リオノーラの過去 エルトフォード公爵令嬢 1
私の日々は変わった。
私の日常は変わった。
私は森に住む魔女の娘、薬師になりたいと思うただのリオではなくなり、アスラン国にある四つの公爵家、その最重要地位にあるエルトフォード公爵家の公爵令嬢となった。
それがどこまで強大な権力を持った立場なのかと説明するならば、今の国の状態の説明になるだろう。
現アスラン国王には一人の跡継ぎ、王太子フォーレスタ・アスランがいる。
ただし、家格が釣り合い、なおかつ王太子の好みとも合う令嬢がいないため、今年で二十五になるフォーレスタ殿下にまだ正妃はおらず、側妃もいない。もちろん子供もいない。
万が一今、王家に不幸があれば、四つの公爵家から王を立てることとなる。
血の濃さから言えば、王の年の離れた姉が降嫁した公爵家の若き現当主が最有力候補となるが、彼は気が優しく、王の器ではないと公の場でしっかりと発言している。
そして次に血が濃いのが、エルトフォード家となる。
シフィアフラが、現国王の従兄弟にあたる。
現行、病床に伏しているシフィアフラに代わり、その息子であるソーラスに王位継承権第三位があり、突然現れた妹の私に王位継承権第四位というとんでもない順位がついた。
その説明を受けたとき、ただひたすらに王太子フォーレスタ殿下に早くいい相手が見つかり、無事御子がお産まれになることを願いに願った。
一つずつ、起こったことを話していこうか。
まずはなぜ、母ミオシスが私を連れて公爵家を出ることになったのかを聞くのが一番だと思ったのだが、それについて語ってくれるはずのシフィアフラが、私との再会であまりにも、血圧が上がったというか、興奮しすぎたというか、冷静さを欠いたというか。
とりあえず、医師から落ち着きを取り戻すまで少し待ったほうがいいと言われた。
私もそれには賛成した。
病に衰弱した身体を押して私を離すまいとしたシフィアフラの行動に、皆が静止をかけた。
「父上、それではリオノーラが一歩も動けません」
「ぬ……」
シフィアフラが喀血した血を側仕えの執事が綺麗に拭っている間も、その後も、彼は私の手を離そうとしなかった。
私でも振り払うことなど簡単にできそうな、そんな弱々しいしわがれた手だったが、病人の手を振り払うことができずに困っていた私を見かねて、ソーラスは横から父親に苦言を呈した。
シフィアフラの容態を診にきた医者も、側仕えの執事も黙ったまま苦笑いしている。
「リオノーラ、お前からも父上に何か言うといい」
何か、って一体どんなことを?
手を離せとか?
病人は大人しく寝なさいとか?
困って、ソーラスの顔と、シフィアフラの顔を交互に見る。
二人とも、私が何を言っても受け入れるだけの度量があって、心づもりがあって、穏やかさをたたえて待っていた。
とりあえず、これ以上大興奮しないようにシフィアフラが大人しく寝るのが一番いいだろう。
でも今は朝だ。
寝る、寝るために、寝…、寝酒?
残り二本の母様の果実酒、薬酒は持ってきた。
身体にもいいし、衰弱したシフィアフラでも飲めるだろう。
「あの、母様の薬酒を家から持ってまいりました。お飲みになられますか? ……父様」
しばらく沈黙があった。
シフィアフラの黒い瞳が驚きに見開かれた状態で止まって、そして、……どばっと涙が溢れたので飛び上がって驚いた。
「こんな私を、父と、呼んでくれるのか」
シフィアフラが泣きながら、精一杯の力で私の手を握る。
「それ以外に何と呼べば? 前公爵様と?」
「いや、いや!! そのままで、父と、呼んでくれ……、リオ」
泣きながら、父様は嬉しそうに笑った。
私の本当の名前を知りながら、「リオ」という愛称で呼んでくれる。そんな人を再び得たのだと、少し胸の内が熱くなった。
薬酒は医者と側付きの執事、家令長が検分して、父の口に入ったようだった。
私とソーラスはその時にはもう父の寝室から出て、次の場所へと向かっていた。
連れて行かれたのは、女性用の家具で整えられた美しい部屋だった。
煌びやかで、世に言う貴族のお姫様が好みそうな、可愛らしく美しい装飾の見事な部屋だった。
『目がチカチカする……』
そう思って目を瞬かせていると、ソーラスが申し訳なさそうに口を開いた。
「母様は華美なものは好まれない傾向だったと父上がよくおっしゃっていたが、私たちはお前の好みは知らないからな。……だからその、なんだ、こう、私も父上も外交に出て、地方で美しいものを見ると、……つい」
ちなみに、私のための、家具小物、年齢に合わせたドレス衣服、アクセサリー類、帽子、靴、下着にいたるまで。化粧品類、香油や香水、ありとあらゆるものが、この部屋以外にも集められ、日々手入れされて保管されていた。
ちなみに、馬とか、馬車とか、はたまた女性用の武器とか冒険道具とかもあるらしい。
見なかったふりをした。(何ヶ月もかけて売り払うなりして無駄なく公爵家の経営費に回した。)
そして、ソーラスは私の部屋で待っていた二人の使用人を紹介してくれた。
一人はこの公爵家の筆頭メイド長。リエルと名乗った。
もう一人は副メイド長。彼女はビオラと名乗った。
「リエルは父上が若い頃から公爵家に勤めている。ビオラは、母様が公爵家に嫁いでくる前からの侍女でもあった。リオノーラ、ビオラはお前の侍女にあてがう」
「侍女…って、……自分のことは自分でしますが…?」
平民には平民としての常識。
そして、貴族としては貴族の常識。
ソーラスもリエルもビオラも、私を蔑みも憐れみもしなかったけれど、どこかやはり、といったような、すでに分かっていたという納得を見せた。
「リオノーラにはリオノーラの、今まで培ってきた常識があるのは重々分かっている。だが…、……、……諦めてくれ」
ソーラスは私の両肩を優しく両手で押さえて力強くそう言うと、優雅な身のこなしでそそくさと身をひるがえした。
「何を諦め?!」
「リオノーラを頼んだ。身支度ができたら朝食にしよう。待っているからな」
私の質問に答えることなく、ソーラスはにこやかに二人の頼れるメイドに私を任せた。
バタンと部屋の扉が閉まり、私は二人のメイドに両脇からガシリと力強く腕を掴まれた。
「ひえ?!」
左右を交互に見てみると、リエルも、ビオラも、泣き出しそうな喜びの笑顔。
「詳しくは坊ちゃま…、公爵様とのお話のあと、使用人たちとのお時間をいただけるとうかがっております」
リエルが目に滲んだ涙を拭う。
「私どもは誠心誠意、お嬢様にお仕えいたします」
ビオラも胸を押さえて、意気揚々と私に身を寄せた。
「そ、れは、…あり、がとう、ございます?」
なんて答えていいか分からず、とりあえず礼を言う。
そして。
「え、あ? どこへ? ちょ…っ!!」
ズルズル引きずられて、彼女たちが向かうのはこの部屋の続きの部屋。
開け放たれたドアの向こうはかなり立派なドレッシングルームと、そのまたさらに向こうに続いている水場、立派な浴室。
何をされるのか、一瞬にして把握した。
「待って待って待って!! いーーやーーっ!!!!」
その道数十年のベテランのメイドの手によって、私は羞恥を訴える間も、術もなく、頭から爪先までピカピカになるまで洗われ、磨き上げられてしまった。
もともと、身を清潔にしていなかったわけじゃない。
なのに、肌はピッカピカ。
髪はツヤツヤ。
爪もキラキラ。
「コルセットで絞らなくても何この腰!! 若さかしら?!」
「ミオシス様も素敵な細腰でしたわ!! でも」
二人のメイドの視線がちらりと私の胸元に落ちる。
「母様のほうが胸が大きかったって言いたい?!」
「いえいえ、そんな」
「ほほほ、リオノーラ様はこれからです。これから」
隅々まで肌をさらし、下着まで人の手で着せられ、コルセットをつけられ、ドレスを着せられる。
手際のいい二人の口から出てくる母の話。
興味深くて怒るに怒りきれない。
「そのあたりは将来旦那様になられる方にお任せすればよいのです」
「そうそう、今は若さを十二分に生かした、節度ある楽しみ方を」
「何を楽しめというのですか!!」
にやにやと余裕を持った大人の女性の楽しげな笑顔。
多くの人の人生を支え、見てきた者の遊び心のある達観。
人生経験も少なく、世間知らず丸出しの私など、彼女たちから見ればただの子供、まだまだ少女でしかないだろう。
すっかり手玉に取られ、反論も意味をなさない。
不貞腐れてももっと意味はなく、二人は穏やかににこやかに、私の身なりを整えることを終えた。
大きな姿見を用意され、そこに映し出される自分の姿は、立派に貴族のご令嬢だった。
これが自分か? と自分で疑うほどに。
美しく結われた黒髪と黒い瞳をよく際立たせる新緑のドレスは、ささやかなれどちゃんとある胸の形も美しく見せ、女性らしい体形を見惚れるほどに滑らかな稜線で描く。
布地の多い衣服全体の中で、わずかにだけ見える磨かれた肌はそれだけで艶やかでみずみずしいことが分かる。
目を奪われる、という現象だろうか。
「ミオシス様にも負けぬ美貌をお持ちで……」
「いいえ!! シフィアフラ坊ちゃまの幼い頃にそっくりよ?!」
なぜか突然、私の後ろで意見の割れたリエルとビオラが口論を始めた。
私はそんな二人の口から出る父と母の姿をこっそり聞きながら、自分の姿に戸惑いと、ある不安を強く抱いたのだった。
身支度が整ったので、口論をまだ続けたかった様子だったビオラが先触れとして兄ソーラスに知らせに行き、リエルに案内されて、朝食の間へ向かった。
大きなテーブル。
煌びやかな食器がすでに並べられている。
壁際には従僕が控えており、執事が私のために椅子を引いた。
素直にそこに座る。
それとほとんど同時にソーラスがやってきて、私の姿を見て目を輝かせ、そして微笑んだ。
「まずは食事にしよう。話はそれから」
「はい」
ソーラスが席に着いたことで、遅い朝食を取り始めた。
食事が終わった。
終わったからこそ、ソーラスだけじゃなく、周りにいたリエルやビオラ、執事や従僕たちまで黙ったまま驚いていた。
不思議がられていることへの不思議さについ眉を寄せると、ソーラスがそれに気づいて、問いかけてきた。
「リオノーラ、食事や所作の作法は誰に教わったのだい?」
「作法、ですか? 特に母様から言われた程度のことしか存じ上げませんが」
それだけを答えたところで、ソーラスは満足気に微笑んだ。
普段どおりにしていた食事の作法。
知っている手順で、ただ知っているとおりに食事をしただけ。
私には、幼いときからの母の教えが染みついていた。
それが、貴族としての所作のあり方だとは、全く知りもせずに。
リオノーラ・エルトフォード
シフィアフラ・エルトフォード
ソーラス・エルトフォード
リエル(公爵家筆頭メイド長)
ビオラ(副メイド長・リオノーラ付き侍女)
エルトフォード城の皆々




