第6話 戻らぬ針は
上玉の青い核を革袋に収め、俺たちは吹き抜けの広場を後にした。
瓦礫の底から吹き上がる冷たい風と、地底の奥底から響く鐘の残響。気にはなったが、深追いする気は毛頭ない。
獲物は手の中にある。欲をかいて足を滑らせた奴から順に、死体となって床を肥やすのがこの世界の掟だ。
崩落を免れた作業用の連絡路を辿り、坑道の上層を目指す。
前を行くシオナの背中では、透き通るような紅水晶の翼が静かに大気を払い、薄紅の膜が俺の周囲の重圧を押し返している。
だが、連絡路の曲がり角を抜けた瞬間、シオナがぴたりと足を止める。
翼を低く伏せ、細い尾を警戒するように跳ね上げた。
「……人の気配だ。複数いる」
「野良か?」
「いや。足音が揃いすぎている。教会の正規部隊だ」
前方の暗がりから、青白い光が揺らめきながら近づいてきた。
金属甲冑の擦れ合う硬い音。そして、鼻をつく薬草と獣脂の焦げる匂い。
教会の部隊が携える、怪異の油脂を燃やす真鍮の吊り香炉だ。鎮静の白煙が、冷え切った坑道の天井を這うように流れてくる。
俺が口を開くより先に、シオナはすでに動いていた。
背の水晶翼と側頭部の角を外套の奥へと引き戻し、深くフードを被って銀の髪を隠す。
相棒の異形の兆候が消え失せると同時に、俺の体を包んでいた薄紅の膜がぷつりと解けた。
――ぐ、と胸の奥を万力で締め上げられたような重圧が襲いかかる。
教会の手が入っていない領域の空気が、剥き出しのまま肺を満たし、視界の端が赤黒く滲む。
右手の柄に巻いた革の下で、生体刀身の肉芽が狂ったように蠢き始めた。
長くは持たない。俺は奥歯を噛み締め、呼吸を殺す。
「誰だ! 武器を収め、その場を動くな!」
怒声が飛び、五人の武装した兵士が姿を現した。
通路の奥には、彼らが設置したばかりの小さな真鍮製の調律炉が据えられ、熱と火花を散らしている。
胸当てに教会の聖印を刻んだ正規の観測小隊だ。先頭に立つのは、髭面に深い傷を刻んだ隊長格の男。
手には分厚い鉄盾とショートスピアを構え、こちらを威圧してくる。傍らには、鉄仮面で顔を覆った記録官の男が吊り香炉を揺らしていた。
背後でフードを深く被ったシオナが、ただの同行者のように俯き、完全に気配を消している。
「……ククッ、野良の生き残りか。こんな深度まで、よく生きて潜り込めたものだな」
鉄仮面の記録官が、喉の奥で乾いた薄笑いを漏らした。
「命からがら逃げ惑ってただけさ。正規の旦那方が来るのが遅かったおかげで、とんだ災難だよ」
俺は肩をすくめ、左手を軽く上げて敵意がないことを示す。
右手は外套の陰に隠し、激しく脈動する生体刀身を柄ごと強く抑え込んでいた。冷や汗が顎を伝う。
「口の減らない男だ。……貴様、腰の革袋に何を入れている。先ほど、この下層で巨大な脈動反応が途絶えた。変異核を回収したな?」
隊長の視線が、俺の腰の膨らみに落ちる。
背後の兵士二名が、牽制するように槍の切っ先をわずかに下げた。
「教会の臨時戦時規定、第七項だ。異常噴出時における坑道内の回収物は、教会が優先的に管理・徴発することになっている。その核をこちらへ引き渡せ。相応の手当金……銀貨二枚の受領証を切ってやる」
銀貨二枚。
あの頭部ほどもある上玉の核を、雀の涙のような端金で巻き上げる気だ。教会の手前勝手な理屈。
だが、ここで武器を抜けば、教会に刃向かった罪で街の居場所を失う。
「おいおい、旦那。規定を盾に取るなら、正確にやってくれよ」
俺は引き攣りそうになる口角を歪め、意識を保つために奥歯を噛み締めながら言葉を返す。
「旦那の言う規定は、公道や整備された浅層の異界の話だろう。ここは坑道の外縁、教会の管轄権が届かない自然発生の領域だ。野良の拾い物に手を出せば、内務査問官に私的略奪の告発が上がる。次の聖務手当が吹き飛ぶことになるが、いいのかい?」
「……何を適当なことを」
「適当かどうか、地上に戻ってから査問官の机を挟んで確かめてみるか? 俺は構わねえが」
隊長の眉が跳ねた。
こいつらは山賊じゃない。規則に縛られた官僚組織の兵だ。だからこそ、身内の査問という言葉は効く。
だが、俺の意識の限界も近かった。
視界が白く明滅し、耳の奥で甲高いノイズが鳴り響く。右手の肉芽が、皮膚を突き破らんばかりに暴れている。
(……長引かせるのは、まずい)
俺は左手を懐へ差し入れた。
兵士たちが身構える。取り出したのは武器ではなく、死体から回収した真鍮の針盤だ。
「略奪の真似事をする前に、こっちを受け取ってもらおうか」
放り投げた真鍮の針盤を、隊長が反射的に手甲で受け止める。
ガラス蓋の下で、針が狂ったように震えている円盤の裏面を見て、隊長の目の色が変わった。
「……観測隊の、個別番号刻印。……貴様、これをどこで手に入れた」
「崩落した外縁の側壁だ。重装兵が一人、鎧ごと噛み潰されて転がってたよ。『戻らぬ針は、報告せよ』と裏に刻んであった。旦那方の仲間だろ」
隊長は針盤を握り締め、目を伏せた。
鉄仮面の記録官も笑いを止め、重苦しい沈黙が小隊を包む。
「……第十四観測班の斥候兵だ。連絡が途絶え、捜索に出ていたのだが……そうか」
「遺体までは担いで来れなかったがな。形見の針盤だけは持ち帰った。……これで、俺がただの火事場泥棒じゃねえことくらいは分かってもらえるだろ」
隊長は深々と息を吐き、槍の切っ先を完全に引いた。
「……すまない。職務とはいえ、無礼を働いた。同胞の遺品を持ち帰ってくれたことに、教会を代表して感謝する」
隊長は腰のポーチから、ずしりと音を立てる革袋を取り出し、俺の足元へ放り投げた。さらに、濁った緑色の小瓶をひとつ添える。
「規定の手当金だ。銀貨十枚ある。それと……その小瓶は教会の除染薬だ。野良の装備では領域の気に当てられるだろう。持っていくといい」
「……ありがたく使わせてもらうぜ」
「その核の所有権について、これ以上の追及はしない。地上へ戻るなら、我々の通ってきた東側の昇降路を使え。比較的安全だ」
俺は足元の革袋と小瓶を拾い上げた。
だが、その瞬間だった。
領域の空気が、脳の奥の神経回路を狂わせたのか。
視界が一瞬、真っ黒に反転する。
耳の奥で、カチリと何かが切り替わる音がした。
「……定時、報告。……位相、確認……応答なし。……脱落、一名――」
気がつくと、踵を返しかけていた隊長が足を止めていた。
針盤を握り締めた隊長の手甲が、白くなるほど強く軋んでいる。
「貴様……今、何と言った?」
隊長の問いかけに、俺は眉をひそめた。
喉がひどく渇き、舌がもつれる。
「あ? ……何がだ。礼ならもう聞いたぜ」
隊長が何に引っかかったのか、俺にはさっぱり分からなかった。
背後で、シオナが息を殺して俺の背中を見つめている気配だけが、冷たく肌に刺さっていた。




