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光よ、満ちろ  作者: 織 航(しき わたる)


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第43話 光よ、満ちろ

 小さな声だった。

 黒い光の轟きに、消えてしまいそうな声だった。

 それでも、術式が応えた。

 胸の奥で、白いものが灯る。

 右腕の光が強くなる。

 手のひらから、指先から、肩へ、胸へ、身体の奥へ。

 光が逆流するように満ちていく。

 僕は、続きを言った。


「満ちろ」


 その瞬間、身体の内側から光が溢れた。

 白い衣装の内側。

 胸の奥。

 喰われた腕。

 切り取られた傷。

 何度も使われた器の底。

 そこから、光が満ちていく。

 外へ向かってではない。

 まず、僕の中を満たした。

 痛みが消えたわけではなかった。

 怖さが消えたわけでもない。

 それでも、その痛みも、怖さも、光の中にあった。

 消さなくてよかった。

 なくさなくてよかった。

 震えたままでよかった。

 黒い光が、僕の右手の前で止まった。

 白い光が広がる。

 ぶつかるのではない。

 押し返すのでもない。

 黒い光の中へ、白が染み込んでいく。

 まるで、暗い水の底へ朝が落ちるように。


「……何だ」


 グレモルトの声が歪んだ。

 白い光は、黒い靄を焼いた。

 けれど、ただ焼いているだけではなかった。

 喉元の傷へ。

 口の奥へ。

 鱗の隙間へ。

 今度は、外からではない。

 光は、触れた闇の流れを辿って、奥へ進んでいた。

 グレモルトが身を引こうとする。

 その動きが、初めて乱れた。


「馬鹿な」


 黒い鱗の下で、白い線が走る。

 一つ。

 二つ。

 喉から胸へ。

 胸から腹へ。

 さらに奥へ。

 グレモルトの巨体が、白い広場の上で大きくうねった。

 石畳が割れる。

 光の院の壁が震える。

 それでも、僕は右手を下ろさなかった。

 背後に、カテリーナがいる。

 その後ろに、フィルがいる。

 倒れたイリアがいる。

 膝をついたサリアがいる。

 崩れた壁の下で、アニエスがこちらを見ている。

 アニエスの瞳が揺れた。

 彼女は、僕を見ていた。

 震えている僕を。

 涙と汗でぐしゃぐしゃになった顔を。

 怖くて、痛くて、それでも手を伸ばしている僕を。

 その目に、別の誰かが重なったように見えた。

 遠い昔、黒い森で剣を構えていた男。

 何度倒されても戻ってきた勇者。

 アニエスが、ずっと恐怖を越えた強者だと思っていた人。

 その男は、震えていなかったのではない。

 彼女が見なかっただけだった。

 彼女が、震えを強さの陰に隠してしまっただけだった。

 リュシアンも、怖かった。

 痛かった。

 迷っていた。

 それでも、手を伸ばしていただけだった。


「リュシアン……」


 アニエスの唇が動いた。

 それは、僕へ向けた言葉ではなかった。

 過去へ向けた言葉だった。

 五百年、届かなかった場所へ、ようやく落ちた言葉だった。

 グレモルトが吠えた。

 黒い靄が膨れ上がる。

 白い光を飲み込もうとする。

 僕の足が後ろへ滑った。

 身体が軋む。

 まだ足りない。

 グレモルトの核は、さらに奥にある。

 光は進んでいる。

 けれど、巨大すぎる闇が、それを押し潰そうとしている。

 その時、横から白い剣が差し込まれた。

 イリアだった。

 倒れていたはずの彼女が、僕の隣に立っていた。

 膝は震えている。

 肩で息をしている。

 剣を握る手も血で濡れている。

 それでも、剣先はグレモルトへ向いていた。


「道を作れ」


 イリアが言った。

 声は低く、掠れていた。


「今度は、お前の光だ」


 サリアの杖が、反対側で地面を叩いた。

 彼女も立っていた。

 顔色は悪い。

 今にも倒れそうだった。

 それでも、術式が石畳に広がる。

 これまで僕を縛った術式ではなかった。

 僕の腕を切るための術式でもなかった。

 白い光を支え、流れを整えるための線だった。


「リュシアン様」


 サリアが言った。

 泣いているような声だった。


「今度は、あなたの意思で」


 僕は頷いた。

 頷けたのかも分からない。

 けれど、光は応えた。

 イリアの剣へ流れる。

 サリアの術式へ広がる。

 カテリーナの前で震えている空気へ。

 フィルが握る服の皺へ。

 光の院の白い壁へ。

 そのすべてへ、少しずつ満ちていく。

 光よ、満ちろ。

 もう一度、胸の奥で言った。

 声に出したのか、分からなかった。

 けれど、光は広がった。

 グレモルトの黒い靄が、白い光に裂かれる。

 喉元の焼け跡が広がる。

 鱗の下に走った白い線が、一つの道になる。

 その先に、濁った核の気配があった。

 初めて分かった。

 魔王の核がどこにあるのか。

 どうすれば届くのか。

 これまでイリアとサリアが、僕の身体を切り取り、喰わせ、無理やり届けようとしていた場所。

 でも、今は違う。

 僕が手を伸ばしている。

 僕の光が、そこへ向かっている。

 グレモルトの目が見開かれた。


「貴様……器ではないのか」


 僕は答えなかった。

 答える言葉がなかった。

 器ではない。

 そうは言えない。

 勇者ではない。

 それも言えない。

 でも、もうそれでよかった。

 僕は、ただの駄目な人間だ。

 肝心なところで逃げた人間だ。

 怖くて、痛くて、今も足が震えている。

 それでも。

 今、ここにいる。

 カテリーナの前に。

 フィルの前に。

 黒い光の前に。

 それだけでよかった。

 白い光が、グレモルトの胸の奥へ届いた。

 核に触れた。

 世界が、一瞬だけ静かになった。

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