アステライトの過去 四年前 激動のアステライト 1
その年は、間違いなく俺にとっては激動の年で、信じられないことが次々と起こって、振り回されて、翻弄されて、毎日毎日、どうしようもなく疲れ切ってしまっていた。
まず、父が目に見えて弱った。
もう軍を指揮しながら兵たちと同じ戦場を巡ることはできないくらいに弱り、当主としては内政や管理だけを行うようになった。
母を亡くしたときに父もまた大きな怪我を負っていた。肉体の傷は癒えたけれど全快はせず、だましだましやってきたことが限界を迎えたのだ。
最愛の妻を失ったことに、隠しながらずっと気を塞いでいたけれど、年月を増すたびに、老いや衰えが父にのしかかるたびに耐えられなくなっていった。
いよいよ、正式に当主の座を弟ソルアンドレに譲る話が進められていた最中、本当は少し前から分かっていた問題が目の前に突きつけられた。
ソルアンドレの恋人、……恋人と言っていいのか、いや、恋人で合っている。……簡単に恋人と呼ぶには、身分が高すぎるだけで。
身分を隠してこの国に滞在していた、海を挟んだ隣国の小国の第一王女が完全に国に帰ることになって、その身分を明かした。
察しのいい人はもう分かってくれるだろう。
その第一王女が、弟ソルアンドレの恋人だった。
二人の付き合いはかなり長く、幼なじみと言っても過言じゃない。俺も彼女の顔を子供の頃から知っているほどだ。
彼女のソルアンドレへの愛情は嘘偽りなく、弟の方も誠実に彼女と付き合っていた。
幼い時からの可愛らしい恋人同士、は、いつの間にか家族も身内も周知する仲睦まじい恋人同士、に変わっており、俺も彼女がソルアンドレの妻になってウォルフィンリード辺境伯夫人になると、一度も口にしたことがないのに思い込んでいた。
王女は王女の方で、俺という、正統な血統で、健康で民にも好かれ、為政するにも国に信頼厚く、すでに軍を率いることも出来る長男がいるのに、次男のソルアンドレがまさか本当に次期ウォルフィンリード当主になるとは思っていなかったらしく、国に帰ることになるとき、ソルアンドレを婿に貰おうと決めていたそうだ。
一歩間違えば、国家間で大問題。
緊張で張り詰めた細い綱渡りのような遣り取りを弱った父にやらせるわけにもいかず、俺は王都と自領をしょっちゅう行き来して、国王や隣国王女関係者たちと話し合いを続けた。
二つ返事で、はい弟を婿にどうぞと決断できるはずもなく。
王女の方も、はいウォルフィンリードに嫁に入りますなんてできるわけもない。
国王でさえ決めかねていた。
円滑に国際問題を解決するには、もちろん、ソルアンドレを婿に出すのが一番だ。
でもそうすると、俺が自動的にウォルフィンリード辺境伯となる。
父の当主交代に合わせて、国王はそう遠くないうちにフォーレスタに王位を譲ることを視野に入れて、俺を将軍職に就ける手はずを整えかけていたところだった。
俺がウォルフィンリード辺境伯になれば、もちろんフォーレスタの最側近として中央の国政に関わることは無くなる。
辺境伯としてウォルフィンリード領を治めることに力を注ぐことになるから。
俺以外にももちろん、フォーレスタが信用を置いている者はいる。
だが、本当に最後の最後の一片まで信じ抜いて命を預けられる忠臣がそばにいるかいないかということが、どれだけ王者の心を変えるか。
王は王として王太子を、そして親として息子のために俺をフォーレスタの近くに置いておきたいと思っていたのだ。
王女がウォルフィンリードに嫁に来ることは叶わない。
彼女は彼女で、それを夢見たこともあるそうだ。
身分を隠さなければいけない王女から、もう少し気楽な、辺境伯夫人という立場へ。
大好きなソルアンドレの側で、彼の妻として堂々と、気心も知れたウォルフィンリード辺境伯領の地を共に治め、骨を埋めることを『夢』だと語った。
国に帰ることは覆らない決定事項で、ようやく荒れた国が落ち着き、歳の離れた弟王が正式に王位を継いだため、仲の良い姉姫が安全に帰国できることとなった。
この先は若い弟王の補佐をし、姉弟で国を導くそうだ。
どこの貴族と通じているかも分からない同国の男を夫に迎えるよりも、幼いころから好き合ったソルアンドレを是非、婿にと頭を下げられた。
答えをすぐに返せなかった。
ソルアンドレ自身も、彼女の言葉に即答することはなかった。
弟と話し合うことも出来ずに王命で呼び出され、頭を抱える毎日だった。
誰の言い分も理解できる。
昔からそうなるだろうと思っていたことが全部消し飛んで、目の前は真っ暗なのか真っ白なのかも分からない。
どうすれば最善だ?
どんな道を選べば誰もが幸せになれる?
ひとつ間違えれば誰もが不幸で、その先に戦争だという言葉すらちらつく。
答えはどこにある?
父上なら、どんな答えを選んだ?
俺はどうすればいい?
話し合い、と言ったって、誰も俺がこんなにも悩んでいるという話は聞いてくれなかった。
フォーレスタにすら会えることなく、また王都から自領へと帰る。
疲れ果てていた。
そういえば、この状態で軍行もしているから、……ちゃんと眠ったのって、いつだったっけ……?
馬車を止めさせて、わがままを言った。
一人で考える時間がほしい、と部下から馬を譲ってもらい、彼らだけを先に城へ帰した。
俺が一人でウロウロしても、野盗に襲われて殺されるだとか、魔物と出会って殺されるだとかあり得ないと分かっている部下たちは、気を遣ってすんなりと了承してくれた。
陽が沈んだばかりの道を、馬を走らせる。
そして、今いるここがリオのいる境界の森の近くなんだと分かったとき、ひどく素直に会いたいと思った。
馬を例の一番近くの村で預かってもらい、応急手当用の包帯で片目を隠す。
今日は会えるのか、なんて考えは、会いたいと思う気持ちが先走っていて頭の中になかった。
しばらく彷徨って、彷徨って、ようやく、そんなに都合よく会えるものじゃないんだということを思い出した。
諦めたくなくて、でも諦めなきゃいけないと思って、見捨てられた子供のようにトボトボと森を出る道を戻り始めた。
会いたかった。
会いたかっただけなんだ。
彼女に会えばこの問題が解決するとか思っちゃいない。
一から全部説明して聞いてもらって、彼女の答えを聞かせてほしいとかそういうことでもない。
ただ、会って、ただ、俺を……。
「ステラ!!!!」
声が、森の中から聞こえた。
振り返る。
もう境界の森を出てしまっていた俺を追ってきたような、息を切らせたリオの姿が森との切れ間にあった。
……俺を呼んで欲しかっただけで。
泣き出したい気持ちになった。
もしかしたら、泣いていたのかもしれない。
駆け出して、駆け戻って、両手を広げてリオを抱きしめていた。
「ひゃあ?!」
「リオ…!!」
無遠慮に抱きしめたのに、リオは驚いただけで嫌がったり逃げ出そうとしたりはせず、腕の中から不思議そうに俺を見上げた。
「どうしたの? ステラ? なんか、凄い立派な服を着てるから誰かと思っちゃった。それなのに、なんでこんなにボロボロなの? 疲れすぎでしょ、ご飯は食べた? ちゃんと眠れてるの?」
小さな手が俺の頬を撫でた。
柔らかくて温かい感触に目を閉じる。
「飯、は食ってる、と思う。仕事の一環になりすぎてて、何食っても味がしない。ちゃんと寝たのは、いつか、覚えてない……」
「はい?!」
明らかに怒りを含んだ声が上がる。
リオはもぞもぞ動いて、俺の腕の中から出ると、ガシリと強く手を掴んで引っ張った。
手を引かれるままに、歩き出す。
どこに向かっているかはすぐに分かった。
「まったくもー、まったくもー!!」
前を行くリオはぷりぷり怒りながら、足取り確かに、彼女の家へ向かっていく。
そんな彼女の姿を見ながら、また髪が伸びたなと場違いなことをぼんやり考えていた。
アステライト(ステラ)
リオ
激動の皆々




