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狼辺境伯と魔女令嬢の白い結婚 不器用同士の恋が成就するまで  作者: 庭師K炎


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アステライトの過去 七年前 出会い

 どこをどう歩いただろうか。

 そもそも歩いていただろうか。

 身体の感覚はあまりない。


 ただ、森の中で死ぬことは、さっき去っていった魔物どもにこの身体を食わせることになるので、そんな癪なことをしてやるつもりはない。


 見上げた深い森の木々の先に、明るくなっていく空が見える。


 フォーレスタは無事、帰り着いただろうか。

 俺もそこへ向かわないと。

 せめて、生きていると伝えないと。


 空から、視線を下ろした。

 一瞬、自分がどこにいるのか、本気で分からなくなった。


 小さな家が、朝日の中に穏やかに建っていた。


 境界の森の中にいたはずなのに、国の南や東ののどかな領の郊外にでも来たような錯覚。


 深く考えずに、家の側にまで寄った。

 夢だとか幻なら、触れることもままならないだろうと、小さな家のドアに手をかける。

 ちょうど、同じタイミングで誰かがドアを開ける感覚があった。


 見下ろした、小さな姿。

 艶やかな肩までの黒髪はまるで満月の夜空のような色合い。見開かれた大きな瞳は、今明けたばかりの夜のような複雑な色味の黒。血色のいい唇を驚きで開いているが、声も出ない様子だ。


 子供。

 それも、少女。


 それが、こんな森の中のわけもわからない家に一人?


 彼女が一人だと確信したのは、戦闘後で高ぶりすぎた感覚が全開で、周辺の生き物の気配を明確に捉えていたからだ。


 それほど、ここは安全なのか?


 考えてしまってから、しまった、と思った。

 次の瞬間、全身から力が抜け落ちる。


 一瞬でも思った、安全な場所にたどり着いたという認識に、張り詰めていたすべてが切れてしまった。


 意識が掻き消える。

 無様に崩れ落ちる。


 次に目を覚ましたのは、彼女が言うには、三日経った後だった。







 目を覚ました。

 だが、視界が半分ない。

 それが、すぐに片目を包帯で覆われているからだと理解する。


 鎧は?! 籠手は?! 剣は…、投げたんだっけ。借りたのは折れたんだっけ。


 身体中、包帯だらけだった。

 丁寧に、指先にまで。

 あれだけ血汚れ、土汚れ、埃汚れ、戦汚れでまみれた身体は、ほとんどがさっぱりと綺麗になっていた。


 窓から射し込む穏やかな日差し。

 小さな家の、清潔なベッド。

 ほんのり甘い香りは花かなにかだろうか。


 身体中が軋む。

 だが、出血なんかを心配するような怪我はない。

 一番の心配はきっとこの目だろう。切れているのがまぶただけで、眼球に及んでいないことを願う。


 喉の渇きは少ない。

 ほんの微かに頭を動かすと、ベッドサイドに水が置いてあるのが見えた。なぜか何かの葉っぱをまとめたものも。

 水をこまめに飲ませてくれたりしていたんだろうか。


 というか、この丁寧に巻かれた包帯を見るだけで、親切な看病を受けていたことがうかがい知れる。


 そういえば、背中に受けた矢は?


 (やじり)がまだ背中に残っていたはずなのに、その感覚はなく、痛みもほとんどない。


 ギシギシと身を軋ませて、上体を起こした。

 満身創痍から回復中。

 なかなかの包帯男っぷりだ。


 ここまでになったのはどれくらいぶりだろう? 戦士の称号を得たあと、自惚れるなと父に叩きのめされて以来かな?


 あれからずいぶん鍛えて、戦場を駆けて、強くなったつもりなんだけれど、やっぱりまだまだ足りないんだと実感した。


 学ぶことは多く、もっともっと鍛えなければいけない。

 どんな状況になっても、友を、主を、守り抜ける程度には。


「ふんふ〜ん♪」


 ご機嫌そうな鼻歌が聞こえた。

 白いシーツを手に抱えて、黒髪の少女が部屋を横切っていく。こちらには気づいていない。

 手早くそれを畳んで引き出しに仕舞い、また鼻歌を歌いながらどこかへ行ってしまう。

 黙って見送った。


「ほうたい〜♪ まっしろ〜♪」


 鼻歌を歌い、陽気に、たくさんの清潔そうな包帯を持って、それをくるくると器用に巻きながらこちらへ歩いてくる。

 そこでようやく、彼女は俺が身体を起こしてベッドに座っていることに気づいた。


 ピタリとすべての身動きを止め、俺と目を合わせ、じわぁっと水に落とした紅がにじむように頬を染めた。

 歌い歩いていたことを見られていたと分かって、恥ずかしがっているのだろう。

 その姿は本当に、ただの少女だった。 


 

「……迷惑を、かけたようだ」


 俺が喋り出すと、彼女は自分の中で気持ちを切り替えたようだった。

 大きく息を吸う動作をして、今度は黙って包帯をさっさと巻いていく。


「そうですね。おとぎ話の中に出てくる、森の子どもを食べに来る狼がいたらこんなんじゃないかと思って息が止まりました」


 巻き終えた包帯を、ベッドサイドの棚に置いてあった籠の中に次々と入れていく。

 小さな手があまりにも器用で、感心した。


「狼……、言い得て妙な」


 ぼそっと呟く。

 彼女は皮肉で言ったつもりだったのか、俺が笑ったから、その意味が分からずにちょっと恥ずかしげに口を尖らせると包帯を全部巻き終えて、こちらへ向き直った。


「俺がここへ来て、どれくらい経った?」

「あなたは丸三日眠っていました。良い身体をお持ちですね。メキメキ傷が癒えていくのは見ていて楽しかったです。何かの祝福か加護をお持ちですか?」

「……そんなもんだ」


 ウォルフィンリードの家系は、血に祝福が乗っている。身体強化や、常人より傷の回復が早いというものだが、わざわざそれをひけらかしはしない。


 王族はもちろん、ある程度の貴族は何かしらの祝福を持っているが、それは公然の秘密だ。血で繋がった者同士のみが知る秘密。

 平民にも稀に祝福持ちはいて、彼らは重宝される。

 冒険者を生業にしたり、貴族に登用してもらいたい者で祝福持ちは、それを堂々と自慢して語る者もいる。

 それはそれで、とても有効な手段だ。


 俺が明確に語ろうとはしないことで、彼女はすぐに追求を止めた。ちゃんとした常識を持ってくれているようだ。ありがたい。


「あんた、若いのに手際がいいな。薬師か、医学をかじっているのか?」

「全部、死んだ母が教えてくれたことです。母は薬学に通じていました。母はよく臥せる人だったので、看病や手当てには慣れています。まあ、ベッドに運ぶまでが一苦労でしたが」


 確かに、彼女の体格と、俺の体格を思えば。

 完全に意識のない、鎧を纏った男が玄関先で倒れたらどれだけ迷惑だったか。

 思わず苦笑いが浮かんだ。


「慣れ、ね。大の男ひん剥いて下着一枚で包帯巻きにしちまうのはお手の物ってか?」


 べらっと、下半身を覆っていた柔らかいブランケットをめくって、両足を床につける。

 確かに下着一枚姿だが、胸にも腹にも、片足には重点的に、しっかりと手当てを施した包帯が巻かれているので、ほとんど服を着ているのと変わらない気持ちだった。


 彼女は年頃の少女らしく驚いて照れたが、すぐに目を据わらせ、腰に手を当てて小さな胸を張った。


「そーいう人ですか。そうですか、からかうのが好きな類の男の方ですね? 理解しました。そういうのは無駄なので先に言っておきます。怪我を負っていないか確認はしましたがご安心を、その下着は脱がせてませんので。腰回りのちゃんとした鎧を着ておられたことを生涯誇っておくといいですよ。こんな小娘に下着までぜーんぶ剥ぎ取られることにならなくてよかったって!!」


 ふん、と鼻を鳴らし、少女は細い腕を組んだ。


「背中の(やじり)も摘出済みです。良かったですね〜? 丈夫なお身体をお持ちで。私の処置など必要なかったのでしょうね~?」

「いや、そこまで言いたいつもりじゃなくて」


 どうやらかなり機嫌を損ねてしまったことを理解した。


 突然現れて倒れた血だらけの男をここまで看病してくれて、感謝以外ないのは確かなのだ。つい、からかってしまっただけで。


「私もそこまで言いたいつもりじゃありません。あなたが本当は物取りや盗賊、お貴族様や、おとぎ話の狼でないのなら、この状態で、これだけ手当てを受けて、私に言う最初の言葉は何でしょうか?」


 憤る彼女の言葉に、ハッとなる。

 俺は彼女が言ったお貴族様だけれど、それは今ここでは関係のないことじゃないか。

 申し訳なくて、苦笑いして、口を開いた。


「ありがとう、怪我の手当てをしてくれて、とても助かった。俺は、……ステラ。訳あって、境界の森で魔物に襲われたんだ」


 咄嗟に名乗ったのは、ダンジョンに潜る前にフォーレスタが今日の気分と言って付けた愛称だった。

 礼を言い、頭を下げると、ようやく彼女は俺を見て笑った。


「礼を受け入れます、ステラさん。私はリオ。訳あってこんな森の中に住んでいますが、薬師になれればな、なんて思っているただの小娘です」


 花がほころぶような、可愛らしい微笑みだった。


 もう数年もして、彼女がもっと女性らしく大人になれば周りが放っておいてくれなくなる。

 容易にそんなことを想像できてしまう美しい少女だと、今さら改めて思った。





アステライト(ステラ)

リオ

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