第1話 うるさい女
「ですから、備蓄を増やすべきだと申し上げております」
セレナ・アスターは三度目となる進言を口にした。
だが会議室にいる重臣たちの反応は、またしても冷ややかなものだった。
「またその話か」
財務大臣が露骨にため息をつく。
王国中央会議室。
王太子アルベルトを筆頭に、大臣や騎士団長、神官長が集まる月例会議である。
本来、一伯爵令嬢でしかないセレナが発言する場ではない。
だが彼女は王国監察院に所属し、各地から届く報告書や帳簿をもとに、税収、収穫量などを確認する役目を担っていた。
誰も読みたがらない書類を読み続ける仕事である。
またセレナは、王国で初めて伯爵家から王太子の婚約者に選ばれた令嬢でもあった。
諸外国で女性の社会進出が進む中、遅ればせながら女性の地位向上を掲げ始めたこの国で、象徴として選ばれたのが、彼女だった。
そして中央会議は王族と男性貴族によって構成される。
いくら女性の地位向上を掲げ、貴族令嬢にも会議への参加が認められるようになったとはいえ、それは表向きだけの話。
同席は許されても、発言権はない。
あくまで見学と資料閲覧に限られていた。
しかしセレナには報告すべき職務がある。
そのため、特例として発言を許されていた。
「西部穀倉地帯の収穫量が、三年連続で減少しています」
セレナは資料をめくった。
「このままでは来年、凶作になる可能性があります」
「可能性だろう?」
農業大臣が鼻で笑った。
「毎年似たようなことばかり言ってるじゃないか。飽きないのか?」
セレナは首をかしげた。
「実際、毎年減少しておりますので」
「そういうところだぞ」
誰かがつぶやいた。
会議室に小さな笑いが起きる。
だがセレナには何がおかしいのかわからない。
数字が減っていると報告書が上がってきている。
だから減っていると言った。
それだけだ。
事実は事実だと、セレナは自分に言い聞かせた。
さあ、仕事を続けよう。泣くのはいつでもできる。
「さらに国境警備隊の人数と、支出報告が一致していません」
「今度は騎士団の批判か。勇ましいことだ」
騎士団長が眉をひそめる。
「批判ではありません」
「なら何だ」
「数字があっておりません」
セレナは淡々と答えた。
「帳簿上は四百七十四名です。しかし実際の配給量から計算すると四百三十名程度になります」
沈黙。
そして。
「細かい」
財務大臣が吐き捨てた。
「誤差の範囲だ」
「四十四名です」
「誤差だ」
「四十四名ですが」
「だから誤差だと言っている!」
会議室に再び笑いが広がった。
セレナは困惑した。
四十四名は誤差なのだろうか。
そんな規模の誤差を見たことがない。
財務大臣は続ける。
「国境で彼らが命がけで我々を守ってくれているのだぞ。それをそんな小さな数字でチクチク言うのなら、貴様が前線に立てばよかろう。案外魔物なら、話が合うやもしれんぞ」
会議はしばらく、セレナと魔物の事で盛り上がった。
セレナは聞くともなしに手元の資料を揃え続けた。
会議終盤。
セレナは最後の資料を取り出した。
本当は言わないつもりだった。
だが、どうしても言わないわけにはいかない内容だと決意した。
「聖樹についてご報告があります」
神官長の眉がぴくりと動く。
「聖樹の根元に虫害の兆候が見られます」
空気が変わった。
リエスティア王国。
王都中心部に立つ巨大な聖樹は、国の象徴である。
聖樹の根元から湧き出る清らかな水は、無数の水路となって、王都から広大な農地へ流れ込んでいる。
その水で育てられた作物は、リエスティア産として国内外で高い人気を誇っていた。
豊かな水と肥沃な大地。
聖樹の恵みを受けた農作物。
「病に罹ったら、薬の前に聖樹印の作物を」
これがキャッチフレーズだ。
嗚呼リエスティア、リエスティア。
聖樹に守られし我らの王国。
繁栄を支えるこの巨樹さえあれば、豊かさは永遠に続くと誰もが信じていた。
聖樹は不滅であり、リエスティアもまた不滅。
終わりの時など訪れない。
誰一人として、疑う事はなかった。
たった一人、セレナを除いて……。
「何を馬鹿馬鹿しいことを」
神官長が鼻息も荒く立ち上がった。
「我らが聖樹に、害虫など存在するはずがない!神への冒涜だ!!」
「存在しております」
「そんな報告はない!」
「昨日確認いたしました」
「あり得ない!」
セレナは少し悩んだ。
なぜ怒っているのだろう。
報告が信じられないのであれば、本当に大切なのであれば、確かめに行けばいいだけなのに。
最上席に座る王太子アルベルトは額を押さえた。
「セレナ」
溜め息混じりにセレナの名を呼んだ。
「はい」
「お前はなぜそう問題ばかり探すんだ」
「探してはおりません。問題があるから、報告がきます」
即答だった。
会議室に溜め息が漏れた。
セレナは誰にも見えないように、指を強く握った。
何か間違えただろうか?
だが報告にある、事実しか言えない。
「穀物も減っています」
「……」
「警備隊の人数も合いません」
「……」
「聖樹にも異常があります」
「もういい!」
王太子が声を荒げた。
珍しいことだった。
普段は温厚な人物として知られている。
だが今日は違った。
「お前はいつもそうだ!」
王太子は立ち上がった。
「問題だ、異常だ、危機だと!」
会議室の誰も止めようとはしない。
むしろ安堵しているようだった。
さすが次代の国王陛下、代わりに言ってくれて感謝いたします、と。
「王国への不満でもあるのか!」
「ありません」
「ではなぜ気分を害する!不敬だとは思わぬのか!」
「事実だからです」
重い沈黙が会議室を満たした。
「……プッ」
誰かが吹き出した。
「プッ」
「プッ」
「プッ」
会議室の中にセレナを嘲る笑いが広がる。
「耐えられぬ!」
王太子は笑う者たちを諌めもせず、セレナに向かって決定的な言葉を口にした。
「もうたくさんだ」
冷たい声だった。
「このうるさい女を王都から追放しろ!婚約も、全て解消だ!二度とこの地を踏めると思うな!!」
会議室は鎮まり返った。
セレナは数回まばたきをした。
ーー追放。
いま追放と言っただろうか。
「承知いたしました」
立ち上がり。
一礼する。
誰も引き留めなかった。
誰も困った顔すらしなかった。
ニヤニヤと笑う者と、安堵の表情を浮かべる者に分かれていた。
セレナはそこでようやく理解できた。
みんな、本気でそう思っていたのだと。
退室直前。
セレナは意を決して口を開いた。
本当は言わないつもりだった。
もう追放されるのだから。
でも、この報告だけはした方がいい気がした。「最後にひとつだけ」
王太子がうんざりした顔をする。
「謝罪は受けつけぬ」
「いえ」
セレナは小さく頭を振った。
「来年は凶作になりますので」
会議室の空気が凍る。
「備蓄だけは増やしておいてください」
誰も答えなかった。
セレナは静かに会議室の扉を閉めた。
背後から王太子の声が聞こえてきた。
「最後までうるさい女だな」
王都を出る乗り合い馬車の中から、セレナは夕暮れの空を見上げた。
今日中に出発できて良かった。
少しだけ肩の力が抜けた。
もう報告書を出さなくていい。
もう嫌な顔をされなくていい。
もう説明しなくていい。
そう思うと、不思議と楽だった。
ただ一つ。
王城の聖樹だけが気になった。
根元にいた、あの黒い虫。
あれは少し厄介だ。
あいつは木だけではなく、花にも穀物にも群がる。
……大丈夫だろうか。
セレナは息を吐く。
そして首を振った。
もう自分の仕事ではない。
「……黙ろう」
誰にも聞こえない声で呟く。
その頃、王都の聖樹からは、落ちるはずのない葉が一枚、音もなく地面へと落ちていった。




