第5話 青い核と擬態の顎
梁の継ぎ目に張り付く三匹の黒影を見据え、俺は石壁の窪みから静かに身を乗り出した。
左腕を伸ばし、先ほど死体から漁った重装弾を装填した拳銃を構える。
息を半分吐き出して止める。
引き金を絞った。
乾いた破裂音が、静まり返った広場を激しく揺さぶる。
放たれた上等な鉛弾が、梁の奥に張り付いていた一匹の胴を正確に撃ち据えた。
悲鳴を上げて肉塊が落下する。その着地音を待たず、俺は流れるように撃鉄を起こし、残る二匹へ連射を叩き込む。
通常弾では致命傷にならずとも、至近からの重い衝撃には耐えきれない。残る二匹もたまらず梁から剥がれ落ちる。
「落ちたぞ!」
地を蹴ると同時に、俺は腰のポーチから粗い紙片を引き抜く。
赤褐色の発火粉を漉き込んだ擦り紙だ。抜き放った左手の鋼鉄ブレードの平へ一気に擦り付ける。
ジャリ、と硬質な摩擦音が走り、鋼の表面にチリチリと燻る赤黒い火花が宿った。持続するのはせいぜい数分だが、腐肉を焼き切るには十分すぎる。
落下し、地面で身悶える一匹の首筋へ、火花を散らすブレードを真上から突き立てる。
じゅう、と肉の焼ける嫌な煙が立ち上り、怪異が痙攣して動かなくなる。
間髪を入れず、横から飛びかかってきた二匹目の顎を、右手の生体刀身で横薙ぎに切り飛ばす。
さらに起き上がろうとした三匹目の頭部をブーツの踵で踏み砕く。
視界の端では、すでにシオナが動いていた。
大鎌の鋭利な切っ先が三日月のような弧を描き、瓦礫の陰から飛び出そうとしていた伏兵を、胴体ごと両断している。
鮮血が床を叩くよりも早く、彼女は冷たい目で切っ先を払う。
取り巻きの四匹を片付けるのに、十秒もかかっていない。
だが、安堵の息を吐く暇などなかった。
右手の刀身と、広場の中央に転がる青い核。
さっきまで揃っていた脈の間隔が、ふいに激しくずれた。
青い核が、突如として脈打つ速度を跳ね上げたのだ。
ズズズ、と地鳴りが広場を揺るがす。
瓦礫の山が内側から大きく隆起し、大量の破片を四方へと弾き飛ばしながら、地下の暗がりから巨大な質量が這いずり出てくる。
「……出たな」
這い出てきたのは、岩と見紛う分厚い甲殻に覆われた、巨大な四足の肉塊だった。
眼球の失われた頭部には、あの重装歩兵の甲冑を胸当てごと噛み潰したであろう、縦に裂けた規格外の顎が覗いている。
歯の隙間には、噛み砕かれた鎧の破片が、いくつも挟まったままになっている。
そしてその頭頂部から、チョウチンアンコウのように一本の太い肉の触手が前方に伸び、その先端に、獲物を誘っていた青い変異核がぶら下がっている。
疑似餌でありながら、本体の生命力を司る本物の核そのものだ。
耳を劈く咆哮が轟き、巨獣の太い前腕が振り上げられる。
間合いはおよそ五歩。あの太さの腕なら、届くはずのない距離だ。
だが、俺の足裏が警鐘を鳴らす。
振り下ろされた前腕の先端から、肉の触手が鞭のようにしなり、見た目の間合いを大きく越えて広場全体を薙ぎ払ってくる。
退路を断つような、異様に広い間合いの一撃。
「ちっ……!」
後ろへ跳べば確実に狩られる。
俺は咄嗟に身を沈め、斜め前へ向けて鋭く低空で踏み込む。
頭上すれすれを、空気を切り裂く肉鞭の突風がかすめ抜けていく。紙一重で潜り抜ける、泥臭い踏み込みだ。
巨獣の懐、左前脚の死角へ潜り込むと同時に、発火粉の熱が残るブレードを関節の隙間へ叩き込む。
だが、分厚い肉の層に阻まれ、刃は骨まで届かない。手応えが鈍い。
刃の火花が、役目を終えたようにふっと消える。鋼にはまだ熱だけが残っていた。
「硬いな……!」
巨獣が苛立たしげに胴体を震わせ、巨大な顎を俺めがけて振り下ろそうとした瞬間。
「ヴァル、下がれ!」
鋭い声が響き、シオナが背後から回り込む。
紅水晶の翼を左右へいっぱいに広げ、床を蹴って巨獣の正面へと躍り出る。真紅の瞳が冷徹に獲物の眉間を射抜く。
巨獣の殺意が、一斉にシオナへ引き寄せられる。
シオナは大鎌の柄の末端を両手で長く握り直し、腰を深く沈める。
遠心力を乗せるための、大きな溜めの構え。
紅水晶の翼が軸を支えるように大気を切り裂き、彼女の細い体がコマのように鋭く旋回する。
身体の回転を限界まで活かした、渾身の一振り。
唸りを上げて放たれた巨大な刃が、巨獣の右前脚の関節へと強烈に叩き込まれる。
ゴキィィン、と鈍い破砕音が広場に木霊する。
関節を叩き折られた巨獣の前足が耐え切れずにひしゃげ、山のような巨体が、ぐらりと前方の敷石へと崩れ落ちる。
巨体が崩れた。好機だ。
「今だ!」
叫ぶシオナの声と、俺の身体の反応は同時だった。
巨獣の頭部が地面に激突し、頭頂部から伸びていた肉の触手――その根元にある剥き出しの生肉が、無防備に目の前へと晒されている。
俺は瓦礫を蹴って跳躍する。
跳躍の頂点、空中で左手の鋼鉄ブレードを反転させ、右手の生体刀身の基部へと押し込む。
ガチン、と金具が噛み合い、二つの刃が一本の長柄の大剣へと変形した。
右手の柄の留め金を締め直す。飢えた生体刀身の肉芽が、革の下で脈を速めた。発火粉の残熱と生体の凶暴性が、ひとつに束ねられる。
落下する自重をすべて乗せ、大剣の切っ先を剥き出しの肉塊へ深々と突き立てる。
ドスゥゥゥッ、と鈍い破壊音が腕を伝い、合体した刀身が骨の奥底までめり込む。
急所を貫かれた肉が激しく痙攣した。
力任せに刃を抉り抜くと、触手の根元が千切れ飛び、人の頭部ほどもある青い変異核が、敷石の上をごろりと転がる。
巨獣は声にもならない断末魔の震えを数度繰り返し、やがてドサリと、完全にその巨体を地面へ沈めた。
「『宝あり』は、嘘じゃなかったわけだ」
「持ち主付きでな。符牒を残した狩人は、あの顎の中だろう」
合体の金具を外し、二本の刃に分けた後、俺は刀身の血を払って荒い呼吸を整える。
取り巻きの死骸から小さな欠片を二つ抉り出し、ピンセットで刀身に与える。肉芽が嬉々として呑み込み、淡い赤の脈動を取り戻す。
シオナが歩み寄り、足元に転がった青い核を素手で平然と持ち上げる。
ピンセットを使わねば触れることすらできない俺とは対照的な、巫女の特権だ。
掌に収まらないほどの大きさだ。あの工房の親父が見れば、今度こそ金貨を出さざるを得ないだろう。
「……見事な一振りだったぜ」
「お前の踏み込みもな。だが、浮かれるな」
シオナは核を革袋へ納め、広場の奥を見据えていた。
巨獣が這いずり出てきた瓦礫の底、崩落した坑道のさらに深部へと続く亀裂から、湿った冷たい風が吹き上がってきている。
その風に乗って、遠く地下の奥底から、微かに何かが鳴り響いていた。
地上の非常鐘とは違う。
もっと重く、地底の深淵から響いてくるような、不気味な鐘の残響が。
右手の刀身が、その響きに合わせて一度だけ脈打った。
振り返ると、シオナの尾が、いつの間にか硬く強張っていた。




