リオノーラの過去 やがて糧となる寂しさ
私の日常は、こんなに寂しかっただろうか?
いつもどおりの日常を過ごしてきただけなのに。
もちろん、そんな感情に振り回されてばかりいるわけじゃない。
薬を作り、自分の生活を成り立たせ、生きるために必要な日常を繰り返す。
ただ、ふと余裕があるときに、高く清々しく晴れた青空を見上げたときや、明け方の光が射す前に目が覚めて見渡した部屋の中の薄闇に、胸が締め付けられるときがあるだけ。
大人になるって、一人ででも生きられることじゃないの?
自分が衣食住足りて、生きていけたら、まずはそれでいいんじゃないの?
寂しいって思っても、それに耐えられるのが大人なんじゃないの?
答えは見つからなかったし、教えてくれる人はいないし、たくさんの本の中から私と同じ疑問に悩む誰かの経験を探すしかなかった。
買った本の中には答えはなかった。
なんの気なしに、もう読みに読みまくった母の薬のレシピをまとめた本を虫干ししているときに、一番最後のページに、思い出したから書き留めた、みたいな字で母の言葉が書いてあった。
『迷ったとき、悩んだとき、一番大事なものを一番にしたらいい。それはだいたい自分のこと。自分が一番にやりたいから、助けたいから、私はやった。後悔などしていない』
薬のレシピの本の最後にそんなことを書いていた母。
久しぶりに母に会えた気がして、寂しさが少し消えた気がした。
そうか。
母様も何かに迷って悩んで、でも一番のことを選んだんだ。
きっと私も、いつか選ぶときが来るんだろう。
今のこの寂しさも、その糧かもしれない。
とりあえず、そんな大きな大きな選択をしなければいけない瞬間は、今ではない。
その選択をしなければいけないときはたった一回じゃなく、何度もあるかもしれない。
そういえば私はもう、自分がやりたいからと選んだことがあるじゃないか。
正体も知れない狼さんの手当てをしたこと。
思い出して、くすりと笑った。
私はやった。
後悔はしていない。
母の言葉と同じだな、と納得して、腑に落ちた。
きっと、私はまた自分のために選ぶよ。
この先も。
それが、一人で生きていくことに繋がっても。
あの星に会いたいと思う気持ちに繋がっても。
母の墓を放って、外で生きることを選んでも、母はきっと何も言わないだろう。
でないと、「この家を出て行きたくなったら」読むように、なんて手紙を残しはしなかったはずだ。
気がつけば「十八歳になったら」読むようにと言われた手紙を読むまで、もう一年切っていた。
誕生日がくる前に読んでおくべきなのだろうか?
結局、読むか読まないか、どちらも選べないまま毎日は過ぎていった。
母の手紙を読むことで、きっと大きく何かが変わってしまう。
そんな予感だけがあった。
抱く不安。それは恐怖に近い感情だった。
この毎日が変わるほどの大きなことってどんなこと?
考えてみる。
たとえば、魔女の魔物の忌避がなくなるとか?
さすがに、嬉々として襲いかかってくる魔物を倒しながらこんなところで暮らしてはいけない。
たとえば、私が十八になるときにこの家を誰かに返すなり、献上するなり、立ち退かなければいけなくなるとか?
境界の森はその領の領主の管理地だけれども、誰か個人で所有というわけではない。だから魔女が家を建てて住んでいても、おかしなことをしていなければ不可侵だ。むしろ魔物の出現が減って、領主は喜ぶのでは?
あんまりにも考えつかないから、もうちょっと別の観点から考えてみる。
国が、魔女狩りを始めたら?
境界の森に住む魔女の娘だと、「魔女」の血脈であることが明確に分かっている私。
魔女狩りで捕らえてどうする?
能力を利用する?
それとも根絶やしにするために殺す?
今の国王様はそんな恐ろしい思想は持っていないと思う。
だって、治世はもう私が生まれるよりも前から続いている。
魔女を捕らえて集めてその能力を活用しようなんて思うなら、とっくの昔にそんな政策打ち出してるだろう。
人避けの呪いが消えて、人攫いがやってくるとか?!
それは結構危機的状況だ。
強盗、人攫い、奴隷商。
奴隷制度はこの国にはないけれど、海を渡った遠くの国には残っているところもあると本の中に書いてあった。
でもそもそも、魔物が出る境界の森に人を攫いに来る利点は?
あ、私を殺すなりなんなりしてこの家を乗っ取り、強盗やらの犯罪の隠れ家に使う、なんてことは?
考えた中で一番しっくりきた。
万が一の対策をもっと真剣に考えなきゃいけない。
まぁ、私に害を及ぼそうという気持ちを持った者はまずそもそもここに入れないし、見つけられないし、この場で立ってもいられないけれど。
「力ある魔女」の呪いを甘く見てはいけない。
時々この家にまでたどり着く魔物みたいに、瀕死の酩酊状態に陥らされるのが目に見えている。
「えー…、そんな強盗にトドメ刺すの? んー…、上からさらに眠り薬嗅がせて、完全に意識奪って、縄で縛って村の警備団の方に引き取ってもらう? 手間だけど、それが一番かぁ…」
独り言が部屋に響く。
できれば人殺しはしたくない。
助けるほうが性に合っているので。
あとは?
そうやって魔物忌避も人避けの呪いも消えてしまうから一緒に行こうともう一度、……ステラが私を誘ってくれたら?
あの笑顔で微笑まれながら、優しく手を差し伸べてくれる姿を想像した。
かあっと耳まで赤くなった。
妄想が過ぎる!!
だってほら、だって、もう一年近くも会っていない人に何を幻想を抱いているんだ。
私よりも大人の男の人。
外の世界に生きる人。
もう二度とここには来ないかもしれない人。
次に会ったら「俺、嫁さんもらったんだ」とか言って近況報告してくるかもしれない。そのほうがずっとずっと現実的。
自分で考えて、自分で手酷いダメージを受けた。
がっくりとうなだれて肩を落として、痛んだ胸を押さえ、込み上げた寂しさにため息を吐く。
彼の誘いを断ったのは、私。
母の墓を放って行けないと選んだのは、私。
もう一度なんて、期待しない。
毎回、毎回、見送る別れは、これが今生の別れだと思った。
再会などないはずだった。
まして三回目など。
あれは私が弱っていたために、無意識にステラを招いた、その結果。
招かれなければ訪れられない、魔女の家。
だから四度目こそ、ないのだ。
外の世界で忙しい人が、わざわざこんな境界の森に住んでいる得体のしれない魔女の娘に何度も会いに来るものか。
それでいい。
それで当たり前。
それをとても、……寂しく思う。
顔を上げた。
遠い気配に、振り返る。
人避けの呪いに誰かが触れた微かな気配を感じ取る。
森の外へと去っていく。
追う必要はない。
必要なんてないんだ。
それが誰かなんて分かってもいない。
確信もない。
それなのに、気がついたら家を飛び出して森の中を駆けていた。
家の周辺から離れてしまえば、私がその誰かの気配を追うことなんてできない。
それでも、緑の木々、草木生い茂る道を走る。
見知った緑の中に、森の向こうに、さらに遠くにさえ、きっと見える星のような金色を探して。
会いたかった。
会いたかっただけ。
他に何も望んでいない。
望むことなんてない。
ただ、会って、彼の名を。
森の切れ間にまで出ていた。
遠く歩き去って行こうとする後ろ姿に向かって、声を張り上げていた。
「ステラ!!!!」
名を呼んで、その青空色の目に私を映してほしかっただけ。
振り返った、驚きに見開かれた青い瞳。
ステラの片方の目は眼帯ではなく包帯が巻かれていた。
それだけで、何ごとかと思う。
すぐにステラの表情が、泣き出しそうな、悲痛なものに変わった。
どうしたの? 何があったの? どうしてそんなにボロボロなの?!
駆けてきたせいで息を整えるのに必死で、すぐに言葉が紡げない。
そうしている間に駆け戻ってきたステラが、大きく腕を広げて私に抱きついてきた。
まるですがりつく寄る辺をようやく見つけたかのような、そんな強さで。
「ひゃあ?!」
「リオ…!!」
さすがに驚きはしたが、私を呼んだステラの声があまりにも泣き出しそうで、あまりにも切実だったから、恥ずかしさとかそんなものは吹き飛んで、ただ湧き上がる疑問の数々に彼を見上げるばかりになる。
「どうしたの? ステラ?」
あんなに一生懸命手当てをして癒やしたのに、私のことを癒しもできる人なのに、またこんなにもボロボロで。
私の愛しい狼さん。
私の輝く星。
……きっと、今回も癒やしてみせる。
手を伸ばして、ステラの頬を撫でた。
リオ
ボロボロのステラ




