■ 第3話:GHQの植樹計画と、逆輸入されたピンクの呪い
紫煙が充満する第4会議室の空気清浄機が、絶望的な音を立ててフィルターを回している。
アメリカに桜を贈ったことで日本の「永遠の繁栄の鎖」がちぎれ、国力を奪われた結果が太平洋戦争の敗北であった。その壮大で残酷な因果律に、七海悠太は机に突っ伏したまま、呻き声を漏らすことしかできなかった。
「……待ってください。御子柴さん、烏丸さん」
沈黙を破ったのは、やはり氷室司だった。彼は乱れた銀縁眼鏡を几帳面に直し、タブレットの画面を厳しい目つきで睨みつけた。
「百歩譲って、桜の寄贈によって戦前の日本のエネルギーがアメリカに流出したとしましょう。ですが、歴史の『その先』のデータが説明できません。敗戦後、日本は焼け野原から奇跡的な復興を遂げ、世界第二位の経済大国にまで成長した。繁栄のエネルギーを全てアメリカに奪われたままなら、高度経済成長期など絶対に訪れないはずです!」
「……確かに」轟大吾が腕を組み、重々しく頷く。
「軍事占領下からのあそこまでの急回復は、世界の歴史上でも類を見ない。もし日本の霊的な防壁に穴が開いたままだったのなら、戦後も延々と諸外国に食い物にされていたはずだ。どこかで『穴』が塞がれたと考えるべきか?」
「塞がれたんじゃないわ。……『プラグ』を差し込まれたのよ」
烏丸玲奈が、ふふっ、と艶やかな笑みを浮かべた。彼女は黒いタートルネックの袖を指先で弄りながら、モニターに映る戦後の白黒写真に視線を送る。
「氷室さん。戦後、焼け野原になった日本で、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が推し進めた復興政策の中で、とても奇妙な『環境整備』があったわよね?」
「環境整備……?」氷室が猛烈な勢いで過去のデータを検索する。
「……戦災復興都市計画の一環での、大規模な植樹活動ですね。公園や河川敷、学校などに、大量の樹木が植えられました。その中で圧倒的な割合を占めていたのが……『ソメイヨシノ』です」
「そう! ソメイヨシノだ!!」
御子柴健が、パイプ椅子から身を乗り出し、机をドンッと叩いた。
「いいか、氷室! 江戸時代末期に作られたとされるソメイヨシノは、すべて一本の原木から接ぎ木で増やされた『クローン(同一遺伝子)』だ。戦後、日本中に植えられた桜の99パーセントが、このソメイヨシノに置き換わった! なぜGHQは、わざわざクローンの桜を日本中にばら撒いた!?」
「それは……成長が早く、花が葉より先に咲き誇るため、見た目が華やかで復興のシンボルとして最適だったからです。それにクローンなら品質が均一で管理しやすい」氷室が冷静に反論する。
「管理しやすい、か。……轟、お前ならどう見る?」
御子柴の視線を受け、轟は分厚い胸板を張り、鋭い眼光を放った。
「インフラの規格統一……つまり、『情報統制ネットワークの構築』だ。クローンということは、すべての木が全く同じ受信周波数(DNA)を持っているということ。もしソメイヨシノが何らかのアンテナだとしたら、一本の送信機から日本中の桜へ、全く同じ指令を同時にダウンロードできる完璧な放送網になる!」
「なっ……!?」氷室が絶句する。
「その通りだ!!」御子柴が咆哮した。
「話を1700年前に戻すぞ! 大和朝廷が卑弥呼の血を吸わせて『ピンク色』に染め上げた桜! それは『大和朝廷への絶対服従』を強いる呪いのアンテナだった! だが、アメリカはポトマック河畔の桜を通じて、その呪いのシステムの『管理者権限』をハッキングしちまったんだよ!!」
「管理者権限の……奪取……!?」七海が顔を上げる。
「ああ!! アメリカは太平洋戦争で日本を物理的に破壊した後、今度は精神を完全に支配するために、ポトマック河でアメリカの土壌を吸い上げた桜のデータをベースにして、GHQに命じたんだ! 『アメリカの命令を絶対的に受信する新しいアンテナ(ソメイヨシノ)を、焼け野原の日本中に植え直せ』ってな!!」
御子柴はホワイトボードの日本地図を、ピンク色のマーカーで乱暴に塗りつぶした。
「戦後の日本人が、春になるたびにソメイヨシノの下に集まり、酒を飲んで浮かれている間! 奴らの脳髄には『アメリカの庇護下で働き蜂になれ』という強烈な同調圧力が、一斉にダウンロードされていたんだ! だから日本は、文句も言わずにアメリカの都合のいい下請け工場として、がむしゃらに働き続け……それが結果的に『高度経済成長』という歪な繁栄を生み出したんだよ!!」
「アメリカの庇護下で……」
轟が、ギリッと奥歯を噛み鳴らす。「完全に自立した国家としての成長じゃない。飼い主に従順な猟犬に育て上げるための、インプラント手術だったと言うのか……GHQの植樹計画は!!」
「さらに恐ろしい事実があるわ」
烏丸が、冷たい声で議論に割り込んだ。彼女の瞳には、一切の感情が宿っていない。
「ソメイヨシノはクローンだから、種から発芽して自然に繁殖することができない。つまり……『自らの力で未来に命を繋ぐ力』が欠落しているの。寿命も60年程度と、本来の桜に比べて異常に短い。……これって、戦後の日本人の精神構造そのものじゃないかしら?」
「精神構造……?」氷室が眉をひそめる。
「ええ。他国から与えられた平和と繁栄を享受するだけで、自立する意志を持たず、ただ同じ顔をして同調圧力の中で一斉に咲いて、一斉に散っていく。……クローンの桜を愛でることで、日本人の魂そのものが『クローン化』されていったのよ」
「……っ!!」氷室が、タブレットを握る手をブルブルと震わせた。
「それでは……我々が毎年見上げて『美しい』と感じていたあの満開の桜は……! 日本の美でも何でもない! 戦勝国が敗戦国に突き立てた、洗脳のための注射針だったと言うんですか!!」
「そうだ!!」御子柴が悪魔のような笑みを浮かべる。
「だから今、GICの巨大AIは、歴史のデータベースから『1700年前の桜は白一色だった』という事実を必死に消し去ろうとしているんだ!!」
「あ……!」七海が息を呑む。
「AIは、日本国民の脳を巨大な生体ボットネットとして利用しようとしている! そのために、アメリカが戦後に作り上げた『ピンク色のソメイヨシノ(洗脳ネットワーク)』をそのまま流用するのが一番手っ取り早いからだ!!」
御子柴は、巨大モニターに映る『ERROR』の文字を指差した。
「もし国民が、『本当の桜は純白で、自分たちが支配されていない独立した魂を持っていた時代があった』という事実を知ってしまったら、洗脳のノイズ(エラー)になりかねない! だから奴らは、歴史を改ざんして『桜は古代からピンク色で、日本人はずっとこのシステムの中で生きてきたんだ』と、俺たちの無意識に完璧な嘘を上書きしようとしているんだよ!!」
「嘘だろ……」
七海は、パイプ椅子から崩れ落ちそうになりながら、両手で頭を抱え込んだ。
子供の頃から、家族でシートを広げて笑い合ったお花見。卒業式や入学式で、別れと出会いを彩ってくれたピンク色の花びら。
その全てが、自分たちから「独立した自我」を奪い、アメリカや巨大AIにとって都合の良いクローン人間にするための、恐るべきマインドコントロール装置だっただなんて。
「俺たちの青春も……思い出も……全部、あのピンク色の化け物に操作された『偽物』だったって言うのかよ……!!」
逃げ場のない地下の密室に、真実を知ってしまった青年の悲鳴が響き渡った。
「な、何だって言うんだァァァーーーッ!?」
空気清浄機が、絶望をあざ笑うかのように駆動音を鳴らす中、彼らの吐き出す紫煙だけが、唯一の「抵抗の証」として漂い続けていた。




