リオノーラの過去 エルトフォード公爵令嬢 2
朝食のあと、ソーラスの執務室へ招かれた。
室内にいるのは、ソーラスと私、家令長のゼリゼ。ソーラスよりも少し歳上で、この大きな公爵家を取り仕切る家令長としてはまだ若く思えた。
彼が幼い頃から従僕、執事、副家令などを経験し、ソーラスが公爵の座に就いたあと、前家令長から全権を譲り渡されて、最近家令長になったばかりだという。
そして、リエルとビオラ。
執務室の壁際で待機し、私はソーラスの執務机の側に出された椅子に座った。
「母上の話は父上に聞くのが一番だ。だが、私から、先に少しだけ」
整頓はされていたが多くの書類が積まれた公爵の執務机に向かっていたソーラスは、大きく椅子を引いて、身体ごと私に向き直った。
「母上がお前を連れてここを去られたのは、私が十五になる歳だった」
そうなると、今のソーラスの年齢は。
すぐに思考を巡らせた私の考えを読んだように、彼は微笑んだ。
「私は、両親が結婚して比較的すぐにできた子だったからね。リオノーラとは歳がだいぶ離れた。その理由は、……幼い頃、私が死にかけたせいにある」
私は息を呑んだ。
後ろに控えている、この家に長く仕える者たちは静かなものだ。
だからこそ私も黙って、ソーラスの言葉が続くのを待った。
「まだ王太子殿下もお生まれになっていないころ、私と両親は父の従兄弟である国王陛下の茶席へ呼ばれた。幼子は私一人。陛下にも可愛がっていただいて、私は陛下の手ずから、用意された菓子を食べた。そこに、毒が入っていた」
嫌な予感はすぐに肯定されてしまった。
だが、ソーラスは生きていて、国王陛下も無事。
となれば。
「明確な世継ぎがいないうちにと国王陛下の暗殺を目論んだ者たちは根こそぎ捕らえられ、それ相応の罰をちゃんと受けた。私は、父と国王陛下、身内の数少ない者たちにのみにしか『力ある魔女』だということを知らせていなかったミオシス母様の、……命を削るような力で無事生き延びた」
目を伏せるソーラスの瞳の色が、母の瞳の色を思い出させる。
『若いとき無茶をして、生かしたい人を生かしたから』
母が亡くなる前に、そう教えてくれた言葉。
境界の森の家にかけられた人避けのまじないが、ソーラスが怪我を負い、血を流したことに凄まじい反応を見せたその意味。
母が生かしたいと願った人は、兄ソーラスだったのか。
深い納得に、息を吐いた。
「そのせいで起こったことが、母上がここを去る原因となった。詳しくは父上に聞いてくれ。……私を助けるため、あまりにも大きな力を使った母上は著しく身体が弱くなられた。常日頃から伏せるほどに。回復するにはそれこそ十年以上かかった。そして、ようやく体調が戻り、お前を授かった」
それが、ソーラスと私の年齢差の理由。
「そのころ父上は宰相の地位にいて、ほとんど王城に詰めるような生活だった。国王暗殺の企てと私が毒を食らった事件から、長く、ずっと二人の間で抱えておられた問題が解決されることはなく、この城でお前が生まれた」
ソーラスが手を伸ばしてくるから、静かにその手の上に指先を乗せる。
「お前が生まれた時間に立ち会ったのは、わずかばかりのメイド、医者、助産婦。お前の顔を見たのは、リエルとビオラ、ゼリゼの叔父の前家令長。母から直接、お前の、リオノーラという名を聞いたのは、私だけ」
優しく握られる手。
「父上を頼むと告げられて、母はお前を産んだ翌日、……城中全員に眠り薬を盛って、どこへ向かったかという痕跡の欠片も残さずに姿を眩ませた」
まさかの眠り薬。
「母様の眠り薬を凌げる者はいませんね……」
こっくりと、ソーラスだけでなく、壁際に控える三人も深くうなずいた。
「数日後、知らせを受けて急遽王城から帰ってきた父上が直ぐに捜索を手配されたが、『力ある魔女』に敵うわけがない。……あとは、魔女の魔物忌避が領内から消えないことから判断して、母上とお前を探し続ける後悔の日々だ」
手を握ったまま、ソーラスは真っ直ぐに私を見た。
「リオノーラの手を握ったよ。小さくて小さくて、抱かせてもらったとき、軽くて、柔らかくて温かくて、驚くしかできなかった。……もっと、上手く抱っこしてやれるようにならなければと思っていたのに、……目が覚めたら」
母も妹も、もういなかった。
兄として守ってやらなければと思った妹は、忙しい父の代わりに守らなければと思った母と共に、すべてを捨てて、去っていた。
「私が、あまりにも、頼りなかったんだろうな……。ミオシス母様に守られるばかりで、生まれたばかりのお前も、母様のこれからも、守るほどの力はないと、母様は、判断、されたのだ。……すまない、……情けない兄で、すまない……」
頭を垂れてうつむいた床に、ぽたりと雫が落ちた。
ソーラスは顔を上げず、私の手を握り続けていた。
「坊ちゃまは情けなくなどありません!!」
「そうです!! 今も立派に公爵位をお継ぎになっておられます!!」
「今日この日に至るまで、どれだけの努力と研鑽を積まれたか!!」
黙って聞いていられずに、涙を滲ませた三人が壁際から叫んだ。
私もソーラスも、驚いて彼らへ振り向く。
「リオノーラ様、どうぞソーラス様をお責めになられず」
「お嬢様、坊ちゃま方は奥様とお嬢様のことをどれだけ思っておられたか」
「お願いです、お嬢様、ご当主様と前当主様をお見捨てになられませんように」
必死の訴えだった。
彼らの言葉を聞くだけで、ソーラスもシフィアフラも、使用人たちにどれだけ慕われているか、よく分かった。
彼らになんて答えてあげることが正解なのかは分からない。
責めるとか、見捨てるとか、そんなこと、私にできることでもない。
ただなんとなく、みんな、泣き虫なんだなぁと思った。
母以外の人を親身に知らなかった。
ようやくして知ったステラも、突然兄だと現れたソーラスも、父というシフィアフラも。
私の家族に仕えるという、エルトフォード公爵家の使用人たちも。
でもそれはきっと、みんな優しいから。
どうしていいか分からず困って、笑って、ソーラスに話しかけた。
「もう、抱っこをねだる歳ではとうになくなりました、兄様」
ソーラスは頬の涙をぐいと拭って顔を上げた。
「……ああ、そうだな」
「一方的に守られるばかりの令嬢に育ったつもりもありません」
「ミオシス母様の、育て方なら、そうなるだろうな」
皮肉なのか、素直な意見だったのか、笑ったソーラスの目からまた隠しようもなく涙が落ちた。
「兄様を支えられる程度ではありたいと思っています。私にできることはありますか?」
尋ねると、ソーラスはほんの少しだけ考えて、やっぱり微笑んで。
「抱っこを、させてくれ」
そんなことを願った。
面食らったあと、恥ずかしさを残したままうなずくと、ソーラスは嬉々として私を抱き上げた。
「軽いぞ、リオノーラ?」
「十分な重さだと思います!!」
「いや、お前の歳の令嬢ならもう少し肉付きが……。ゼリゼ、これから毎日リオノーラの食事に必ず甘味をつけろ」
ソーラスは軽々と私を抱いたまま、壁際のゼリゼへと向く。
「かしこまりました」
「かしこまっちゃ駄目!!」
家令長に吠えてから、私を抱き上げて嬉しそうなソーラスに、真面目に怒る。
「食べ物を与えて甘やかすなんて駄目です、兄様」
「ははっ、今までできなかった分、甘くいさせてくれ、リオノーラ」
「駄目です!!」
ソーラス兄様を睨みつけ、そして、笑い合った。
リオノーラ
ソーラス
ゼリゼ
リエル
ビオラ




