アステライトの過去 六年前 お土産と公爵
リオからもらった土産をありがたく持って、故郷へと帰った。
行き道の途中にあった村に頼んで預けていた馬でウォルフィンリード領へ帰ったから、約一日もかからずに城へ着くことができた。
馬を駆り始めた時にはもう眼帯は外して、意気揚々と帰り着いたのだが、ただ、タイミングが悪かった。
帰り着いたときと、父が賓客を迎えに表へ出ていたときとが重なってしまった。
さすがに、父の顔が蒼白になったのを見て、自分のやらかしを反省する。
身なりを整えることもできない。
それでも、立場として逃げられないので、父の横に立った。
「勇ましいね」
穏やかな笑顔を優しく面に表しながら、馬車から降りてきた初老の男。
シフィアフラ・エルトフォード公爵。
隣接するエルトフォード公爵領の当主であり、前宰相。
王からの信頼も厚い切れ者の男だが、十数年前、まだ若かったにも関わらず、突然王に宰相の職を辞することを願い出て、自領に帰った。
その理由を知っているのは、王だけらしい。
フォーレスタも知らないそうだ。
「若者が元気なのはいいことだ。ウォルフィンリード辺境伯の次世代への憂いは無いね。我が息子も、もう少し外へ遊びに出ても良いものを。早く孫の顔も見たい」
「エルトフォード公爵こそ、立派なご子息が後を継がれます。憂いなどと」
父が公爵と握手をする。
「うん、私はいよいよ公爵の地位を息子に譲ろうと思ってね。そのことを君に話しに来たのだよ、ウォルフィンリード辺境伯」
隣領の当主の話だ。
ホイホイと代替わりましたよだけで収まるものではなく、仲が良い当主同士なのだから積もる話もあるようだった。
公爵は今度は俺の前まで来てくれて、握手を求めてくれた。
彼とは初対面ではない。
昔は、優しさを帯びているくせに目を合わせるだけで思考の内側のすべてを見抜かれるんじゃないかと思わせる眼差しの持ち主である公爵に怯えもしたが、今はその柔らかい鋭さもない、聡明な年配の男性だと感じられた。
握手をして、手を下ろす。
ガチャリと旅荷物の入った鞄が音を立てた。
「おや? 何か楽しいことをしてきた帰りかい?」
「恥ずかしながら。次期当主より休暇をいただき、単身、領地を回っておりました」
公爵は穏やかに目を細めた。月のない夜のような黒髪と、同じく月のない夜のような瞳だ。
「ほう、それは良い休暇……。……、……なにか、いい匂いがするね?」
唐突に尋ねられた。
「は? ……あ、これかな? 帰りに友人に焼き菓子と酒を譲ってもらって」
鞄の中に入った、リオがくれた焼き菓子と果実酒。
さすがにここで焼き菓子を広げて見せるわけにもいかなくて、果実酒の瓶だけを取り出して見せる。
「……、……薬酒かい? いいね、私は薬酒が好きなんだよ」
そう言われてしまうと、飲ませないわけにはいかなくなる貴族間の最低限のマナー。
「よろしければ、後ほど父との会談の席にお持ちいたします」
「本当かい? 嬉しいよ。楽しみにしておく」
そうして、公爵は父とともに城の中へと移動していった。
瓶の中には果実が浮いているが、公爵はそれを薬酒と言い当てた。
酒好きは嘘じゃないんだなとその慧眼に感服しながら、身なりを整えるために急いで別の入り口から城へと入った。
父と公爵の会談におおよその目処が立ったので、茶を用意する頃合いとなった、と家令長シアンから声をかけられ、約束の果実酒と、気まぐれで焼き菓子も渡しておいた。
弟がやってくれていた、本来旅に出なければ自分がやるはずだったそう多くない書類仕事を片付け終わるころ、再び家令長が戻ってきて、公爵が尋ねたいことがあるから来てくれないかと言っていると呼ばれた。
十中八九果実酒のことだろうが、新しいのが欲しいと言われても困るんだけどな、などと考えながら父と公爵のいる談話室へ向かった。
「ああ、来てくれてありがとう」
公爵はゆったりと笑う。
父と公爵の前には、やはり果実酒と焼き菓子だ。
「尋ねてもいいかな? 友人にもらった、と言っていたね? アステライト殿」
身を正し、そんな公爵にまっすぐに答える。
「はい。正確には友人というより、恩人ですが」
「恩人……」
公爵が俺の言葉をゆっくりと考察する。
「お前の恩人? 例の物語になった事件のか?」
父の聞き返し方に、ちょっと辟易する。
舞台化されるという冒険譚化した物語のほうを思い出したからだ。
そこにはもちろん、俺がリオに助けられたクダリは一切出てこないだろうけれど。
「はい、この旅の間についに再会叶いまして、礼を……」
言ってない!!!!
しまったあぁあああっ!!!!
なんのために俺はあの子に会いに行ったんだ!!
焼き菓子の美味さに全部頭からスッパ抜けていたとか情けなすぎる。
身分を隠す、じゃない。
身分を明かしてでも、彼女に礼を言って、フォーレスタも褒美をと言っているのを伝えたり、欲しいものを聞いたりしなきゃいけなかったのに。
父と公爵を目の前に、叫んでしまいそうだった自分をぐっと押し止めた。
「この焼き菓子もその恩人が?」
「はい、酒が飲めぬのに作ってしまったから、もらってくれと」
「酒が飲めぬ……」
また、公爵はゆっくりと考察する。
「その者の名を聞いてもいいかな?」
「……大丈夫だと思います。リオという女性です」
「リオ? ……確かめるが、ミオではないのだね? 髪色は?」
「は? はい、リオです。髪色は、藍を混ぜたような艶のある黒です」
例えば公爵の月のない夜のような黒髪に、満月が浮かんだら彼女の髪色になるだろうと思えるような黒だった。
「そうか、ありがとう。この薬酒、瓶ごともらっても良いだろうか?」
「はい、どうぞ。機会があれば、また恩人より賜われると思えますので」
お気に召したらまたあげます、と言ってくれていたリオの言葉を思い出す。
きっと彼女は社交辞令でもなんでもなく、本心からそう言ってくれていた。
美味かった、また欲しいと言えばきっと喜んで土産に持たせてくれるだろう。
そんな彼女の笑顔を想像して、胸の奥がなんだか温かくなった気がした。
「なんだか不思議な言い方だね? そう容易く会えない人のような」
「そのとおりです。この一年、彼女の家を探していたのですが見つからず、昨日ようやく叶ったところです。位置や地理は間違っていないはずなのに、どうしてもたどり着けず、礼もまともに言えぬ始末です。次もまた容易に会えるものなのかどうか」
「ふむ、それはどの辺りなのだい?」
尋ねられ、少し考えた。
「ウォルフィンリード領の最東から、エルトフォード公爵様の領の境目の辺りだと思っております。……もしかすると、そちらに足を踏み入れている可能性もございますが……」
申告しながら、ちょっと冷や汗が出る。
さすがにウォルフィンリードの長男が、境界の森内だからとホイホイと隣領に入っていっていると知れたら、窘められても仕方ない。
同じことを思ったのだろう、父が難しい顔をしながら口を挟んできた。
「アステライトの言う通りなら、その者はまるで『力のある魔女』ではないか。魔物に忌避され、境界の森に住み、治療に長け、薬を作り、普段は住処を隠し生きるなどと」
「いえ、本人は魔女ではないと言っていました。魔女だったのは死んだ母親だと」
ピシリ、と、確かに公爵の気配が凍りついたのが分かった。
本人はそれを完全に隠したつもりでいたかもしれない。
だが、肉体を操ることに長けたウォルフィンリードの人間の前で、鼓動や、息遣いの大きな変化を見逃せというほうが無理難題だ。
「公爵?」
「どうなさいました?」
公爵もそれに気づいたのだろう。
申し訳なさそうににこりと笑った。
「諸用が出来てしまった……。グラジエフ殿、大変申し訳ないが食事はまたの機会に。この埋め合わせは必ず」
公爵は父に握手を求め、丁寧に礼をした。
「分かりました、シフィアフラ殿。近い再会を楽しみにしております」
隣領の当主同士として長く交流のある二人は、確かに友人であった。
再会を約束して別れ、父は急ぐ公爵を見送った。
彼らの約束は叶わなかった。
シフィアフラ・エルトフォード前公爵は二年後に、グラジエフ・ウォルフィンリード辺境伯は三年後に、それぞれの家族に看取られながら、息を引き取ったのだから。
アステライト・ウォルフィンリード
グラジエフ・ウォルフィンリード
シフィアフラ・エルトフォード




