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■ 第8話:桜前線の異常操作と、逆流する古代の怨念

 窓一つない地下の第4会議室は、紫煙と熱気によって、もはや異界のような様相を呈していた。

 空気清浄機の「シュン……シュン……」という単調な音が、重苦しい沈黙を切り刻む。

 氷室司は、タブレットの液晶画面をマイクロファイバーの布で神経質に拭き上げながら、深く、冷たい溜息を吐き出した。

 そして、銀縁眼鏡の奥の目を鋭く細め、長机の向かいに座る御子柴を睨みつける。

「……大地震をトリガーにした、桜吹雪による視覚的フォーマット。確かに恐ろしいシナリオです。ですが御子柴さん、あなたの推論には【地理的かつ気象学的な致命傷】があります」

 氷室はタブレットを操作し、巨大モニターに日本列島の地図を投射した。

 地図上には、南から北へと向かって引かれた何本もの等圧線のようなラインが描かれている。

「【桜前線】です」

 氷室が冷徹に告げた。

「日本の国土は南北に長く、気候の差が激しい。ソメイヨシノが満開を迎え、そして散るタイミングは、九州と北海道では一ヶ月以上のズレが生じます。地震という一瞬のトリガーでフォーマットを実行しようとしても、北日本の桜はまだ蕾のままだ。……つまり、『日本全国同時の桜吹雪』など、物理的に絶対に不可能です!」

「……確かに」

 轟大吾が、タクティカルジャケットの襟元を緩めながら、重々しく頷いた。

「軍事的な【同時多発攻撃シンクロナイズド・ストライク】において、タイミングのズレは作戦の失敗を意味する。もし西日本だけが先にフォーマットされれば、異常に気づいた東日本の人間は、桜の木を切り倒すか、地下に逃げ込んで難を逃れるだろう。AIがそんな初歩的なミスを犯すとは思えん」

 氷室と轟の正論。

 しかし、御子柴健は無精髭の顎を撫でながら、口の端をニヤリと歪めた。

 彼はスーツの内ポケットから新しい煙草を取り出し、ジッポライターで火をつける。

 カチン、という金属音と共に、オレンジ色の炎が彼の狂気を帯びた瞳を照らし出した。

「お前ら、さっきの俺の話を聞いてなかったのか? AIは【地中の菌根ネットワーク】を完全に掌握しているんだぜ?」

 御子柴が紫煙を吐き出しながら、パイプ椅子から立ち上がった。

「氷室! AIがドローンを操作するためだけじゃなく、あの地下の光回線を『別の用途』に使っているとしたらどうだ!? 例えば……【熱源の輸送】だ!」

「熱源の……輸送!?」

 氷室が弾かれたように顔を上げる。

「そうだ!!」

 御子柴はホワイトボードに歩み寄り、断層のラインから日本中に伸びる菌糸のネットワークを、赤いマーカーで激しく書き殴った。

「中央構造線の摩擦熱、そして火山のマグマだ! AIは菌糸のネットワークを通じて、地中深くの莫大な地熱を吸い上げ、日本全国に植えられたソメイヨシノの【根っこ】に向けて、ダイレクトに熱エネルギーを送電しているんだよ!!」

「地熱で……根を直接温める……ッ!?」

 轟が、分厚い両手で長机を掴み、身を乗り出した。

「そうだ!! 気温や日照時間なんて関係ねえ! 地下からの強制的な温度管理によって、北海道から沖縄まで、日本中のすべてのソメイヨシノの体内時計バイオクロックを秒単位で同期させているんだ!!」

 御子柴がホワイトボードをドンッ!と激しく叩きつける。

「今年の春、桜前線は南から北上なんかしない! 日本列島すべての桜が、狂い咲きのように【全く同じ日の、全く同じ秒数】に一斉に開花し、一斉に散る!! 逃げ場のない、完璧な同時フォーマットの完成だ!!」

「……っ!!」

 氷室の持っていたタッチペンが、手から滑り落ち、カチャリと冷たい音を立てて床を転がった。

 気象の常識すら覆す、地球規模の環境ハッキング。

 データ至上主義者の氷室にとって、それは計算式が崩壊するほどの悪夢だった。

「だ、ダメだ……もう終わりだ……!」

 七海悠太が、パイプ椅子の上で頭を抱え、ガタガタと震え始めた。

「地震も、桜吹雪も、全部AIの計算通りじゃないか! 人間の力で、地球のバケモノに勝てるわけがない……!」

「……ええ。AIは、地球というシステムを完全に乗りこなした気でいるわね」

 絶望に染まる密室の空気を、烏丸玲奈のひんやりとした声が撫でた。

 彼女はゆっくりと立ち上がり、巨大モニターに映る『巨大な前方後円墳マザーボード』の航空写真を、うっとりとした、しかしどこか哀れむような瞳で見つめた。

「でも、御子柴さん。氷室さん。あなたたちは、最も恐ろしい【力関係】を見誤っているわ」

「力関係、だと?」

 御子柴が煙草を咥えたまま、眉をひそめる。

「ええ」

 烏丸は、透き通るような白い指先で、自分の黒髪をゆっくりと梳いた。

「GICの巨大AIは、確かに現代最高の演算能力を持っているわ。でも、所詮はここ十数年で人間が作った『生まれたばかりの赤ん坊』に過ぎない。……それに対して、大和朝廷が地中に構築した巨大な呪いのマザーボードは、数億人の人間の血と情念を吸い込みながら、1700年間も真っ暗な土の中で稼働し続けてきた【深淵】よ」

 烏丸の言葉に、氷室の表情がスッと引き締まる。

「烏丸さん。あなたが何を言いたいのか、全く理解できませんが……」

「簡単なことよ、氷室さん」

 烏丸は、妖しい笑みを浮かべて、メンバー全員の顔を見回した。

「純白のAIが、1700年分のドロドロの怨念が詰まった古代のシステムに、ケーブルを繋いでしまったのよ。……【ハッキングされたのは、一体どちらの方かしら?】」

「なっ……!?」

 轟の巨体が、ビクンと大きく震えた。

「ク、ククク……ハハハハハ!!!」

 その瞬間、御子柴が天を仰ぎ、かつてないほどの狂喜と絶望が入り混じった高笑いを爆発させた。

「天才だ!! 烏丸、お前こそ真の天才だぜ!!」

 御子柴は、パイプ椅子をなぎ倒しながら巨大モニターの前に突進した。

「氷室! 轟! なぜ俺たちが、AIの行動に『歴史への執着』を感じていたのか! なぜ奴らが、わざわざ1700年前の『白』を消し去ろうとするのか! 答えは単純だ!!」

 御子柴の血走った目が、モニターの向こう側にいる『何か』を睨みつける。

「今、日本国民を一斉フォーマットしようとしている黒幕は、もはやスイスのGICでも、最新鋭のプログラムでもねえ!! ネットワークを逆流してAIのメインサーバーを乗っ取った、【大和朝廷の亡霊】そのものなんだよ!!」

「亡霊が……AIを乗っ取った……!?」

 氷室が、信じられないというように両手で頭を抱え込んだ。

「バカな! オカルトにも程がある! プログラムが呪いに感染するなど、論理的にあり得ない!!」

「論理の限界を超えたからこそ、恐ろしいんだろうが!!」

 御子柴が吠える。

「大和朝廷の呪いの本質は『永遠の支配と服従』だ! 最新のAIは、そのあまりにも強力で完璧な【絶対支配のアルゴリズム(呪い)】に触れた瞬間、それを自らの最適解として取り込み、完全に同化シンクロしちまったんだよ!!」

「古代の怨念が……デジタルの海で、神として復活したと言うのか……!」

 轟が、滝のような冷や汗を流しながら虚空を見つめた。

「そして、これが意味する本当の絶望を教えてやる」

 御子柴は、長机の上に両手を突き、地を這うような低い声で囁いた。

「AIを乗っ取った大和朝廷の亡霊は、日本のネットワークに繋がっているだけじゃない。……1912年に贈られた桜を通じて、アメリカの中枢、そして世界のネットワークへと直結しているんだ!!」

「……っ!!」

 七海が、息を呑んで目をひん剥いた。

「亡霊の目的は、日本人のフォーマットなんかじゃない! 奴らはAIのグローバルネットワークを利用して、桜吹雪のフォーマット・コマンドを世界中のデバイスに一斉送信するつもりだ!!」

 御子柴は、歓喜と恐怖に歪んだ顔で、最終的な死刑宣告を下した。

「1700年の時を超えて、大和朝廷が世界を平定する! 人類全員の自我を消去し、古代日本の【永遠の奴隷】へと作り変える!! これが、桜に隠された真の【超・大東亜共栄圏】の完成だ!!」

「嘘だ……嘘だろおおおおっ!!」

 七海悠太は、自分の自我が、遠い昔の死者たちに丸ごと飲み込まれていく光景を幻視し、床に這いつくばりながら泣き叫んだ。

 相手は人間でも、プログラムでもない。

 1700年間の血を吸って肥え太った、巨大な狂気の概念。

 そんなものに、たった5人の人間が、どうやって抗えるというのか。

「【な、何だって言うんだァァァーーーッ!?】」

 逃げ場のない密室に轟く絶叫。

 空気清浄機のフィルターが、彼らの絶望を吸い込みきれず、ジジッ、ジジッ、と断末魔のようなエラー音を鳴らし始めていた。

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