アステライトの過去 六年前 再会・隻眼の冒険者
何度境界の森に入っても、彼女の家を見つけることはできなかった。
軍行で比較的東へ出た全域制圧が完了した帰還までのわずかな隙間時間や、諸用でエルトフォード領に出向くことがあった時。
ダンジョンの魔法で飛ばされた場所からフォーレスタが走った帰還の退路を辿った時。
フォーレスタが「俺も一緒に探す」とウォルフィンリード領へ視察という名で遊びに来た時の二回。
他にも何度か探してみたが、そのどれもが無駄に終わった。
あの日から、もう一年。
俺は夢でも見たんじゃないかとそろそろ思いはじめていた。
完全にそう思えないのは、儀式のためにダンジョンに潜り、罠にかかり、それを跳ね除けたという王太子の武勇伝が嘘と本当を織り交ぜた冒険物語になって平民たちの間で大流行しているからだった。
今度、演劇になるらしい。
勘弁してくれ。
じわじわと王都から人気に火がついてやってきた冒険物語は、ついにウォルフィンリード領にも届いた。
連日、身内には生暖かい目で見られ、使用人たちからは誇らしげな輝いた目で、部下からは日ごろより増した羨望で、気楽に城下を歩いたらとんでもないことになった。
なんだかとても疲れた。
それなら戦場に出ている方がマシだ、と防衛戦のすべてを休みなく指揮していたら、弟にキレられた。
「休め!!!!」
さすがに、次期ウォルフィンリード辺境伯の言葉に逆らえない。
「一週間、帰ってくるな!!!!」
弟、ソルアンドレに、まるで冒険者みたいな装備一式を叩きつけられた。
アステライト・ウォルフィンリードではなく、一介の冒険者のフリでもして自由に羽を伸ばしてこいと言いたいんだろう。
顔も隠せなきゃ領内では意味がないな、と思っていたときに思い出した。
フォーレスタが、俺の目が万が一潰れていた場合を考えて眼帯を作らせていた、とプレゼントしてくれた物がある。
華美なものがそれほど好きじゃない自分の好みに合わせた、それでも質のいい物だった。彫り飾りにウォルフィンリード侯爵家の紋章である狼の姿の一部、爪の陰影のみを刻むという凝った意匠。長年の付き合いによる好みを把握されていることに苦笑いしながら装着した。
そうして、一人で休暇を楽しませてもらった。
誰も自分を追求しない。
何も自分を縛るものがない。
久々の本当の自由は、楽しく、そして少し不安でもあった。
なにをしたかといえば、過去に魔物に襲われて助けに行った村の復興具合を見に行ったり、自分が直接潜ったことのないダンジョンに単身潜って踏破者の称号を得てみたり、冒険者たちと酒を酌み交わしてみたり、農作地の多い地域の魔物の影響を聞きに行ってみたり、直近で困っている魔物関連の問題を冒険者を装って解決してみたり。
正直、楽しかった。
もしも将来何かがあって貴族であることを辞めるなら、冒険者になって生きていきたいと思えるほどには。
さて、弟との約束の日数はほぼ消化した。
残りは後一日。
たまたま東の方面へ来ていて、たまたま例の境界の森の近くだなと思えた。
正直、リオの家がある場所がウォルフィンリード領なのか、エルトフォード公爵領なのかはっきりしないのだが。
ふらっと足を向けた。
きっと、また探し出せずに彷徨って終わりだろう。
そんな諦めを抱いて。
記憶を頼りに進む道の半分は、調査や、フォーレスタが訪れたときの整備で少し景色を変えていた。
木々をくぐり、背の低い草の間を抜ける。
枝を払ってから少し経っていたせいで伸びてきていた鋭い枝先に腕が当たって袖が切れた。
ぱっと血が飛ぶ。
油断していた。いつもは籠手をつけているから気にしていなかったが、今は冒険者風の軽装備だ。
傷自体はそんなに深くないけれど、だらっと血が流れる。
浅い傷でも、侮ってはいけない。
人の血は魔物を呼ぶし、傷から入る雑菌は病気のもと。痛みは戦いの最中に邪魔になる雑念だ。
水筒を開けて、とりあえずと血を流す。鞄から応急処置道具を出そうと視線を下げたとき、視界の端に小さな足が、靴先が見えた。
「しょっちゅう怪我をする人ですか? ステラさん?」
純粋な疑問を抱いた声音に、顔を上げる。
手を伸ばせば届きそうな距離に、リオが立っていた。
少しだけ伸びた背。前よりも伸びた艶やかな黒髪。手には、今摘んできたと分かる木の実をいっぱいに入れた籠。
彼女のずっと後方には、あのこじんまりした家も見えた。
「……ステラでいい。……久しぶり、リオ」
「そうですね、お久しぶりです。……目、駄目だったんですか?」
ぽんぽんと、リオは彼女自身の目を指差して、俺の眼帯を差す。なぜかとても申し訳なさそうに、残念そうに表情を曇らせて。
「あ…、いや……」
これはただの顔を晒さないための工作で、と説明しかけて止めた。
それを説明すれば、何もかもを話さなければいけなくなる。
前に、お貴族様、とどこか毛嫌いしたように口にした彼女に自分の身分を明かして一線を引かれるのは、……なぜかとても悲しいと思えた。
「あんたが申し訳なく思うことじゃないだろう? 怪我をしたのは俺なんだし」
「それはそうですけど、治せるものなら治したいと思うのが薬師や医者というものですよ。家に来ますか? ステラ。腕の手当てくらいしてあげますよ? 今回は玄関で倒れないでくださいね? 狼さん」
にこりと笑った少女の笑顔の華やかさ。
つられてこちらも明るい気分になる。
「頼めるか?」
「いいですよ? かわりに昨日作った焼き菓子の果実酒漬けを食べて、感想を聞かせてください。母が残していたお酒を使ったのですが、私にはお酒を使った菓子の良し悪しが判断出来ませんでした」
「そんなことでいいのか? 喜んで」
見つめ合って、笑い合って。
ずっとこの場所を探していたなんて嘘みたいに、招かれて、リオの家に入った。
そこは一年前と変わらずに穏やかな陽射しの入る、心安らぐ小さな家だった。
「うっま…っ!!」
腕の手当てを終えて、出された果実酒漬けの焼き菓子は驚くほど美味しかった。
軍が中心で、粗野なウォルフィンリードでは味わえない。王宮でフォーレスタが出してくれる菓子ともまた違う。素朴だけれど、丁寧で優しくて、食べた口が、身体が歓喜しているのが分かるほど、美味いと思える物だった。
「えっへん。お菓子作りは得意なんです!! ……調子に乗ってお酒に漬け込みさえしなければ…っ!!」
リオはがっくりと肩を落としてうなだれた。
「正直、こんな美味い菓子は初めてだ。おかわりもらってもいいか?」
「どうぞどうぞ。なんならお土産に持って帰ります? 残ってても私がウンウン唸りながら食べるか、朝の小鳥の餌になるくらいですから」
「鳥の餌…っ?! 贅沢だな、鳥!!」
「食べられる鳥が来たら私のご飯にもなるので、持ちつ持たれつですよ」
「リオは狩りもするのか?」
「はい、それなりに」
リオはもう二切れ切り分けた焼き菓子の果実酒漬けを皿に盛ってくれてから、残りを油紙と布にくるんで寄越してくれた。
「……なんなら、果実酒も持って帰ります? 封を開けちゃったから使わなきゃいけないけど、正直使い道がないのです。果実酒ですが、本来は薬酒なのです。母の仕込みなので効き目はバッチリです。滋養強壮、疲れ対策、お年を召した方こそお召し上がりください」
「へぇ、喜んで貰うよ。帰って父、…父さんに飲ませてやろう」
「どうぞどうぞ」
台所から、リオはそう大きくない瓶に入った果実酒を持ってきた。きっちり栓が閉めてあり、量は瓶のあと半分といったところだった。
「お気に召したらまたあげます。今渡すには、重いでしょう? 旅の帰りですか?」
ちらりと、リオは俺の軽装備と荷物を見た。
去年の戦鎧とはまた違った装いだと比べたんだろう。
「そんなところだ」
彼女はよく人を見ている。でも、こちらが少しでも嫌がるような素振りを見せたら、それ以上踏み込んで来ようとはしない。
頭のいい子だ。
身なりも、容姿も悪くない。
悪くないどころか、目を奪われるほどだ。
性格も悪いようには思えない。
そんな子が、まだ子供と呼んでいい年齢の少女が、未だ一人でこんな境界の森に住んでいるなんて、どんな理由があってか。
「なぁ、リオは魔女なのか?」
一年前から聞きたかった疑問をついに聞くことができた。
「違うと思いますよ?」
帰ってきたのはなんだか曖昧な返答だった。
「と思います、ってのはどうして?」
「魔女は自覚の無い者が圧倒的に多いでしょう? 私もその一人だと思いますよってこと」
確かにそのとおりだ。
魔女が魔女と分かるのは、一番はっきりした方法、魔物を忌避させるという能力を自覚するか、自覚させられるか、そんなところから始まる。
方法としては、魔物の多いところに魔女である者を連れて行って、襲われるか襲われないかを確かめればいい。
もちろん、そんな危険度の高い方法をわざわざ取ってまで魔女を判明させる価値はあるだろうか?
魔女が一人いれば、安全に境界の森や山脈を移動できる?
まずそこまでして境界の森や山脈を移動するメリットは? 山脈なんか特に、通常魔物がいなくても人が行き来するには不向きな道だ。
境界の森付近の村なんかは、魔物に襲われるリスクを減らせるという大きな恩恵があるだろうが、魔物の素材や魔石はそれはそれで人々の生活に密接に関わっている。
突然魔女が現れて、魔物が一切寄ってこなくなってしまったら、必然的にダンジョンに潜らなくてはいけなくなる。そうすれば、冒険者たちと素材の取り合いだ。困るのは困る。
そしていくら魔物に忌避されるといっても、魔女自身もただの人だ。忌避行動から魔物に攻撃に転じられて殺される、なんて場合もあるだろう。
だから、魔女は魔女であっても、それを自覚しない、そもそも自分が魔女だと知らない、そんな者のほうが大半なのが当たり前なのだ。
「だが、ここは境界の森の中だ。こんな場所にここだけ家が建っていて、リオが一人で暮らしている。おかしいだろう? 魔物は来ないのか?」
「来ますよ、時々」
ひゅっ、と吸った息が音を立てた。
思わず、テーブルの上に置いていたリオの小さな手を掴んでいた。
リオはそれに少し驚いたようではあったが、俺から目を逸らさずに、何でもないことだと笑った。
「……私の母が魔女でした。この家の持ち主で、お墓はすぐそこ」
窓の外を差す、リオの指先を目で追う。
いろんな花が供えられた素朴な石碑が見えた。
「魔女の魔物忌避は、骨の一欠片までもが土に還るまで続く。少なくとも私が死ぬまでは、この辺り一帯はこの程度の日常が続くというわけです。私は時々やってくる魔物を安全な家の中から射抜いて、危なげなく魔石と素材を回収し、時々村へ売りに行くだけです」
ほっと安心して、リオの手を離した。
リオはこっそり、テーブルに乗せていた手を膝の上に下ろす。
……俺に掴まれたのがそんなに嫌だったのだろうか。
「だから、私は一生自分が魔女かどうかは分からない。まぁ、魔女だったとしても、母みたいになんでもできる立派な魔女ではなく、ただのなんでもない魔女でしょうけどね」
ふふっと笑った少女の笑顔が、どこか諦めを含んでいたのが不思議だった。
「疑問は解けましたか? それにしても、私ばっかり答えていてなんだか不公平です」
不機嫌そうに、リオは小さくため息を吐いた。
「ホントだな。でも、リオが俺に何か聞きたいことなんてあるのか?」
「うーん……」
リオは腕を組んで少し考えて、思いついたとぱっと目を輝かせた。
「ステラが冒険に出ていて、今までで一番綺麗だった風景は何ですか?」
思ってもいない質問だった。
てっきり自分の身の上や、なぜあれほどの怪我を負ったのかとか聞かれるのが当たり前だと思っていた。
聞かれたら答えなければとは思いはしたが、嘘を吐くことも考えなければと思っていたので、正直、助かった、と思った気持ちのほうが大きかった。
リオは俺のことをすっかり冒険者だと思っている様子だ。
否定はしない。訂正もしない。改めて名乗りもしない。
でも、嘘は吐かない。
「……二つある。一つは、初めてダンジョンの深層に潜った時、輝石の鉱脈筋と重なっていて、……今までその場所で戦って、帰れずに朽ちた者たちが最後の最後まで魔物を屠った魔石が地面に落ちていて、星の輝く夜空を歩いているような錯覚を覚えた時があった」
ダンジョンで朽ちた者たちがいる道なのに、美しくて、美しくて、悲しかった。
必ず生きて帰ると誓った道だった。
「二つ目は、……なんでもない秋の風景だ。農耕が豊かな場所で、一面金色の稲穂の海で、風にそよいで波のようで、綺麗だと思った」
自分が、自分たち家族が守るウォルフィンリードは戦うためだけの場所じゃない。
美しい場所なんだと、民が生きる場所なんだと、あの光景の美しさを思い出せば、いつでも剣を、拳を握り直すことができる。
魔物に蹂躙させるつもりなどない。
いずれ弟にすべてを託して去ることになるかもしれないけれど、フォーレスタの側で戦うということが、故郷を守らないということにはならない。
「……こんなもんだけど、いいかな?」
ちょっと首を傾げて微笑むと、リオは満足そうににこりと笑った。
「素敵です、ありがとう。お礼に私のおやつ予定だったジャムクッキーを一つ進呈しましょう」
そう言って、皿に一つ、ツヤツヤしたジャムのたっぷり乗ったクッキーを乗せてくれた。
「これ、さっきの籠いっぱいに入ってた木の実か? わ、美味い」
「そうです。酸味はあるけど、ジャムにしたらとっても美味しいでしょ?」
「ああ、ベリーは甘いのが多いから、これもいいな」
もうすぐウォルフィンリードの市場では甘いベリーが出回る季節だ。
きっとメイドたちが喜んで市場でベリーを買って、料理長にデザートを作れとどやしたてる声が聞こえるようになる、毎年のそんな時期。
たった一週間離れただけなのに、城が、家族が恋しい気持ちになった。
俺は、俺の家族を、ウォルフィンリード領のすべてを愛している。
そう改めて自覚した。
アステライト(ステラ)
リオ




