蝉骸
廃線跡は、次第に色を失い、行く手には古びたレンガ造りのトンネルが開いていた。
その入口近く、枕木の隙間に、一匹の蟬が落ちていた。
羽を半分捥がれ、腹を曝け出したその蟬は、まだ生を諦めてはいなかった。無数の蟻が、黒い奔流となってその肢体に群がり、生きたままその肉を削り取っている。蝉は、脚を震わせるばかりであった。
「残酷だ」
私は、その光景から目を逸らさずに云った。清は、立ち止まり、惨状を冷ややかに見下ろしている。
「残酷?」
清の声には、一抹の感情も混じってはいなかった。
「蟻は食うものと定義され、蟬は食われるものと定義されている。この町の大人たちも同じだ。誰かに使われる者と、誰かを使う者。それが、白線の内側にある論理だろう?」
私は、喉が乾くのを感じた。彼の云うことは正しい。しかし、それは肺腑を切り裂く痛みを伴っていた。
「だから、僕は脱ぐんだよ。この役を」
清は、おもむろに足元に転がっていた石を拾い上げると、蟻に塗れた蟬の上へと、躊躇なく落とした。
鈍い音がして、蟬の震えが止まる。蟻たちは一瞬散ったが、すぐにまた、潰れた肉の塊へと群がった。
「清、君は何を……」
「救ったのさ。食われながら死ぬと云う運命からね」
彼は愉快でもなく、さりとて悲しそうでもなく、唇を歪めた。それは、私が知る清には見えなかった。
トンネルから、冷湿な風が吹き抜けてきた。
私は、古い工具と、彼の石を比べ、どちらがより白線の外側に近いのかを考えた。答えは出なかった。ただ、足元で黒く蠢く蟻の群れが、いつの間にか、私を蝕み始めているような錯覚に陥った。
「行こう。闇の中なら、僕たちの顔なんて、誰にも判りはしない」
清は、そう云ってトンネルに足を踏み入れた。私は、彼の背中を追うべきか、それともこのまま陽光の下へ引き返すべきか、一瞬の迷いを抱いた。しかし、背後の蝉時雨は、最早逃げ場のない怒号のように、私を前方へと押し流すのであった。




