第6話 断ってくださって構いません
同業組合の会所は、市の北にある。
石造りの二階建てで、一階が受付、二階が理事の部屋になっている。
受付の書記に、工房登録の要件を書き出してもらった。
一、王都に作業場を持つこと。
二、納入の実績を示す控えを備えること。
三、後見人の署名、または理事三名以上の推薦を得ること。
三つ目に、指を止めた。
「これは、男でも同じですか」
「男の方は、二番までで足ります」
書記は顔を上げずに答えた。
「三番は、女の刺し手に付ける条項です。昔からそうなっております」
昔からそうなっている。この言い方を、私は仕事で何十回も聞いた。理由を知っている者は、たいてい誰も残っていない。
「この三番で、断られた例は」
書記が初めて顔を上げた。
「去年、二件ございました。どちらも後見が付かず」
「その後は」
「工房の名で出しておられるのではないでしょうか。どこの工房かまでは、こちらでは分かりません」
分からないのではない。控えに書く欄がないので、書きようがないのである。
「後見人の資格は」
「爵位のある方、または王室納入の役にある方」
爵位は持たないが、買付方は王室納入の役に当たる。
書き出しの紙を折って、外套の内に入れた。
会所を出ると、風が冷たくなっていた。この季節は、王都の石畳が先に冷える。
宿は市の東にある。女将が帳場から出てきて、二階を指さした。
「上にいますよ。今日は朝から枠の前です」
「お邪魔でしょうか」
「邪魔になる人は、そもそも上げません」
階段を上がると、扉が半分開いていた。
北向きの窓の下に机があり、机の上に枠が立ててある。彼女は布の縁を細い紐で引きながら、枠に張っているところだった。
四辺を順に、少しずつ締めていく。一辺だけを強く張ると、対辺が歪む。
私が見るのは、いつも仕上がったものだけである。仕上がりは工程の結果だが、結果からは工程の順序が読めない。読めたつもりでいたことが、この十日で二度あった。
「ハーケ様」
「お手を止めさせました」
「いえ。あと二辺です」
彼女は手を止めなかった。私は扉の内側に立って、それが終わるのを待った。
張り終わった布を、指の腹で二度押す。跳ね返り方を確かめている。それから顔を上げた。
私は組合の紙を机の端に置いた。
「工房登録の要件です。三番目に、後見人か理事三名の推薦とあります」
彼女は紙を読んだ。読む速さが速い。上から下まで一度で読み、それからもう一度、三番のところだけを見た。
「男の刺し手には、この条項がないのですね」
「ありません」
「そうですか」
抗議もなく、落胆の言葉もない。読んだ条件をそのまま受け取って、次に何をするかを考えている顔だった。
「先に、こちらの話をします」
「はい」
「三年前から、私はサンド家の作を買っています。年に二度、私が値をつけて、私が受けてきました」
「はい」
「その間、私は一度も刺し手の名を確かめていません」
彼女は何も言わなかった。
「花芯の癖は、二年目には分かっていました。同じ手だと分かっていて、家の名で買い続けた。控えに刺し手の欄がないことも、私は前から知っています。様式がそうだからと言って、それきりにしていました」
窓の外で、荷車が通る音がした。
「目利きだと言われる仕事をしていますが、私が見ていたのは布だけです。布を作った手のことは、見ていなかった」
「ハーケ様は、値を正しくつけてくださいました」
「値は家に払われました」
彼女が口を閉じる。
私は組合の紙のとなりに、署名の欄のある書面を置いた。
「後見はしますが、断ってくださって構いません。あなたの名で登録する話です」
「断ってもよい、というのは」
「後見人が私である必要はありません。理事の推薦を三名集める道もあります。時間はかかりますが、あなたの手なら集まります。それから、王都で登録しないという道もある。南の領には登録の制度がありません。制度がなければ、印もありませんが、注文は取れます」
「三つ、あるのですね」
「四つ目もあります。今は決めない、というのが四つ目です」
「決めないと、紋章仕事は」
「出せません。私が困ります」
「ハーケ様がお困りになるのは」
「王室の分を、目の届かない工房へ回すことになるからです。それは仕事の話で、あなたが背負う話ではありません」
彼女は書面を見る。手は取らない。
「ハーケ様は、私に後見をしたいのですか」
私は少し考えて、答えた。
「私が三年、確かめずに買っていた分を、返す方法がこれしかないからです」
「それは、ハーケ様のご都合ですね」
「はい」
「では、私の都合で選びます」
彼女は書面を机の端へ寄せる。それから枠に手をかけ、張り具合をもう一度確かめた。
「一晩、枠に張って考えます」
その言い方を、私は初めて聞いた。刺し手の言い方だと思った。布を張って一晩置くと、翌朝には必ずどこかが緩んでいる。緩んだところが、その布の弱いところである。
「では、明日また伺います」
「はい」
階段を降りると、女将が帳場で帳面をつけていた。
「話は済みましたか」
「明日また来ます」
「そう」
女将は帳面から目を上げなかった。
「買付方様。あの人が名前を持つまで、値を下げさせないようにしておやり」
私は答えずに外へ出る。
通りはもう暗くなりかけていた。宿の二階の窓に、灯りがひとつ点いている。夜は刺さないと言っていたから、あれは書きものの灯りだろう。
書きものというのは、たぶん色番と本数の控えである。屋敷にいた頃から続けていると、女将が言っていた。誰も見ない控えを十年続ける人間を、私は他に知らない。
三年前の秋、私は薄紫の一枚を、王室納入の分とは別に自分で買った。理由を訊かれたら、色が良かったからと答えるつもりでいた。訊かれたことは一度もない。
あの一枚は、今も私の部屋の壁に掛かっている。
花芯の段は、三つある。
彼女に言うつもりはない。今日言えば、それは選ばせる話ではなく、借りを作らせる話になる。
三年前の一枚は、まだ私の手元にある。




