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汐待島で、君と夏を渡る  作者: 碓氷さゆ


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第3話 潮が引く夜に、来なかった人ながよ

「これ……おばあちゃんかもしれん」

 そう口にしたあと、夏帆はしばらく写真から目を離せなかった。

 白い灯台の下で笑っている少女。

 夏の光を受けて、まぶしそうに目を細めているその顔が、どうしても澪子に見えた。

 今朝、玄関で「よう来たがねぇ」と笑った祖母とは違う。

 白髪を後ろでまとめて、麦茶を出してくれた祖母とも違う。

 けれど、目元の形や、笑う時の口元に残る少し勝ち気な感じが、どうしようもなく澪子だった。

 湊は、写真を持ったまま黙っていた。

 夏帆の言葉を急かすことも、否定することもしない。ただ、海風に揺れる前髪を片手で押さえながら、静かに待っている。

「ほんとに、行ってもいいの?」

 しばらくして、湊が聞いた。

 夏帆は写真から顔を上げる。

「たぶん」

「たぶんって」

「私も、どうしたらいいかわからんけん」

 正直に言うと、湊は少しだけ困ったように眉を下げた。

「無理なら、今日はやめてもいい」

「ううん。ここまで見たら、聞かん方が気になる」

 言いながら、夏帆は自分の胸の中が落ち着かないことに気づいていた。

 祖母に見せる。

 そう決めたはずなのに、足元が少しふわふわする。

 もし、違っていたら。

 もし、本当に祖母だったら。

 どちらでも、何かが変わってしまう気がした。

 湊は写真を丁寧に保護袋へ戻し、リュックの前ポケットにしまった。

 その動作を見て、夏帆は小さく息を吐く。

 やっぱり、この人は写真を雑に扱わない。

 だから、たぶん大丈夫。

 そう思うことにした。

「おばあちゃん家、こっち」

 夏帆は港から続く道へ足を向けた。

 湊が少し遅れてついてくる。

 さっき一人で歩いた道を、今度は湊と並んで戻る。たったそれだけなのに、景色が少し違って見えた。

 小さな商店の軒先。

 自販機の横に置かれたベンチ。

 斜めに伸びた電線。

 細い道の向こうでちらりと光る海。

 夏帆には見慣れているはずのものを、湊は一つずつ確かめるように見ている。

「写真、撮らんの?」

 夏帆が聞くと、湊はカメラに手を添えたまま首を振った。

「今は、いい」

「好きなんやろ?」

「好きだけど、撮っていい場所かどうか、まだわからないから」

 その答えに、夏帆は少しだけ驚いた。

 景色は誰のものでもない。そんなふうに思っていた。

 でも、湊にとっては違うのかもしれない。

 写真に撮るということは、そこにあるものを自分の中へ持ち帰ることでもある。だから、簡単には向けないのかもしれない。

「変?」

「ううん」

 夏帆は前を向いた。

「ちょっと、ちゃんとしとるなって思った」

「それ、褒めてる?」

「たぶん」

「たぶん多いね」

「湊くんに言われたくない」

 そう返すと、湊が小さく笑った。

 その笑い方は控えめで、でもさっき港で初めて声をかけた時より少しだけ近い。

 夏帆は、そのことに気づいてすぐ、気づかなかったふりをした。

 今は、そんなことを考えている場合ではない。

 祖母の家が近づくにつれて、胸の奥がまた落ち着かなくなる。

 澪子は、どんな顔をするだろう。

 写真を見て笑うだろうか。

 違うと言うだろうか。

 それとも――何も言わなくなるだろうか。

 夏帆は祖母の玄関前で立ち止まった。

 古い木の引き戸。日差しに温められた敷石。軒先で揺れる小さな風鈴。

 さっきまでは懐かしかったその家が、今は少しだけ知らない場所に見えた。

「ここ?」

「うん」

 湊が姿勢を正す。

 夏帆はそれを横目に見て、少しだけ笑いそうになった。

「そんなに緊張せんでも」

「するよ」

「おばあちゃん、別に怖くないよ」

「そういう問題じゃない気がする」

 その言葉に、夏帆は返事をしなかった。

 たぶん、湊の方が正しい。

 これは、知らない家に上がる緊張だけではない。

 誰かの過去に触れる前の緊張だ。

 夏帆が引き戸を開けると、家の奥から澪子の声がした。

「夏帆、早かったがね……あら」

 居間から顔を出した澪子が、夏帆の後ろにいる湊を見て、少し目を丸くした。

 驚いてはいる。けれど、声を荒げたりはしない。

 澪子は湊を一度見て、それから夏帆を見る。

「港で会ったん。道に迷っとって」

 夏帆がそう言うと、湊はすぐに頭を下げた。

「こんにちは。突然すみません。朝倉湊です」

 丁寧な挨拶だった。

 靴を脱ぐ前から背筋が伸びていて、声も落ち着いている。

 澪子は少しだけ目を細めた。

「まあ、遠いところから。暑かったろう。上がりなさい」

「でも、本当に突然なので」

「ええよ。夏帆が連れてきたんなら、悪い子ではないやろ」

「おばあちゃん、それ雑じゃない?」

「夏帆、人を見る目はある方やと思っとるよ」

「そうかな」

「そうながよ」

 澪子はそう言って笑った。

 いつもの笑い方だった。

 夏帆は少し安心しかけて、でもすぐに胸が重くなる。

 これから、そのいつもの空気を変えてしまうかもしれない。

 湊は靴を丁寧に揃えて、遠慮がちに家へ上がった。

 澪子はそれをさりげなく見ていた。

 そういう小さなところを見逃さない人だと、夏帆は知っている。

「麦茶でええかね」

「あ、ありがとうございます」

「夏帆も飲むやろ」

「うん」

 居間へ入ると、扇風機がゆっくり首を振っていた。

 ちゃぶ台の横には、さっきと同じ段ボール箱が積まれている。古いアルバム、祭り道具、食器。手書きの紙が貼られた箱が、静かに夏の光を受けていた。

 湊は部屋の隅の箱を見てから、すぐに視線を戻した。

 写真やアルバムという文字に反応したのかもしれない。

 夏帆はちゃぶ台の前に座り、湊も少し距離を取って腰を下ろした。

 澪子が台所から戻ってくる。

 グラスに入った麦茶の氷が、からん、と鳴った。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 湊は両手でグラスを受け取った。

 澪子はその様子を見て、やわらかく笑う。

「きちんとした子やねぇ」

「おばあちゃん、すぐそういうこと言う」

「言われて困ることでもないが」

 湊は少しだけ耳を赤くしたように見えた。

 夏帆はそれを見て、ほんの少し笑いそうになる。

 けれど、次の瞬間には、写真のことを思い出した。

 いや、写真は湊が持っている。

 でも、その存在がこの部屋の空気の中にすでに混ざっている気がした。

 何から話せばいいのかわからない。

 港で会った。

 迷っていた。

 祖父の写真を探していた。

 その写真の少女が、おばあちゃんに似ていた。

 全部を一度に言えば、きっと変に聞こえる。

 夏帆が言葉を探している間、湊は急かさなかった。

 保護袋の入ったリュックに手を置いたまま、静かに座っている。

 澪子はそんな二人を見て、不思議そうに目を細めた。

「それで、夏帆。どうしたが?」

「おばあちゃん」

「なんね?」

「ちょっと、見てほしいものがあるんよ」

「夏帆の忘れ物なが?」

「違う。湊くんの……おじいちゃんの写真」

 澪子の表情は、まだ穏やかなままだった。

 湊はリュックを開けて、保護袋に入れた写真を取り出す。

 その手つきは、港で見た時と同じように慎重だった。

「祖父の遺品です。突然すみません。でも、もしかしたら、こちらに関係があるかもしれなくて」

 湊はそう言って、両手で写真を差し出した。

 澪子は一瞬だけ湊の顔を見て、それから写真を受け取った。

「古い写真やねぇ」

 最初の声は、ただ懐かしそうだった。

 古いものを見る時の、穏やかな声。

 澪子は写真の紙の端を指で押さえ、目を細める。

 夏帆は、息を止める。

 湊も動かない。

 扇風機の羽音だけが、部屋の中をゆっくり回っていた。

 澪子の視線が、写真の中の灯台へ向かった。

 そして、少女の顔に辿り着く。

 澪子の指先が、写真の端で止まった。

 その瞬間、居間の空気が変わった。

 夏帆は、肌でそれを感じた。

 澪子の顔から笑みが消えたわけではない。驚いて声を上げたわけでもない。

 ただ、表情の奥が静かに変わった。

 遠くを見ているような目になる。

 いま目の前にある写真ではなく、もっとずっと昔のどこかを見ているような目。

「おばあちゃん」

 夏帆は、声を小さくした。

 澪子は答えない。

 写真を見つめたまま、ゆっくりと息を吐いた。

 その横顔を見て、夏帆は確信する。

 祖母は、この写真を知っている。

 いや、知っているどころではない。

 この写真の中に、祖母自身がいる。

「おばあちゃん、この人……知っとる?」

 たまらず聞いた。

 澪子はすぐには答えなかった。

 写真の中の少女を見つめる。

 指先が、灯台の白い輪郭をほんの少しだけなぞった。

「……私ながよ、これは」

 声は、とても静かだった。

「え……」

「若い頃の、私」

 夏帆は、写真と澪子の顔を見比べた。

 白い灯台の下で笑っている少女。

 目の前で写真を持っている祖母。

 年齢も、髪も、声も、全部違う。

 それでも、確かに同じ人だった。

 夏帆の胸がきゅっと詰まる。

 祖母にも若い頃があった。

 そんなことは、当たり前だ。

 当たり前なのに、夏帆は今まで本当にはわかっていなかった。

 祖母は最初から祖母だったわけではない。

 夏帆と同じくらいの年齢で、夏の海の近くに立って、誰かに向かってこんな顔で笑っていた。

「本当に?」

 夏帆が聞くと、澪子は少しだけ苦笑した。

「そんな顔せんでも。私にも若い頃くらいあったがね」

 いつもの口調に戻そうとしているのがわかった。

 けれど、声の奥には戻りきらない何かが残っていた。

 湊は姿勢を正した。

 写真の少女が澪子本人だと知って、彼も言葉を失っている。

 湊の祖父が残した写真の中の少女。

 その人が、いま目の前にいる。

 その事実が、部屋の中に静かに重く沈んだ。

「祖父が撮った写真だと思います」

 湊が言った。

 声が、少しだけ緊張している。

 澪子は写真から目を離さずに聞いた。

「おじいさんの、お名前は?」

 湊は一度だけ息を整えた。

「祖父の名前は、朝倉晴臣です」

 澪子の目が、そこで止まった。

「……晴臣さん」

 その名前は、長い間閉じられていた箱の鍵みたいに、居間の空気を開けてしまった。

 夏帆は、祖母のこんな声を聞いたことがなかった。

 懐かしいだけではない。

 驚きだけでもない。

 胸の奥にしまっていたものが、急に光に当てられてしまったような声。

「ご存じ、なんですか」

 湊が慎重に尋ねる。

 澪子は写真を見つめたまま、ほんの少しだけ笑った。

「忘れるほど、器用ではなかったけんね」

 夏帆は何も言えなかった。

 その一言だけで、祖母の中に長い時間があることがわかった。

 夏帆の知らない年月。

 湊の知らない年月。

 晴臣という名前を、澪子がどういう気持ちで抱えてきたのか、今の夏帆にはわからない。

 ただ、その名前が軽いものではないことだけはわかった。

 湊は静かに頭を下げた。

「祖父の遺品の中に、この写真がありました。家族は誰も、この写真のことを知らなくて。祖父も、何も話していなかったそうです」

「そう……」

 澪子は写真を膝の上に置くようにして、両手でそっと持った。

 まるで、古い手紙を読む前みたいだった。

「あの頃、汐待島に東京から来た子がおったんよ」

 澪子の声が、少し遠くなる。

 夏帆は思わず息を詰めた。

 汐待島。

 やっぱり、その名前がここに繋がる。

「東京から?」

「そう。夏の間だけ、親戚の知り合いのところに来とったんやったかな。詳しいことは、もう忘れてしもうたけど」

 忘れた、と言いながら、澪子の声ははっきりしていた。

 忘れていない。

 夏帆には、そう聞こえた。

「写真ばかり撮りよった。港も、坂道も、神社も、何もない道まで」

「おじいちゃんらしいです」

 湊が小さく言った。

 澪子は湊を見る。

 その目に、ほんの少しだけ柔らかさが戻った。

「あなたも、写真を撮るが?」

「あ、はい。祖父の影響で」

「そう」

 澪子は少しだけ頷いた。

「似とるんやね」

 湊は答えられなかった。

 祖父に似ていると言われたことが、嬉しいのか、重いのか、自分でも決めきれないような顔をしていた。

 澪子は写真の灯台を指で示した。

「これは、汐待島の白灯台やと思う」

「白灯台……」

 夏帆が繰り返す。

「島の人は、そう呼びよった。正式な名前なんか、あったかもしれんけどね。みんな、白灯台って」

「おばあちゃん、そこに行ったことあるん?」

「あるよ。昔は、よう行きよった」

「晴臣さんと?」

 聞いてから、夏帆は少し踏み込みすぎたかと思った。

 けれど澪子は怒らなかった。

 写真を見たまま、遠くを思い出すように目を細める。

「何度か案内したがよ。道がわからん言うけん」

 その言葉の端に、わずかに笑みがにじんだ。

 若い澪子が、東京から来た少年を案内している。

 白い灯台へ向かう道を、少し得意げに歩いている。

 夏帆の頭の中に、そんな光景が浮かびかけた。

「何もない島なのに、綺麗やって言うてね」

 澪子は、ぽつりと言った。

「何もないのが、ええんやって」

 夏帆は写真を見た。

 白い灯台。

 夏の海。

 その下で笑う若い澪子。

 きっと晴臣は、その光景を綺麗だと思って撮ったのだ。

「この写真も、その時のものなんやね」

「たぶんね」

 澪子は静かに答える。

 湊は、何かを確かめるようにリュックからもう一つ保護袋を取り出した。

「写真の裏に、文字がありました」

 澪子の指先が、また少しだけ止まる。

 湊は写真を裏返して見せた。

 夏帆も、すでに見たはずの文字をもう一度見る。

 潮が引く夜、灯台の下で待つ

 澪子はその文字を見つめた。

 長い沈黙が落ちる。

 氷が溶けて、グラスの中で小さく音を立てた。

「……まだ、残しとったんやね」

 澪子が呟いた。

 それは、誰に向けた言葉なのかわからなかった。

 湊に向けたのか。

 写真の中の晴臣に向けたのか。

 それとも、昔の自分に向けたのか。

「それは、どういう意味ですか」

 湊が聞いた。

 とても静かな声だった。

 澪子はすぐには答えなかった。

 写真の裏の文字から視線を外し、少しだけ庭の方を見る。

 網戸の向こうで、夏の光が揺れている。

 扇風機の風が、澪子の白髪をほんの少しだけ動かした。

 そして、澪子は言った。

「潮が引く夜に、来なかった人ながよ」

 夏帆は息を止めた。

 湊も、動かなかった。

 来なかった人。

 その言葉だけで、何があったのかを全部聞いたような気がした。

 けれど、本当は何もわかっていない。

 潮が引く夜。

 灯台の下。

 待つ。

 写真の裏に残された言葉と、澪子の言葉が、夏帆の中で重なる。

 晴臣は来なかった。

 澪子は待っていた。

 たぶん、ずっと。

 その夜だけではなく、その後の長い時間の中でも。

 湊の顔から血の気が引いたように見えた。

「祖父が……」

 湊は言いかけて、言葉を失った。

 澪子は、湊を見た。

 その目は責めていなかった。

 それが、かえって重かった。

「あなたが謝ることではないがよ」

「でも」

「昔のことながよ」

 澪子は写真をそっとちゃぶ台の上に置いた。

 手放すというより、これ以上持っていられなくなったように見えた。

「もう、ええんよ」

「おばあちゃん……」

 夏帆が呼ぶと、澪子はいつものように笑おうとした。

「夏帆、そんな顔せんでええ」

「でも」

「ほんとに、昔のことなが」

 穏やかな声だった。

 でも、閉じている声でもあった。

 これ以上は入ってこないで、と言っているような声。

 夏帆はそれ以上、聞けなかった。

 聞きたいことはたくさんある。

 晴臣とどこで会ったのか。

 どんな話をしたのか。

 どうして潮が引く夜に会う約束をしたのか。

 どうして晴臣は来なかったのか。

 澪子はどれくらい待ったのか。

 でも、どれも今聞いていい気がしなかった。

 湊も同じだったのか、唇を引き結んだまま黙っていた。

 部屋の中には、麦茶の氷が溶ける音と、扇風機の低い羽音だけが残っていた。

 夏帆は、ちゃぶ台の上の写真を見る。

 写真の中の澪子は、何も知らない顔で笑っていた。

 その先にある約束も、待つ夜も、来なかった人も、まだ知らない顔で。

 こんな顔をしていた祖母がいた。

 こんな顔を失くした祖母が、今、目の前にいる。

 そのことが、夏帆の胸に重く沈んだ。

「汐待島って、今も行けるん?」

 夏帆は、気づくとそう聞いていた。

 澪子が顔を上げる。

「夏帆」

「行けるん?」

 自分でも、なぜこんなに知りたいのかわからなかった。

 でも、写真を見て、澪子の言葉を聞いて、このまま何も知らないふりをすることはできないと思った。

 湊も夏帆を見ていた。

 その目には、迷いと、知りたい気持ちが両方あった。

 澪子はしばらく黙っていた。

 やがて、小さく息を吐く。

「行けることは行けるが」

「船、あるん?」

「朝と昼と夕方くらいなが。今は本数も少ないけん」

「少ないんやね」

「島は、昔ほど人もおらんけんね」

 澪子はそれ以上言わない。

 でも、止めもしなかった。

 夏帆は、その沈黙の意味を考える。

 行ってほしくないのか。

 それとも、止める権利はないと思っているのか。

 澪子は麦茶のグラスに視線を落としたまま、静かに言った。

「行くなら、船の時間はよう見ときなさい」

「うん」

「最終便、逃したら帰れんなるがよ」

 その言葉に、夏帆の中の遠い記憶が少しだけ震えた。

 子どもの頃にも聞いた声。

 帰れんなるがよ。

 港のカラスの声と一緒にしまわれていた言葉。

 でも今聞くそれは、ただ船の時間を心配する言葉だけではない気がした。

 帰れなくなる。

 戻れなくなる。

 知らなかった頃の自分には、もう戻れなくなる。

 そんな意味まで含んでいるように聞こえた。

 澪子はもう一度、写真を見た。

 白い灯台の下で笑う若い自分。

 そして、静かに目を伏せる。

 夏帆は、その横顔を見つめた。

 写真の中の祖母は、白い灯台の下で笑っていた。

 けれど目の前の澪子は、その夏をもう二度と開けたくないように、静かに目を伏せていた。

 夏帆はその時、汐待島へ行かなければいけない気がした。


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