8話《マリー視点》侍従武官と侍女、ダンスを踊る
観劇から10日後。
マリーは、レイチェルに付き添って、舞踏会にいた。
主催者は王太子。
未来の妹と実弟のためにひと肌脱いだというところだろうか。
王太子とその妻。それから心安くしているという数人の夫妻を招待して、王太子の屋敷で行われた非常にプライベートなものだ。
当然だが、この国にレイチェルが親しい貴族はいない。
そこで王太子夫妻が、家柄も素性も、そして自分たちとも関係性の良い数組のカップルを、紹介がてら舞踏会を開催してくれたようだ。
結婚後のレイチェルのことを考えているというふうにもとれるし、レイチェルの人間関係をある程度把握しようと先手を打ったとも考えられる。
まあ、レイチェル姫が楽しそうならいいか、とマリーは壁際に控えて、主を見た。
彼女はいま、婚約者となるであろうセオドアとダンスを踊っている。
ファーストダンスは王太子夫妻が。
そのあと、王太子夫妻が指名して、ふたりがフロアで踊ることになったのだ。
マリーのひいき目で見ても、レイチェルのダンスはうまい。
レオには勢い余って、レイチェルの拙いヴァイオリンを「上手だ!」と言ってしまったが、ダンスは本国でも有名なぐらいにうまい。
いまも、ふたりのダンスを見ていた招待客たちが、驚きに目をみはったり、「素晴らしい」と拍手を送ったりしている。
やれやれだ、と。
この国に来て初めてマリーは息がつけた気がした。
婚約式の関係で訪問した直後は、セオドアの声掛けがあまりにも少なく、また緊張によるものなのだろうが、表情もさえない様子に、「自分は受け入れられていないのでは」と数日泣き崩れていたレイチェル。
本国に戻りたい、と言い出したため、意を決してセオドアの侍従武官であるレオ・アドルフにケンカを売りに行ったことで状況が打破できた。
いけすかない顔だけ男だと思ったが、調整力と人脈はなかなかのものだ。
本人はなにも言わないが、この王太子主催の舞踏会とて、彼が王太子の侍従武官に相談を持ち掛け、実施がかなったとも聞く。
婚約式まであと10日ほど。
レイチェルとセオドアの仲は非常に親密となり、時々、マリーが咳ばらいをして存在をアピールしないと、ふたりに忘れられるほどになった。勢い余ってキスしようとするセオドアを目で制したことも何度もあるし、「言いたくありませんが……」とレオに苦言を呈したこともある。婚約式までは手を出すな、と。いや、結婚式までは控えてくれ、と。
レオはわかっているのかわかっていないのか、「殿下にはそれとなく伝えておく」と言うばかりだ。
結い上げた髪を、手で撫でつけていたら、盛大な拍手が起こった。
ダンスが終わったらしい。
レイチェルはセオドアと目をあわせて顔をほころばせる。
ふたりとも、手を離さない。
ゲホンゴホンと咳ばらいをしに行ってやろうかと思ったら、気配に気づいたのか、セオドアが名残惜しそうに手を離した。
そのあと、顔を近づけ、鼻がくっつきそうな距離でなにか囁いている。レイチェルは頬を染めてうなずくと、ふたりはようやく離れた。
そのあとセオドアは王太子夫妻のところに。
レイチェルは、招待客のところに行き、会話を交わしている。
聞き上手な姫君なので、相手の話に合わせることはお手の物だ。にこにこと愛想よく接している。
この調子なら、社交界デビューもスムーズにいくだろう。
そう感じていたマリーのところに、レイチェルが戻って来た。
マリーは素早く椅子を引き寄せ、近くにいた執事からスパークリングワインの入ったグラスを手に取る。
「おかえりなさいませ。お疲れではないですか?」
椅子に座るレイチェルに、グラスを手渡す。
「ぜんぜん。セオドア殿下のエスコートのおかげだわ」
レイチェルは可憐に笑う。そして、グラスを傾けて喉を潤した。
「なにかお困りごとは?」
「特に。とても楽しい」
屈託なく笑う。この国に来た時からは考えられない表情だ。
「しばらく休憩で……。そのあと、みなで踊るのですって」
「さようですか」
あまり遅くならないといいな、とマリーは考えた。レイチェルのおねむの時間がある。
「マリー」
「はい」
「あなたも踊りなさいな」
そんなことをレイチェルに言われ、目をぱちくりさせた。
「私がですか?」
「ええ」
「姫君と?」
「違うわよ」
くすくすとレイチェルが愉快そうに笑う。そしていたずらを仕掛けるような目で、マリーを見上げた。
「あの武官さんよ。どう?」
「武官?」
誰のことだと眉根を寄せる。レイチェルはあきれたように吐息を漏らした。
「もう。セオドア殿下の侍従武官さんよ。ほら、この前、助けてもらったんでしょう? マリー、ずいぶんと親し気にしているし」
「親しくはしていませんが」
ああ、レオ・アドルフのことか。レイチェルは椅子に座ったまま、マリーを手招きする。
耳を寄せると、こっそりレイチェルが言う。
「殿下もね、踊っていいって。声をかけておくからって」
「いや……別に、あの」
なんで自分がレオと踊るのか。
いまいちよくわからない。
「というか、今日、来てますか?」
「もちろん、ほら。あそこに」
レイチェルが指さす。その指先をたどると、セオドアがいた。その隣に立つのは、非常に背の高い軍服を着た男。
この国では、海軍は白、陸軍は深緑、王宮に仕える武官については黒と、軍服の色が決まっている。
セオドアの侍従武官であるレオは、黒の軍服に、肩口には銀色のモールをつけていた。ズボンには、モールと同じく銀色のラインが入っており、彼の足の長さがさらに強調される。背の低さを気にしているマリーにとって、あの背の高さは本当に鼻につく。
「男前だと思わない?」
レイチェルが言う。
まあ、男前だと思う。
すっと通った鼻筋。薄い唇は冷淡に見えるが、実際は情に厚いことをマリーは知っている。
金色の髪は軍人らしく短く切りそろえられ、青い瞳は澄んで宝石のようだ。
セオドアはレイチェルと同じ20歳。
レオは、マリーよりひとつ上の25歳だというが、落ち着いた雰囲気からはもう少し年齢が上のようにも思えた。
どちらかというと甘く、可愛らしい顔立ちのセオドアと並ぶと、錦絵から出てきた主従のようで、当初、レイチェルもマリーも、「このふたり、できているのでは……」と勘ぐったほどだ。
セオドアが何か言い、レオは顔をこちらに向けた。
「ほらほら」
レイチェルが嬉しそうに、マリーの手首をつかんで揺する。頭がぐらぐらした。レオも、セオドアに背中を叩かれて、頭がぐらぐらしている。自分がいまどんな顔をしているのかわからないが、きっとレオと同じ顔をしているに違いない。
「レイチェル姫」
近づいてきた貴族夫婦が、レイチェルに声をかける。どうやら一緒に王太子夫妻のところに行こうと誘ってくれているようだ。レイチェルはうなずき、立ち上がる。
「じゃあ、がんばってね」
レイチェルは両方のこぶしを握って、こっそり伝えてくれるが、いったいなにをどう頑張れというのか。これならまだ、試合稽古を披露するほうがましだ。
「やあ」
離れていくレイチェルの背中をぼんやりと見送っていたら、声をかけられた。
顔を向ける。
レオだ。
「ダンスを踊らないか」
ぶっきらぼうに誘われる。
「いやですが、仕方ありませんね」
諦め口調でうなずく。
「すまんな。なんだかセオドア殿下が盛り上がっていて」
「かまいませんよ、余興でしょう」
マリーは肩を竦めた。
「このところ、本当にレイチェル姫が楽しそうで……。お礼も兼ねて」
「それはよかった。夫婦仲よくが一番だからな」
真面目な顔でレオがそんなことを言うから、マリーはつい吹き出した。若いのにどこかじじ臭い。
「なぜ笑う」
「いえ、失礼いたしました」
「ところで君には婚約者や……配偶者はいるのか? 本国に残してきた恋人とか」
「私ですか?」
問われて、きょとんと彼を見上げる。
社交界ではもてはやされそうな美青年。第二王子の覚えめでたく、王太子ともパイプを持つパワーエリート。
いつもつんとしているくせに、第二王子のことになると必死になって噛みついてくる。
その彼が、珍しい表情をしていた。
なんというのだろう。ソワソワしているというか。落ち着きがない、というか。
「いませんが」
「それはよかった」
ホッとしたように頬を緩める。そして、ようやくマリーは気づいた。
「ああ、ダンスを気にしてるのですか?」
配偶者や恋人がいるのに、自分がパートナーを務めてもいいのだろうか、ということなのだろう。
「それを言うなら、レオ卿はどうなのです?」
「俺? おらん」
簡潔で、きっぱりとしたお言葉だった。
「引く手あまたでしょうに」
ちょっと驚く。レオは肩を竦めた。
「俺の容姿は人目をひくようだが、中身はそうでもないらしい。すぐにフラれる」
「若干わかります。第二王子が好きすぎるのですよ、あなた」
「主なのだから当然だろう」
「度が過ぎてます」
「君に言われたくないな」
レオが心の底からそう言い、腕を組んでわずかに首を右に傾けた。
「君こそ、誰か相手がいてもよさそうなものだが」
「私は、何事においても強すぎるもので」
マリーはおどけて見せた。
「気も強い、腕力も強い、武芸も強く、酒も強い。これでは殿方は寄ってきませんよ」
「武芸については、俺の方が強かったな」
「まだ言いますか」
ちょっと自慢気なレオを見上げ呆れたマリーだが。
不意に勝気に微笑んだ。
「酒では負けません」
「ほう。では今度お手合わせいただこうか」
レオの瞳にも負けず嫌いの色がきらめく。
「今度といわず、このあとどうです?」
「俺はかまわん」
互いに目を見てうなずきあう。
それを見計らったかのように、楽団が曲を奏で始めた。ダンスが始まったらしい。
「とりあえず、お手を頂戴いたしましょう」
レオが優雅に一礼する。
「ええ。まずは余興と参りましょう」
マリーはレオに手を差し出して優美に笑った。




