リオノーラの過去 激動のリオノーラ 3
ソーラスと連れ立って家を出た。
家の人避けのまじないの外に出ると、顔面蒼白になった騎士たちが辺りを大慌てで捜索しているところだった。
彼らにしてみれば、突然、絶対に守るべき対象の主人が行方知れずになったのだから、その態度もうなずける。
いくら魔女の魔物忌避の力がエルトフォード領内を覆い尽くしていたとしても、魔物が全くいなくなるなんてことはない。
そして、ここは国内最大で魔物との戦闘数を誇るウォルフィンリード領のすぐ近く。
ソーラスは私を探して、境界の森の中をすぐ近くまで来ていた。
たまたま出くわした魔物に不意を突かれ、怪我を負い、騎士たちが魔物を仕留めている間の僅かな時間に、家のまじないに触れた。
そして導かれるように、一人こちらへやってきたという。
そこに、母の意志を感じざるを得ない。
父も兄も、幾度となく領内の境界の森の中を私たちを探して探索をしていたそうだ。
常に兵を派遣し、ときには冒険者も雇い、そして時間が許す限りは自分たちでも。
それでも十七年間、手がかりさえ見つけることができなかったという。
ただ、時々市場に出回った母手製の薬を見つけ、生きているということを確信し、捜索をやめることだけはしなかった。
今回、兄がようやくしてこの場所を、私を見つけられたのは、……怪我を負い、血を流したからに他ならない。
森を抜け、用意された立派な馬車に乗せられ、私は兄とお互い緊張を隠せない短い会話をしながら、夜通しかけてエルトフォード城へ向かった。
朝になって馬車の中で目を覚ますと、ソーラスも眠っていた。
二人で肩を合わせ、身を寄せあって。
ソーラスは大事そうに私を抱き寄せたまま、優しく手を握ってくれていた。
ステラに感じたのとは全く違う感情を感じた。
その時はそれがなんなのかよく分からなかったけれど、母に感じていたような気持ちに似ていたことだけは分かった。
まず、私がソーラスに手を引かれて馬車から下り、エルトフォード城で使用人たちに迎えられたとき、約半分ほどの使用人たちが息を呑むか、声を堪えることを耐えられずにその場に崩れ落ちた。
顕著だったのは、筆頭メイド長をはじめ、古くからいるメイドたち。
公爵であるソーラスを支える、前公爵から仕えている家令長ですら、その場で泣き崩れた。
私からしてみれば何が起こってるんだとしか思えない状態で、驚きに引きつることしかできない。
苦笑いするソーラスは使用人たちに、「詳しい話や時間はあとで取らせよう」とだけ告げて、私を連れて足早に城の奥を目指した。
向かった場所は、父の寝室だった。
涙をどうにか拭った家令長に先導されながら、ソーラスと共に行く。
城自体が大きく、どこの場所もあまりにも立派だったけれど、その中でも最上位の場所であることはすぐに分かった。
ドアを叩くと中から、側仕えだろう、執事が現れて、ソーラスを見て深く頭を下げた。
そして、部屋の中へと招かれる。
「おはようございます、父上。お加減はいかがですか?」
ソーラスは静かな声音で、大きなベッドに横たわる人物に声をかけた。
側仕えの執事は機敏な動きで、己が仕えている、ベッドで横たわる主のもとへ向かった。
一人で身体を起こすのも億劫そうな男性は、執事の手を借りてどうにかベッドの上で身を起こす。
深く、辛そうな呼吸がゆっくりと聞こえる。
朝の光が部屋の中にあるのに、ベッドの上にいる男性の黒髪は、月のない夜空のような黒だった。
どこか、自分の髪色と見間違えるほどの。
ただ、私の髪色は、ほんの少しだけ彼より明るい。
その黒髪に母様の満月のような髪色の明るさを足したら、私の色になるような。
ああ、そういえば、母様の髪色にその男の人の夜のような髪色の影を足したら、ソーラスの髪色になるような。
「朝の挨拶にしては、急ぎの、時間だな、ソーラス…?」
ゆったりとした口調で、皮肉をも含んだような音で、彼は穏やかに笑いながらソーラスを見やった。
見た目の歳の割には老いを背負っていた。だがそれ以上に、なにかしらの病によるのだろう倦怠感と疲労からくる衰弱が目に見えて顕著だった。
「急ぎたくもなります、シフィアフラ父様」
ソーラスが父親の名前を呼んだので、彼は少し驚いた様子で目尻を下げた。
「なんだ? 子どものときの、ような、呼び方をして」
歩み寄ってくる息子は、もう公爵家当主という立場がすっかり板についた立派な男だ。
父親は、自分にも似て、亡き母親にもよく似た笑顔を浮かべた息子の年甲斐もなく子供じみた行動の意味は分かりかねたが、ただただ目を細める。
側仕えのかわりに、ソーラスはシフィアフラの身体を支えた。
そして、シフィアフラにそっと手で指し示す。
この部屋入ったばかりの位置で、佇むしかなかった私を。
「……、……、…ミオ…?」
そう呼ばれたとき、母の言葉を思い出した。
あなたの父様は、私をミオと呼んでいたわ。
酒に酔って、ほんの時々話してくれた、父のこと。
ごく自然に首を振っていた。
「母様ではありません」
私の声に彼は立ち上がろうとして、立ち上がれずに、ベッドの上で身を崩しかけ、慌てたソーラスにしっかりと身体を支えられた。
「近くへ……、頼む、……顔を、よく、見せてくれ…っ」
懇願に近い言葉。
切れ切れに必死で、涙さえ滲んだ声音で、私へと手を伸ばす。
半ば仕方なく、静かに大きなベッドのそばに寄った。
見つめられる視線が痛い。
月のない夜のような黒い瞳がまっすぐに私を見る。
「……リオ…、名を、ちゃんと、教えて、くれるか…?」
そこまでは私の名前を知っているのか、と驚いた。
ソーラスは名乗る前から知っていた様子だったが、彼は知らないようだ。その違いはどうして?
疑問が湧いたが、とりあえず礼に則って、母に常日頃から教えられていたとおりの正式な挨拶の形を取った。
「リオノーラと申します。……エルトフォード公爵様、……前公爵様…?」
その時は、ソーラスが公爵なのかどうなのかも知らなかった。そうなれば、シフィアフラというソーラスの父上は前公爵。
その呼び方に、少し混乱した。
どちらが正しいのかと思案しながら顔を上げると、シフィアフラも、ソーラスも、私を見てひどく驚いていた。
あとから聞いた話では、母に教わった礼が、貴族令嬢としては完璧なまでに美しい礼だったという。
それがどんなものかすら、まともに意味も知らなかった。
「目上の者や貴族に対しての礼と作法」。
幼い頃、母の指導で、そんなに詳しい説明もされずに、素直に日常として身に染み付かせた立ち振る舞いだったから。
「……リオノーラ。……確かに、ミオが、候補に、あげていた、名前だ」
手を伸ばされるから、その手に手を乗せ返した。
病に痩せた骨ばった震える手が、私の手を握る。
「髪も、目も、色味は、私に、似て、しまったのだな……」
目を細めて笑ったシフィアフラの笑顔が、ソーラスの笑顔とよく似ていた。本来は逆なのだろうけれど。
「出会った、ころの、ミオと、……ミオシスと、よく似て、……美しく、育って…、リオノーラ……」
母の名が、その口から出てくる。
ソーラスの母への呼び名に「答え」を得たのと同じように、シフィアフラが母の名を口にするときの想いの深さにもまた「答え」を見た。
私が、諦めのような納得を得たことを感じ取ったシフィアフラは申し訳なさそうに表情を崩した。
「リオノーラ……、抱きしめ、させては、くれまいか…?」
手を握ったまま、シフィアフラがそう尋ねてくる。
少し戸惑ったあと、仕方ないとこれも諦めに似た気持ちでうなずいた。
シフィアフラの腕の中に、そっと身を寄せる。
衰弱した、弱々しい体躯。
それでも、どこか大きな気配を感じさせる。
優しく抱きしめられ、シフィアフラの顔が私の髪に近づいて、彼はあることに気づいたようで、そこで深く息を吸った。
「草木の、匂い。……薬の、匂いだね…。君も、ミオと同じく、薬に触れるのだな、リオノーラ…。私の、娘……」
泣き出しそうな、それでも嬉しそうな、そんな声だった。
私はこの人を何と呼べばいいのだろう。
聞きたくて、顔を上げ、黒い瞳を見上げたとき、シフィアフラは突然咳き込んだ。
私から身体を離し、手で口を覆い、深い咳を繰り返す。
「父上!!」
「旦那様!!」
ソーラスと側仕えの執事が慌ててシフィアフラに手を伸ばす。
「ごほっ、大丈、夫だ、…っ治まっ…たよ」
そう言いながら身を立て直した、シフィアフラが口を押さえていた手のひらには、喀血した赤が広がっていた。
口元に血をつけたまま、シフィアフラは穏やかに微笑んだ。
何もかもがもう手遅れだった。
今更薬を作り、与えようと、シフィアフラには回復するだけの体力が残されていなかった。
その姿を見てしまった私は、森の家に帰ることを選べなかった。
父に残された時間はわずかで、私にできることなどほとんど何もなくても。
リオ(リオノーラ)
ソーラス・エルトフォード
シフィアフラ・エルトフォード
エルトフォード城の皆々




