第2話 黙ります。
王都を追放されてからちょうど七日。
幾度も馬車を乗り継ぎ、険しい山道を揺られ続けたセレナは、ようやく国境沿いの小さな村へとたどり着いた。
重い瞼をこすりながら馬車を降りると、眼前に広がっていたのは、予想に反した景色だった。
ずいぶんと豊かな村だ。
王都から見れば、険しい山々に遮られた忘れ去られた最果ての地に見えても、ここは隣国側へと続く平坦な街道のすぐそば。
街道の先には、大交易都市が広がっている。
地図の上では自国であっても、経済的にも距離的にも、ここはすでに「隣国の村」と言ってもよかった。
荷物を抱えたセレナに、老人と青年の二人組が近付いてくる。
「移住者か?」
顎に豊かな髭を蓄えた、大柄な老人がたずねた。
「はい」
セレナは答えた。
「名前は?」
「セレナ・アスターです」
老人と青年は顔を見合わせた。
しかし驚いた様子ではない。
もうこんな遠方にまで、話が届いているのだろうか?
セレナは少し不安に思った。
貴族名ではあったとしても、この辺りでは意味を持たないはずと、思い込み過ぎていたのかもしれない。
ここでも受け入れてもらえないのであれば、隣国に行くしかないかもしれない……。
「仕事は何かできますか?」
今度は青年が口を開いた。
濃い茶色の髪と目、日に焼けた肌。一目で健康だとわかる。
「え?」
追い出されるのでは、ない?
それなら、
「報告書の確認です」
セレナは真面目に答えた。
青年は驚いた目をして老人を見た。
「……他には?」
今度は老人がたずねてきた。
「帳簿の確認もできます」
「他には?」
「数字の確認も」
「ふむ、確認しかできんのか」
老人は白い顎髭を撫でた。
「できます」
セレナは焦った。
老人と青年は目を合わせて、何かを伝え合ってるようだった。
老人の名はダグラス。
この村の村長だった。
青年の名はロイ。
ダグラスの右腕として、村の仕事を手伝っているらしい。
セレナは空き家を貸してもらえる事となった。
条件は一つ。
自分の食い扶持は自分で稼ぐこと。
当然である。
セレナは納得した。
翌朝、村を歩いていたセレナは違和感を覚えた。
井戸だ。
村の中央にある井戸。
使っている人は多い。
だが周囲の土が妙に湿っている。
さらに木枠の一部が腐っていた。
セレナは井戸を眺めた。
じーっと。
ひたすら。
じーっと。
通りかかった村人が不安になるくらい。
じーっと。
「何してるんだ?」
声を掛けられた。
村長のダグラスだった。
「井戸です」
「見れば分かる」
「壊れています」
「は?」
セレナは腐った部分を指差した。
「こちらです」
ダグラスはしゃがんで確認した。
少し顔色が変わった。
「おお……」
確かに傷んでいた。
しかも内部まで。
あと数か月放置すれば崩れていたかもしれない。
「なんでわかった?」
「見たので」
「そうじゃなくて」
セレナは首を傾げた。
見た。
観察した。
だから分かった。
それ以外の答えが思い付かない。
ダグラスはしばらく黙った後、
「ロイを呼んできてくれ」
「はい?」
「修理しておく」
と言った。
それだけだった。
「えっ?」
セレナは固まった。
王都なら違った。
まずバカにされ、気分を害したと威圧され、最後に黙れと怒られた。
しかしダグラス村長は違った。
確認した。
そして修理すると言った。
それだけ。
とてもシンプルだった。
こんなに簡単でいいんだっけ?
セレナはロイを探しに行った。
数日後。
今度は村の共同倉庫で異変を見つけた。
小麦袋が天井近くまで積まれている。
しかし壁際だけ色がおかしい。
湿気だ。
床下から上がってきているらしい。
放置すると半分以上が腐る。
「村長」
「なんだ?」
「倉庫が危険です」
「またか」
ダグラスが苦笑する。
一緒に倉庫に行き、二人で確認する。
本当に危険だった。
「ロイを呼んできてくれ」
セレナはロイを呼んで倉庫まで連れてきた。
共同倉庫の修理が決まった。
さらに翌週。
今度は橋である。
村の中を流れる川に掛かる木橋。
一見問題はなさそうに見える。
村人の一人が荷車を引いて渡っていく。
ギィ……と渡し板が軋む音がした。
「この橋……」
セレナは確かめるように欄干に爪を刺した。
湿った柔らかい木肌は、簡単に爪痕を残せた。
橋のたもとに行き、足場をよく見ると、一本の支柱が腐食していた。
今はまだ雨季ではないが、下手をすれば一度の増水で折れる可能性もありそうだ。
セレナはダグラスの元に急いだ。
「村長」
「なんだ?」
「橋が危険です」
村長は空を仰いだ。
「……またか」
セレナは頷いた。
「はい。またです」
「そこは否定してくれんか」
「落ちるのか?」
「本当か?」
ロイや村人たちも橋の近くに集まってきた。
「わかりません」
セレナは答えた。
「ただ、このままでは危険です」
村人たちは急いで橋を調べた。
本当に腐っていた。
「すげぇ……」
誰かがつぶやく。
「セレナさん」
若い農夫が聞いた。
「未来が見えるのか?」
「いいえ」
「じゃあ何でわかるんだ?」
セレナは少し考えた。
そして答えた。
「色々読んできましたので」
「何を?」
「みなさんの現状を」
農夫には全くわからなかった。
ダグラスとロイは、感心したように顔を見合わせた。
しかし村人たちも気付き始めていた。
この人は変だ。
かなり変わってる。
だが、とても助けてくれている。
ある日、セレナの元へ一通の手紙が届いた。
「はい、セレナさん。王都からの郵便だよ」
配達員は初めて王家からの封筒を配達したことに興奮している。
彼女はしばらく王家の紋章印を眺めた。
そして躊躇いもせず、暖炉へ放り込んだ。
「ええええ!?」
配達員が叫ぶ。
セレナの家だという事を忘れ、暖炉の前まで駆け寄った。
「おいおいおいおいっ、読まないのか!?王家からだぞ!?大丈夫なのか!?」
「読まなくてもわかりますので」
「わかるのか!?」
「はい」
セレナは無表情で、配達員は青ざめながら、炎の中で消えていく封筒を見つめた。
戻れ。
説明しろ。
お前何をした。
お前が責任を取れ。
そんなところだろう。
いつでもそうだったから。
だから読まなかった。
もう決めたのだ。
黙るって。
二度と。
誰にも。
もう、何も言わない。
その頃王都では。
一人の若い神官が震える声を上げていた。
「葉が……」
巨大な聖樹の下で、神官たちは青ざめる。
一枚。
また一枚。
さらに一枚。
聖樹の葉が落ちてくる。
まるで落葉樹のように、ひらひらと舞いながら落ちてくる。
急かされ連れてこられた事に文句を言っていた神官長の顔から血の気が引いた。
「急いで報告しろ!!」
数日後。
さらに三枚。
さらに十枚。
さらに百枚。
王国を守る聖樹は、ゆっくりと枯れ始めていた。




