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狼辺境伯と魔女令嬢の白い結婚 不器用同士の恋が成就するまで  作者: 庭師K炎


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アステライトの過去 四年前 激動のアステライト 2

 リオの家に着いて、マントと上着を脱ぐ。

 見るものが見ればかなりの高位貴族じゃないと着ることのできない衣装だと分かるが、リオは気づかなかった。

 ただ、上等なものであることにだけは気づいて、いつもどおりちゃんと丁寧に扱ってくれただけだ。


「剣も下ろして。あ、持ってる方が落ち着く?」

「いや、どっちでも平気」

「じゃあ下ろして。首まできっちりボタン留めちゃって、珍しい」


 俺が剣を下ろしている間に、リオは小さな指で器用に俺のシャツの首元のボタンを外した。


 急に、呼吸が楽になった気がした。

 深く深く息を吸う。


 そして、至近距離にいたリオの髪の匂いに、肌の匂いに気づいた。

 ほんのり甘い花のような香り。なんだか懐かしいと思ったのは、久しぶりに会ったからだろうとぼんやり思う。


「はい、座って」


 椅子を引かれ、手を引いて座らされ、テーブルに向かわされる。

 手際よく、俺の前に食事が並べられていった。


 決して豪華なものじゃない。

 湯気が立ち上る野菜と鶏肉の入ったシチュー。温かく、柔らかいパンにバターとジャムが添えてある。小皿に目に鮮やかなベリー。小さな小さなグラスに、一口分の果実酒。


「お腹いっぱいじゃなかったら温かいものを食べましょう。このお酒、覚えてますか? 今日のステラには必要だと思います」


 滋養強壮、疲れ対策。


「お年、はそこまで召してないぞ?」

「あはっ、そこまで覚えてくれてたの? たくさん飲まなくていい。食事も嫌なら無理は言わない。でも少しだけでも」

「……いや、いただくよ」

「はい、どうぞ」


 リオの笑顔に、こちらも口元がほころぶ。

 そっと手に取った果実酒を煽り飲んだ。


 前に貰った分はもちろん父に飲ませた。

 これと同じように少しずつを毎日寝酒に、と飲んでいたときの父は調子が良さそうに見えたのは気のせいではなかっただろうけれど、それももうかなり前の話だ。


 またこの果実酒をもらって帰れたなら、父はよくなるかもしれないけれど、それは決して前のように回復するというわけではないだろう。

 あくまで、少しの癒やしを得るというもので、年月による老いや気力の衰えというものは、ゆくゆくは誰の上にも必ず訪れるものなのだ。


「ステラ? お酒を飲んだだけで手が止まりましたよ? 冷めちゃいますよ? あーんってしてほしい?」


 グラスを持ったままの手を、リオの指先がちょいちょいと触れた。

 ハッとなってリオを見つめ返す。


「今は食べることだけ考えましょう。何を考えていたかは後で聞いてあげます」


 そう言って、俺の手からグラスを取って、スプーンを握らせてくれた。

 リオは俺のそばを離れて、少し奥の水場の方へ行ってしまった。どうやら浴室の方へ向かったらしい。


 その小さな背中を見送ってから、温かいシチューを口に運ぶ。

 熱いくらいの温度が口の中でほどけて、飲み下すと腹の中から温かさが広がる気がした。

 じわりと涙が浮かぶのを感じる。


 美味い。

 ちゃんと、味がする。


 もう一口口に運んで、ゆっくりと咀嚼する。


『リオにあーんってしてもらっても、バチは当たらなかったかもな……』


 そんな甘えたことを考えながら、優しい味の食事を久しぶりにゆっくりと味わった。

 


 

 明かりを落とした部屋。

 ベッドに横たわる、二人。

 なかなかの近さにリオの顔がある。


 ……どうしてこうなったか。


 理由は簡単だ。ベッドが一つしかないから。


 食事の後、半ば強制的に風呂にまで入らされ、時間は夜更けにかかろうかという頃合い。

 今、これから夜の境界の森を走破し、馬で城まで帰るには、気の抜けきったこの体たらくでは無理と判断を下したのは正しいとは思っているが。


 「お疲れの方にベッドを提供します」と当然のように寝床を差し出したリオ。


「待て、じゃあリオはどこで寝る気だ?」


 この小さな家は二階もない平屋だ。

 台所と居間兼ダイニング、続きにリオの寝室になっているベッドのある部屋。隣に廊下を進んで小さな薬部屋。その向こうに水回りと浴室、家の裏へ続く勝手口。

 ソファーなんてない。

 ダイニングの椅子にクッションが置いてある程度。


 そこをつっこまれるとは思ってもいなかった、と言わんばかりの様子で、リオは。


「……床で?」


 到底、そうかと受け入れてやることのできない答えを返してきた。


「ステラが私を看病してくれたときなんて、あなた、椅子に座ったまま寝てたでしょう? さすがに私は座って寝るのはできないけど、予備の毛布もあるし、クッションもあるし、気にしないで?」

「気にしないで、と言われて気にしないでいられる内容じゃない!! 俺は職業柄、座ってようが地べたが石だろうが寝るときゃ寝るけど…、……ちょっと待て。俺が初めてここに来てぶっ倒れて三日間眠り続けてた間、リオはどこで寝てたんだ?」

「あー…」


 リオの目が泳ぐ。


「まさかその時も床で…?」


 俺は家主であるうら若き少女の寝床を奪い、床で寝かせてたのか? とんでもねえんだけど。


「え、あ、違う違う、あ、違わない? あ、違う……」


 咄嗟に本当のことを言ったけれど、そうすると答えたくないものを答えなくちゃいけなくなって、ごまかそうとしたけれど、そうするとまた答えに矛盾が出るため、同じ言葉を繰り返す羽目になるという慌てよう。


「なに…? 隠さなきゃいけないようなことなの? 床で寝る以上にひどいことさせてたのか、俺は……」


 思わず頭を押さえて、床で寝させる以上にひどいことって何があるだろうかと思考を巡らせた。


「寝てない!! 床で寝てない!! あー、うー…、一生黙ってるつもりだったのに、なんでそんなこと今さら気づくのですか」     

「一生黙ってる……?」


 言葉の不穏さに、ますます眉間にしわが寄った。

 リオは小さく唸りながらしばらく考えていたけれど、口を尖らせて、頬を染めて、恨めしそうに俺をちょっと睨みつけた。


「ステラが倒れたその日とか、その、出血が多かったせいか、体温が下がってて、温めなきゃいけなかったし、その…、あなたに、……くっついて一緒に、寝てました。床でなんて寝てません」

「え…?」


 温めるためにくっついて? 俺の症状はそんなに酷かったのか。

 リオの言う「くっついて」がどれほどのものだったかは、当たり前だが覚えていない。意識がなかったのが惜しいと思えてしまった。


「ステラが目を覚ましてからは、早く生きていることを仲間に知らせたいからって無理に発つって言うから、痛み止めいっぱい作ってたし……」

「寝てなかったのか!!」

「ステラを見送ってからちゃんと寝たもん!!」


 今度は両手で頭を抱えて、俺が唸ることになった。


「俺がろくでもねえことは変わりない…っ」

「そんな大袈裟な。怪我人のためにベッドを譲るなんて当たり前のことだよ?」

「今の俺は怪我人じゃない」

「疲れ果てている人には変わりありません。目の下にクマができてますよ?」


 じっとりとリオを睨みつけた俺の右目の下に、小さな指先が触れた。

 優しく、肌を撫でられる。


 彼女は俺に触れることを厭わない。

 そりゃ、とっくの昔にほとんど全裸に近い身体全身をくまなく観察されているから。

 手当てと治療という理由で。


 だから、俺も思い切りがついた。

 リオの手を絡み取って、抱き上げるなんて簡単なことだ。


「ひゃあ?!」


 可愛い悲鳴が腕の中で上がる。

 驚きに見開かれた目と、一瞬で赤くなった頬。

 部屋の明かりを落として、有無を言わさずベッドに連れ込んだ。


「ステラ?!」

「こうでもしねぇと、間違いなく不毛な押し問答を一晩中続けることになるだろ? 俺にくっついて寝た経験がすでにあるなら、もう一回、今日一晩くらい我慢してくれ」

「えっ?! 私は別にステラが嫌じゃないならいいけど……」

「俺は別に嫌じゃない。リオは柔らかいし温かいしいい匂いがするし、……子供のころ、小さかった弟とくっついて寝たときを思い出す」


 ウォルフィンリードがいくら粗野な軍侯爵であれど、上位貴族の端くれだ。

 そして、どちらかが必ず跡継ぎとなる、それなりに厳しく育てられた男児。

 大きな自室のベッドで独りで眠ることに俺がようやく慣れた歳のころ、弟はまだ泣きながらそれに耐えていた。


 どちらが先に始めたかは、正直覚えていない。

 こっそり部屋を抜け出して、泣いてる弟の部屋へ行く。もしくは、弟がこっそり俺の部屋にやってくる。

 大人たちにバレないように頭からブランケットを被って、今日やった修行のこと、父の軍行のこと、他愛もない遊びの話、明日のこと、弟と眠くなるまで話をした。


 きっと、大人たちは気づいていたと思う。

 でも、誰も咎めてはこなかった。

 それは今でもいい思い出で、今も弟と仲良くやれているのは、そういった兄弟だけの思い出がちゃんとあるからだと思える。


「ステラ、弟さんのこと好きだね」

「……ん、こんな歳になって男兄弟のことを好きとか言うのは小っ恥ずかしいけど、……そうだな、俺は昔っから弟のことが好きで、……今も、誇らしく思ってる」


 寝転がったせいで、リオと目線が同じになっていた。いつもはだいたい見上げてくる夜明け色の黒い瞳が、今は目の前だ。

 優しいその眼差しに、安らぎを感じる自分が確かにいた。


「悩みはそのあたりのことですか?」

「そう、だな…、悩んでる。でも、リオにわざわざ聞かせるほどのことでもない。俺が決めて、解決しなきゃ……」


 思い沈みかける俺を見つめて、リオは首を傾げた。

 黒髪がシーツの白に映えて、流れ動くさまに目を奪われる。


「……ん? 弟さんのことなのに、ステラが解決しなきゃいけないの? なにかおかしいよ?」

「おかしい? どうして?」


 思わず聞き返すと、リオは続けて問いかけてきた。


「弟さんとは歳が離れてるの? 私よりも年下?」

「いや、そんなことはない。俺よりも一つ下だ。ほとんど二歳離れてる」

「立派に大人の方じゃないですか。ステラが誇るほどの弟さんなんでしょう? なら必要なのはステラが解決してあげることじゃなくて、弟さんとのしっかりした話し合いでは?」

「え、あ、……確かに、弟とはお互いゴタゴタしすぎてまだなにも話し合えてないけど」

「その間に周りの人にやいのやいの言われたんじゃないですか?」

「言われた、というか言われ続けてる。でもそれはそれでみんな当たり前の言い分というか……」


 言い淀む俺を、リオはじっと見つめていた。


「ね、ステラ、周りから言ってくる全員の意見を全部聞いてたら、何がなんだか分からなくなって疲れちゃうよ? そんなの放っておいたらいい」


 あまりにも潔い突き放し。

 でも。


「放っておけないってば」


 それを受け入れられない俺に、リオはゆっくり目を細めた。


「じゃあ、後回しにしたらいい。一番大事なものを一番にしたらいい。それが最初だよ。だいたいこういうことの一番って決まってるの。自分のこと」

「……俺の?」

「うん。ステラはその問題の中で、一番、何さえ分かれば嬉しい?」


 そう問いかけられて、考えた。


「嬉しい……」


 解決すれば楽になるだとか、先の展望が開けるだとか、そんなことじゃなくて、俺が嬉しいことはなにかと尋ねられた。


 それは考えたことがなかった。

 今直面しているこの状況を打破することばかり考えていて、その上ですべて丸く収まるようにすることばかりに悩んでいて、自分の感情なんて考えもしなかったから。


「……弟が、幸せなのがいい。何を選んだって後悔の無いように、俺のためだとか、国のためだとかじゃなくて、弟が弟のために選んで、その先で幸せであるように。そうなれば、……俺は嬉しい」


 思い返せば、弟は俺とはまた違った側面から、将来を決定づけられた立場だった。

 次期ウォルフィンリード当主と幼い頃から言われ、長男の俺よりも内政に詳しくなるほど、勉強にも打ち込まされた。

 お互い子供らしい時間など少なかった。下手をすると俺よりも過酷だったろう。


 責任感があって、真面目で、それゆえに不器用でまっすぐな弟が自身の幸せを後回しにした答えを選ぼうとする可能性は十分考えられる。


 幼い頃から次期ウォルフィンリード当主となることを受け入れてやってきたソルアンドレ。

 この現状で、俺と同じように、思い描いていた未来が揺らいで目の前が真っ白になって真っ暗になっているんじゃないだろうか?


 大事な弟の岐路だ。

 弟の幸せを一番に望んで、何が悪い。


 弟が弟の幸せを一番に選んでも、俺は誰にも文句を言わせない。

 そのために行動すればいい。


 帰って、すぐソルアンドレをひっ捕まえて、あいつが一番どうしたいかを聞けばいいんだ。

 すべてはそこから。


「……ね? ステラが嬉しいのが、一番だよ?」


 優しく優しく笑ってくれた、リオの笑顔が嬉しかった。


 そっと、小さな手が包帯で覆っていない目を閉ざすように触れる。

 温かい手のひらがゆっくりと動いて、肌に触れた水分があることを感じて、俺は自分が泣いていたことに気づいた。


 リオは俺の目を閉じさせたまま、手を退けようとはしなかった。

 きっと、俺が泣いているのを見られたくないだとか思って、恥を感じなくていいようにとそうしてくれたんだろう。


 リオの手の温かさを、同じベッドに寝転んで近くで感じている体温を愛しく思う。


 ……ずっと前から、いい匂いだと感じていたリオの匂い。思い返せば確かに、初めてこのベッドで目覚めたときにも感じていた、ほんのり甘い花の香りのよう。


 これを、ずっと側で感じていられるようになりたい。

 気紛れに、会える時だけ会えるんじゃなくて、いつだって望めば会えるように、……いや、どこにも行かないでいつだってそばにいて感じていたい。


 急激な眠気に、意識が掻き消えていく。


 ……俺、この子が好きなんだ。


 自覚するとともに、深い眠りに落ちた。





アステライト(ステラ)

リオ

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