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ホームルームの時間になっても眞柴秀樹が姿を見せないことに、芦名美希は違和感をおぼえていた。すでに教壇には担任が立っている。秀樹は遅刻をするようなタイプではなかったはずだ。
「おら、八重樫。いい加減に席につけ」
千尋が担任から注意を受けて、渋々といった様子で自分の席に戻っていった。
「そうだな、まず、おはよう。――で、ちょっと話があるんだがな」
そこで言葉を切って、担任は深くて長い息を吐き出した。そして言った。
「眞柴のことだ」
えっ、と美希が思ったのと同時に、前の座席の千尋が振り返った。声が出なかったのが不思議なくらいに驚いていた。その証拠に、意識外の動作で手が口元に移動していた。横では男子が「そういえばいねーな」とか「あいつ、いったいなにやらかしたんだ」と軽口を叩き合っている。
何事だろう。
美希は一抹の不安を抱きながら、担任の話に耳を傾ける。
「その……なんだ、眞柴なんだが……ちょっと訳あってな」
担任は言いよどんでは頭をかき、教壇に視線を落とし、どこか本人も迷っているような様子だった。やがて決然とした様子で顔を上げると、クラス全体に視線を向けてから告げた。
「しばらく学校にこられないことになった。それでだな――……」
クラスからどよめきが起こった。いや、起こったのだろうと思う。
――眞柴は、しばらく学校にこられないことになった。
担任は、そう言っていた。
眞柴くんが、しばらく学校にこない?
その先は聞いていなかった。聞こえていなかった。
担任がなにを言っているのかわからなかった。茫洋とかすみはじめた美希の視界の中で、憂いをにじませた千尋の表情だけが現実だった。八重樫千尋の顔は、いまこの状況において、他のなによりも雄弁だった。もっとも信頼性が高かった。
ああ……、それだけで、もう充分だった。
わたしの初恋は終わった、と美希は悟った。
担任に「その日まではクラスメイトに知られたくない」とお願いしたのが仇になってしまったのかもしれなかった。親友である千尋にだけは話していたけれど、こんなことなら、もっと早くに覚悟を決めるべきだった。
けど、もう悩んでも仕方がない。すべてが手遅れだった。
芦名美希に、もう時間は残されていなかった。
いまもなお、千尋は担任から叱られようとも美希を案じて後ろを振り返っていた。
そこではじめて、美希は視界がかすんでいる原因に思い当たった。正確に言えば、かすんでいるのではなく、にじんでいるのだった。
泣いていたのだ。
しずくが首筋を撫でるまで気がつかなかった。
ああ、自分はなんて愚鈍なのだろう。そして愚鈍であるがゆえに、すべてが手遅れとなった。
いや、手遅れなどではない、と美希は思い直す。都合のいいように現実を書き換えてはいけない。
たとえもっと早くに行動をしていたとしても、結果は変わらなかったはずだ。千尋に発破をかけられることで、美希は覚悟を決めた。自分の想いを行動に起こして伝えることにした。自分でもいい加減どうにかしないといけないと考えていた。だから、千尋の後押しはよい契機となってくれた。いくんだ、いくんだ、いくんだ――心の内でつぶやくことで自らを鼓舞し、そして、美希は行動に起こした。
ラブレターを書いたのだ。
結果は、惨敗。
返事がこなかったのだ。
それだけではなかった。
美希の脳裏を、ついこのあいだ見た光景が過ぎる。
呪詛を孕ませた不敵な笑みを浮かべて、芦名美希のラブレターを破いていた秀樹の姿。
破られたことが悲しいのではなかった。封を開けることすら、中身を読んですらもらえないことが、ただ、それだけが悲しかったのだ。あの日から、あの映像が心を痛め続けていた。痛みは涙に変わり、喉の奥からは嗚咽が込み上げてきた。
そう、どのみち叶わなかったのだ。
時期の問題ではなかった。
この初恋が実ることなど、最初からあり得なかったのだ。
眞柴秀樹は、自分を見てなどいなかった。
ふたたび瞳から涙がこぼれ落ちた。頬を伝い――それは、さっき流れたものよりも冷たく感じられた。さも泣き崩れるのを我慢するかのように、自然と、美希の頬が弛緩する。
音にならない声で、美希は千尋に笑いかけた。
「大丈夫だよ」
発した自分でもわかるほどの、無味乾燥としたざらついた声――。
芦名美希は、今週いっぱいで転校するのだった。
本作はこれにて完結となります。
拙作を最後までお読みくださり、ありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけていたなら、嬉しく思います。
ちなみに本作は、ずいぶんと前に書き上げた作品を全面改稿したものでした。
そのあたりも含め、次話の「あとがき」で少しお話しできればと思っています。
よろしければ、そちらもお付き合いいただけますと幸いです。
あらためまして、拙作を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!
犬好茶々
@Inuyoshi_Chacha




