契約
トンネルの中は静まり返り、天井から滴る水滴が、水溜まりを叩く音だけが、等間隔に響いていた。
清は足を止めた。そこには、保線作業に使われたものか、手押し車が捨て置かれていた。彼はその車輪を蹴ると、低い笑い声を漏らした。
「ここなら、誰の目にも触れない。僕たちの自由だ」
「清、やっぱりもう戻ろう」
その時である。清が、ポケットから、折り畳みナイフを取り出したのは。銀色の刃が、僅かな光を反射して、毒蛇の牙のように光った。
「事件が必要なんだ」
彼は淡々と云った。
「事件?」
「そうだ。僕たちが、この退屈な世界の外側へ踏み出すための、大きな一歩だよ。例えば――このナイフで、僕たちのどちらかが、傷を負うとしたらどうだい?」
私は、戦慄した。彼の瞳は、もはや知者ではなく、怪物の如き光を湛えていた。清は、自らの左掌を、その刃でなぞった。
暗がりの中で、黒い液体が、砂利へと滴り落ちる。
「君も、やるんだ。僕たちは、同じ痛みを共有することで、初めてこの平行な格差から自由になれる」
清は、血に濡れたナイフを、私へ差し出した。
その瞬間、私は理解した。彼が求めているのは、道連れであることを。彼一人が進学校という孤独な檻へ入る恐怖から逃れるために、私を共犯者に仕立て上げようとしているのだ。
私の心の中に、哀れみと、それを凌駕する拒絶が湧き上がった。
外では、相変わらず蝉時雨が鳴り続けている。それは、私たちがもう二度と、平凡で無垢な夏の日々には戻れないことを、冷笑を以て告げているようであった。
私は、震える手で、その冷たい鋼鉄の柄を握りしめ、向けた。
ご愛読ありがとうございます。
清が提示した契約。果たして「私」は、その刃を自らに向けるのか、それとも……。
次回、二人の友情が完全に崩壊する。
少年たちの夏は、ここから加速する絶望へと向かいます。




