第2話:レベル1の気弱な人間と、甘く溶ける神の秘宝
五体のアンデッドの懐を探ってみたが、食えそうな肉は一つも入っていなかった。
前世から続く三日間の絶食で腹の虫を鳴らした俺が、鼻をヒクヒクさせながら周囲を嗅ぎ回っていると、風に乗って『とてつもない香り』が漂ってきた。
血の匂いでも、腐った肉の臭いでもない。
香ばしく焼かれた神の木の実のような、それでいて濃厚な白い乳と甘い蜜が溶け合ったような、今まで一度も嗅いだことがない天上の香りだ!
香りの発生源は、道の奥にある小さな四角い石の小屋の裏口だった。
その鉄の扉の前には、十五体ほどの感染死体(レベル1)が群がり、バンバンと扉を叩いて中の獲物を引きずり出そうとしていた。
つまり、あの十五体の邪魔な雑魚どもが、俺と『天上の甘い香り』の間を塞いでいるのだ!
「ゴブァァッ!(そこをどけ、レベル1の雑魚ども!)」
俺は拾ったばかりの愛用の『鉤爪付きの鉄の棍棒』を握りしめ、近くに転がっていた黒い鉄の箱の屋根を蹴って大跳躍を繰り出すと、十五体の群れのど真ん中に着地した!
敏捷22の速さで死角へ回り込み、鉄の棍棒で膝を砕き、顎をカチ上げ、頭蓋骨を叩き割る。
わずか少しの間で、鉄の扉の前には動かなくなった十五体のアンデッドの山だけが残されていた。
《レベルアップ! レベル7から『レベル8』に上昇しました!》
俺が肩で息をしながら鉄の棍棒についた黒い血を振り払っていると、目の前の鉄の扉の内側からカチャン、と音がして、扉が細く開いた。
隙間の向こうから顔を覗かせたのは、生きた人間の若者だった。
やせ細った体に黒い枠の目のガラス(メガネ)をかけ、目の下には深い影ができている。
【捕食鑑定】で見ると『人間:ハルト(レベル1/筋力1/戦闘スキルなし)』と表示された。角ウサギどころか、そのへんの芋虫にも負けそうな最弱の人間だ。
ハルトと名乗るその人間は、俺の足元に転がる十五体のアンデッドの死体を見て目を見張り、次に身長百二十センチの俺の緑色の肌と長い耳、そして手にした鉄の棍棒を見て、メガネの奥の目を大きく見開いた。
「き、君が……外にいたゾンビをバール一本で全部倒して、僕を助けてくれたのか……!?」
ハルトは震える声でそう呟くと、一人で勝手に何かを納得したように目を輝かせ始めた。
「そうか、物語で読んだ通りだ……! 世界がゾンビで崩壊したことで、地球にもファンタジーの魔力が溢れ出して、人類を導く『守護精霊』が現れたんだね!」
「ゴブ?(何を一人でブツブツ言ってるんだ、このレベル1のモヤシ人間は?)」
俺にはハルトの言葉などどうでもよかった。
俺の黄色い両目は、ハルトが震える右手に握りしめていた『金色のキラキラした薄い皮に包まれた、小さな茶色い板切れ』に釘付けになっていたのだ。
あの天上の甘い香りは、間違いなくその茶色い板から漂っている!
俺は一歩前に踏み出し、鉤爪の指先でハルトの右手をビシッと指差した。
「ゴブッ! ゴブゴブ!(おい人間! 命が惜しければ、その手に持っている茶色い神の石を今すぐ俺様に寄越せ!)」
ハルトは自分の右手を見て、ハッと息を呑んだ。
そこにあるのは、彼が四日間閉じ込められた小部屋で「最期の食事」として食べようとしていた、『ミルクチョコレート』とかいう食べ物の最後の三欠片だった。
「あ……これが欲しいのかい? そうか、僕を助けるために戦って、お腹が空いているんだね」
ハルトは感動に目を潤ませながら俺の前に片膝をつき、最後のミルクチョコレートを惜しげもなく手のひらに乗せて差し出してきた。
「ありがとう、小さな英雄さん。僕の最後のチョコレートだけど、君が食べてくれ」
俺は警戒しながら鼻を近づけ、二本の指でその茶色い四角い塊をつまみ上げると、ポイッと口の中に放り込んだ。
――その瞬間。
俺のゴブリンとしての脳天に、黄金の稲妻が突き刺さった。
俺がこれまで十五年間生きてきた世界では、「食事」とは空腹の痛みを紛らわせるために泥臭い木の根や腐った死肉を無理やり喉へ押し込む苦行だった。
だが、この世界の『ミルクチョコレート』という茶色い秘宝は、まさに神々の奇跡だった!
俺の熱い舌の上に乗った瞬間、硬かったはずの茶色い塊が、噛むよりも早くトロリと滑らかな『甘い神の脂』の液体へと変わって溶け出したのだ!
次の瞬間、脳髄が痺れるほど暴力的なまでの甘い蜜の味と、濃縮された白い乳の深いコク、そして香ばしい神の豆の芳醇な香りが、生まれて一度も甘味を知らなかった俺の口の中いっぱいに大爆発を起こした!
三日間空っぽだった俺の魔力炉(胃袋)に甘い稲妻が駆け巡り、頭のてっぺんから足の先まで、前世で一度も味わったことのない至福の快感が突き抜ける!
「ゴ……ゴブゥゥゥ……ッ!?」
俺の黄色い目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
あまりの美味さに膝から力が抜け、俺は自分の緑色の両頬を両手で押さえたままその場にへたり込んだ。
(な、なんだこれは……!? こんなの、下界の食い物じゃねえ! 神々が天界で食っている『不老不死の秘宝』か、固形化した純粋魔力の塊だ!! 前世でも、これ一欠片さえ腹に入っていれば、あの魔王軍の幹部なんぞに絶対に負けなかったぞ!!)
俺は喉の奥まで甘い余韻を飲み込むと、自分の四本の指をしゃぶり尽くし、血走った目でハルトの服の胸倉をガッと掴んで揺さぶった!
「ゴブッ!! ゴブゴブゴブッ!!(おい人間!! この茶色い神の秘宝はどこに眠っている!? 今すぐその宝物庫へ俺様を案内しろ、あと百箱寄越せえええっ!!)」




