リオノーラの過去 森の魔女たち
リオノーラ視点
私は森に住んでいた。
境界の森と呼ばれる、魔物も出る恐ろしい森の中に。
物心ついたときには、母と二人、小さな家で何不自由なく楽しく暮らしていた。
それが異常だとか、おかしいことなんて思いもしなかった。
母が作る薬を見て、見よう見まねから始めて、忠実にレシピどおり薬を調合したり、薬草を育てたり、森の中を散歩がてら薬草摘みに行くのは毎日のこと。
料理をしたり、「最低限の作法」というやつを母から習ったり、「お勉強」といってイマイチ何を計算しているかも分からない数字を組み合わせて答えを導き出したり、薬の在庫を集計したり、森の木々のすき間から見える空を見て天候の予測方法を知ったり。
時々やってくる魔物の対処方法を身につけ、弓の使い方を覚え、食料になる動物の罠の作り方やさばき方も学んだ。
家の中にある、母が書いた薬の知識に関する本は全部読んだ。
時々、薬を売って生活用品や森で手に入らない食料を買うために近くの村に行ったときに見つけた本は、母が片っ端から買って私に与えた。
この国の地図も買ってもらった。
自分たちがいる森は、エルトフォード公爵領の端っこだということは知っていた。
家の床に地図を広げて二人寝転んで見ていたとき、母がエルトフォード城のある場所を、優しく指でなぞっていたのが忘れられない。
ある日、村に訪れていたとき、人攫いに遭った。
買ってもらったばかりの本に浮かれていた私を攫おうとした人攫いは、あまりにもおかしな転倒のしかたをして、両足を見事に骨折した。
呻く人攫いの乱暴な腕を振りほどいて母のもとへ駆け戻った。
それが当たり前だと思っていたから私は何も不思議だと思っていなかったのだけれど、母は「力ある魔女」だった。
私を取り戻すために、母はその力を振るうことに躊躇いはなく、人攫いに容赦はしなかった。
人攫いは村の警備に捕まり、しかるべき対処が取られたが、村の人から「時々村に訪れては良い薬を売ってくれる母子」という認識から「森に住む、害を為すなら容赦をしない力ある魔女の母子」という認識に変わった。
村に訪れると遊んでくれていた友達と思っていた子どもたちは、その次に私が村を訪れても、どこか怯えたように、もう声をかけてもくれなくなった。
ちょっと寂しくは思ったけれど、別にいいかとすぐに諦めた。
私は母と森で暮らすことに特段不便も、不服も感じていなかった。
遊んでいると髪を引っ張ってくるような乱暴をする男の子たちと無理に一緒にいるよりも薬草をすり潰しているほうが楽しかったし、口を開けば、お姫様みたいなドレスが着たいだとか舞踏会だ夜会だ王子様だ、なんて煌びやかなことを夢見る眼差しで話す女の子たちに付き合うよりも卵とバターと砂糖と小麦粉をどういう配分で混ぜれば美味しくなるかを夢見るほうが好きだった。
そもそも、私が母と同じ「力ある魔女」だと勝手に思い込まれていることが不服だった。
私はなにもできない。
母のように、自分の体重の何倍もある石や土を指先一つで浮かせることもできなければ、何もないところから水を取り出したり、火打ち石も要らずに暖炉に火をつけることもできない。
できはするけど、やると疲れるのよ。なんて言って普段はあまり力を振るわない母だけれど、滅多にその力を人に向けて振るわない母だけれど、私を助けるために迷いなく容赦なく力を振るった母のことを、私は心から愛していた。
母の容姿は、冬空の銀色の満月のような髪と凍てついた冬の早朝のように澄み切った青の瞳。
子どもの私の目から見ても、それはそれは美しい人だった。
それに比べて私のなんと平凡なことか。
私はきっと、顔も知らない父に似たのだろう。自分の容姿について、母に文句を言うことは一度もなかった。
母は、父親譲りだろう色味の私の髪を梳くのがとても好きだったから。
こんなふうに母と二人、特に不自由なく二人で暮らしていくんだろう、と子供心に漠然と、不安もなく思っていた。
よく寝込むことがある母の体調も、世の中のお母様というものはこういうものなんだと、あまりにも他人を知らない私は素直に思い込んでいた。
人の看病も、手当ても、慣れた日常だった。
もうすぐで十二になるという頃に、母が死ぬまでは。
村に出ていって医者に診てもらおう。
そんなことは毎日言ったけれど、母は無駄だと割り切っていた。
母自身が作る特級の薬でも、治らない病気。
寿命だ、と母は言った。
今思えば、母はそれほど歳を取っていたわけではなかった。
それでも寿命がきたと言う。
その理由は「若いとき無茶をして、生かしたい人を生かしたからだ」と、教えてくれたけれど、何のことだかはよく分からなかった。
「リオに手紙を書いたから、私が死んだら、この家を出て行きたくなったら、そして十八歳になったら、読むといい」
そう言って、母は私に三つの封筒を渡した。
家に一つしかないベッドでいつもどおり一緒に身を寄せ合って眠った。
翌日、母は朝になっても目を覚まさなかった。
最初の手紙を開けてみた。
日々の暮らし方のおさらいのような手紙だった。
私を一人、こんな森の中に住まわせたまま、残していくのは忍びないと書かれていた。
一人が寂しくて、森を出て行きたいと望むなら次の手紙を読むこと、とも書いてあった。
最後に、間違いなく私のことを愛していたと、綴られて終わっていた。
いつの間にそんなことをしてたのか、と思えるほど準備周到に、家の裏手側の庭の隅に母の遺体を埋めるための墓穴まで用意してあった。
泣くのも忘れて、私は母の遺体を埋葬し、丁寧に土をかけ、これも用意されていた墓石をその上に置き、毎日コツコツ墓石に母の名前を掘った。
ミオシス。
私は母様と呼んでいたから、彼女の名前を呼ぶ者はもう誰もいない。
あなたの父様は、私をミオと呼んでいたわ。
酒が好きで、時々酔って話してくれた母の話の中に出てきた父のこと。
名前を呼んでくれる人がいないのは、寂しいことだ。
リオノーラという、私の名前。
リオという愛称で呼んでくれた母は、もういない。
私もまた、名前を呼んでもらえない者としてこの森で生きるだろう。
母の墓を放って、森の外で生きる気にはなれなかった。
二つ目の封筒は、十八になったら開ける封筒と一緒にしまい込まれた。
私は今までと変わらない毎日を送り始めた。
母がいないだけの、変わらない毎日を。
リオ(リオノーラ)
ミオシス




