々。
エルトフォード公爵夫人は、社交界に一切現れなくなった。彼女がエルトフォード公爵夫人として社交界に出たのはソーラスを身籠る前のたった一年とちょっとだけ。
美貌の公爵夫人は、知る人ぞ知る、と社交界でひっそりと語られる噂となった。
二人の仲は変わらず、睦まじかった。
いや、多少、シフィアフラがミオシスとソーラスに向ける愛情は過保護でもあった。
シフィアフラはその穏やかで優しい面にすべてを隠して、身の内で滾るような怒りに燃えていた。
従兄弟である国王が暗殺されかかったこと。
その毒を息子が食らったこと。
息子を助けるために妻が身を、命を削るような代償を払ったこと。
宰相になったばかりの若造と呼ばれていたが、彼が宰相であった十数年の在籍期間ほど、アスラン国が強く、そして潤いに満ちていたときはなかったと国史に書かれるくらいには、彼の怒りは国政へと向き、それがゆくゆく家族を守ることに繋がっていた。
そんなシフィアフラが長く国王と話し合っていた政策があった。
魔女を守るための政策だった。
広く「魔女」と呼ばれているが、別の国では「聖女」とも呼ばれる存在。
その扱いは、忌避と侮蔑から、国を挙げて崇め奉られるものまで、あまりにも差があった。
ミオシスの生まれ故郷である国が顕著だった。
魔女としてその力を国のために使わせておきながら、侮蔑と蔑みが絶えない。
そんな国の王家に魔女の力を持って生まれたミオシスが受けていた扱いを思えば、シフィアフラは黙っていられなかった。
今はもう王家は解体され、共和制へと移行したミオシスの故郷である隣国に根付いた魔女への偏見は根深くあったが、魔女忌避の扇動をしていた、諸悪の根源であった王家が消えたことで、これから先、魔女への忌避が消えていくだろうと見込まれていた。
アスラン国には魔女への忌避も偏見も少ない。
だが、ないわけではなかった。
「力ある魔女」も「力ない魔女」も保護し、国が守るべきだとシフィアフラは考えていた。
国王もそれには、おおよそ賛成の意向を示していた。
自分のかわりに毒を食らった従甥を助けた、信用する従兄弟の妻である魔女の力の凄まじさをなまじ目の当たりにしたからでもあった。
だが、それにひどく反対したのは、ミオシス本人だった。
「お願いです。私たち魔女にとって、この国の魔女に対する在り方は天国みたいなものです。『力ある魔女』でも、『力ない魔女』でも、なんでもない、ただの人として生かせてくれる。そういさせてください」
縋りつく、必死の訴え。
妻の手を強く握り、夫は答える。
「だが、ミオ。悪意ある者が君たちの力を何時何時悪用しようと狙ってくるかは分からない。そんなこと許せるものか」
「それでも、それでも!!」
己が身に不幸が降りかかる。それはどんな人にも起こりうること。
それに抗う自由も、戦う自由すら、この国なら魔女にはある。
国に守られ、庇護を受けるようになれば、そんな自由は消え失せるだろう。
魔女であっても、ただの人として生かせてほしい。
願いはただそれだけ。
魔女という稀有な存在。守らせてほしい。危険な目に遭わず、生きてほしい。
愛しさからそう願っただけ。
二人の意見は平行線を辿り続けた。
それは、国王暗殺未遂から約十年が経って、ミオシスの体調が回復し、彼女の腹に第二子が宿ったときにもまだ続いていた。
むしろ、激化していたと言ってもいいほどだった。
リオノーラ
ソーラス
シフィアフラ
記憶の中のミオシス




