6話 侍従武官と侍女、張り合う
その4日後。
レオとマリーは、劇場にいた。
もちろん、セオドアとレイチェルの護衛のためだ。
ふたりはいま、2階のボックス席で肩を寄せ合うようにして舞台を観ている。
レオとマリーはその背後にいる。
ボックス席の出入り口に立ち、会場全体を見回したり、不審な動きをしている者はいないかと目を光らせていた。
さっきまで劇場の執事もいて、飲み物を持って待機していたが、レイチェルがあまりにも劇に没頭しているようなので、退室してもらったところだ。
手すりから身を乗り出さんばかりのレイチェルは、時折セオドアになにか質問をし、セオドアは耳打ちして答えている。後ろから見ていても、非常にほほえましい光景だ。
今日の演目は、この国では結構メジャーな恋愛物語だ。
悲運と身分差を乗り越えて、最後は結ばれるふたりの恋愛物語。
セオドアは、この劇の主人公を演じる俳優と懇意で、スポンサーにもなっている。今回も『ぜひお越しを』と言われていたのだ。
未来の婚約者を連れて行きたいのだ、と伝えるとすぐに最上席を用意してくれ、本日観劇の運びとなったのだが。
劇場警備は手間がかかる。
入場者の手荷物検査、薄暗い中での警備、火事等が勃発した時の逃げ道確保。
マリーとも何度も打ち合わせを行い、ようやく今日を迎えることができた。
レオは壁にもたれ、ちらりと扉口に視線を向ける。特に誰も報告に来ないということは、万事うまく言っているのだろう。
オーケストラが、馴染みある音楽を奏でた。
ちょうど、佳境だ。
愛し合うふたりが引き離される。
会場内でも、ハンカチで目頭を押さえている人がいる。
レイチェルもそのうちのひとりらしい。
ハンカチを探して、膝に乗せたクラッチバックを手探りしている。セオドアがすぐに上着のポケットからハンカチを取り出す。レイチェルは受け取り、涙をぬぐう。その彼女の背を撫でるセオドア。
実に素晴らしい。
レオは満足だった。
思い返せば、出会った直後は緊張していたのだろう。マリーに指摘されて気づくはめになったが、やっぱりあの頃のセオドアは、挨拶以外満足に話していなかった。あれでは嫌われているとレイチェルが思い込むのも仕方ないといえるだろう。
だが、いまやどうだ。
舞台を見て泣く恋人を、優しくなだめるという高等テクニックを卒なくこなしているではないか。さすが我が主。学習能力と発達速度が常人離れしている。
そんなことを考えていたのだが。
ふと、違和感に気づく。
レイチェルがクラッチバックを開けてハンカチを探そうとしたことだ。
いつもなら、マリーが素早く動いて「姫君、これを」とハンカチを差し出しそうなものだ。
それなのに、マリーは自分の隣に突っ立ったまま。
ひょっとして、レイチェル姫を慰める役をセオドア王子に譲ってくれたのだろうか。
ならば礼を言わねば、とレオは思った。
なにしろ、背中しか見えていないが、あのふたりの仲はさらに深まったような気がするからだ。
レオは壁から背を離し、隣のマリーに顔を向ける。
向けて、ギョッとした。
マリーが目からボロボロと涙をこぼしていたからだ。
てっきり、あっちはあっちで「姫君、成長なさいました!」と感動していたのかと思ったのだが、彼女の視線は舞台に釘付け。どうやら、演劇を見て泣いているらしい。
しかも、涙をぬぐうのすら忘れているほど、没頭している。
ためらったものの、レオはポケットからハンカチを取り出し、差し出す。
差し出しても気づかれない。
仕方なく、咳ばらいを二度ほどした。
ようやくマリーが肩を跳ね上げ、不審げにハンカチを見つめる。そのあと、頬を伝う涙に気づいたようで、慌てて受け取った。
「す、すみません」
「いや、別に」
できるだけさりげなくそう言ったのに、マリーの照れ隠しなのか、なんだかにらみ上げられた。
「っていうか、よくこの物語で涙が出ませんね。あなたは人としてどうかしているのでは?」
「この演目、有名な話だからな。もうラストまで細かく覚えている。いいか? このあと、あのふたりは……」
「ちょ……! ネタバレとか人としてやっぱりどうかしていますよ⁉」
「そうか? 不安そうだったから」
「不安ではありません!」
「レイチェル姫も感情移入して大泣きしておられるが、そこはセオドア殿下がスマートに対応されている」
「……そうですか」
やっぱり不満そうに言う。
「あの、このハンカチ。洗って返します」
「かまわん。返せ」
「そういうわけには」
「別に血がついたわけでもなかろう。ほれ」
レオは言うと、素早くマリーの手からハンカチを奪い取り、無造作にポケットに突っ込んだ。
しばらく、マリーが何か言いたげな雰囲気を出していたし、じっと自分を見ている視線を感じたが、レオは気づかぬふりで、会場全体をぼんやりとみつめていた。
「レオ・アドルフ卿」
名を呼ばれる。
「レオでいい」
「……レオ卿」
「なんだ、マリー・フレイズ嬢」
「マリーでかまいません」
「では、マリー嬢」
「これ」
「ん?」
言われて、視線を向ける。
彼女がこぶしを丸めてレオに突きだしてくる。
なんだろう。
じっと見つめたのち、レオもこぶしを握り、彼女のこぶしに当てた。
「違うわよ!」
「そうなのか?」
てっきり、こぶし同士をぶつけあうフィスト・バンプかと思っていた。
「手! 開いて!」
顔を赤くして、マリーがにらみ上げる。
意味が分からず、レオは言われるままに手を開いた。
マリーは、レオの手のひらに、握っていたそれを落とした。
「ん? これ」
包み紙にくるまれた丸みのある菓子。
飴かと思ったが、それよりも少し大きい。
「チョコレートです。この前、飴をいただいたので」
ぶすっとした顔で言われた。
包み紙の図柄といい、たぶん彼女の母国のものだろう。
「別によかったのに」
律儀なやつだ、とレオは苦笑いしつつ、早速包を開いて、チョコレートを口に放り込む。
ごろりとした質感とは別に、つるりとした舌触り。少し歯を当てると、壊れて中からほろ苦く、くちどけのよいものが流れ出てくる。キャラメルだ。どうやらチョコレートボンボンだったらしい。
「うまいな」
「甘党なんですか?」
「酒も好きだ」
「私は酒の方が好きです」
「なんだ、女はみんな菓子の方が好きかと思った」
他意はなくそう言ったのだが、マリーににらまれて失言だと気づく。
「なんなら、飲み比べします? あなたより強いですよ、私」
「へえ、これは楽しみだ。格技では勝ったがな、俺が」
「酒では負けません」
ぼそぼそと。
主の後ろ。
劇場のボックス席の隅っこで、護衛のふたりは「どっちが酒豪か」をアピールし続けた。
その結果、マリーは劇の最重要ラストを見逃し、しぶしぶレオにストーリーをネタバレしてもらったのだった。




