表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光よ、満ちろ  作者: 織 航(しき わたる)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/49

第30話 嫌です

「……嫌です」


 声が出た。

 アニエスが、ゆっくりと僕を見る。


「嫌です」


 もう一度言った。

 門の向こうで鎧猪が地面を削っている。

 黒い牙の先が門へ向いた。


「僕は、もう嫌です」


 右腕を左手で掴んだ。


「ガルヴァンの時も、何も知らないまま腕を切られた。森では噛まれた。戻るからって、痛くないわけじゃない。怖くないわけじゃない」


 アニエスは何も言わない。


「生きて動けって言ったじゃないですか。喰われるためじゃなくて。使われるためじゃなくて。僕自身が光を使えるようにするって」


「言った」


 アニエスの声は小さかった。


「だったら……」


「それでも、今は君の器が必要だ」


 門が、低く軋んだ。

 鎧猪が走る前の音だった。

 脚が土を蹴る。

 重い身体が、こちらへ向かって加速を始める。


「支えろ!」


 兵士が叫ぶ。

 僕は門を見た。

 亀裂の入った支え棒。

 倒れたまま運ばれていく男。

 血の付いた石床。

 この門の向こうには、聖都がある。

 広場で水を運んでいた人たちがいる。

 光の院から地下へ移された子どもたちもいる。

 その中に、冷たい手をした小さな子どもの顔が、一瞬だけ浮かんだ。

 それでも、嫌だった。

 僕の身体だ。

 勝手に切られていいものではない。

 戻るから差し出せと言われて、すぐ頷けるものではない。


「……嫌に、決まってるじゃないですか」


 声が震えた。

 アニエスの表情が、初めて崩れた。

 苦しそうに見えた。


「そうだね」


 彼女は言った。


「嫌でいい」


 鎧猪の巨体が、門へ迫る。


「アニエス様!」


「サリア、門の前を沈めて!」


 アニエスの声が飛ぶ。

 サリアが反射的に杖を構えた。


「土の精霊よ、深く呑み、重く縛れ!」


 門の直前で、地面が沈んだ。

 鎧猪の前脚が穴へ落ちる。

 巨体が傾き、牙が門の片側へ逸れた。

 それでも衝撃は凄まじかった。

 門の端が砕ける。

 木片が内側へ飛び、兵士の頬を裂いた。

 支え棒が一本、完全に折れた。

 その間にイリアが縄を伝って壁の上に戻ってきた。


「次は……ないぞ」


 戻ってくるなりイリアが言った。

 短い声だった。

 けれど、剣を持つ手が白くなるほど握り締められている。

 アニエスは、僕を見た。


「君の腕を――刃へ移す」


 聞きたくなかった言葉が、はっきり耳朶を打った。


「切り離した器の光を、イリアの剣に留める。長くは持たない。核へ届かなければ消える」


「……それで、倒せるんですか」


「分からない」


 また、その言葉だった。


「小さな核なら届く可能性はある。けれど、確実ではない」


「失敗したら?」


「門が破られる」


「成功したら?」


 アニエスは、少しだけ目を伏せた。


「君は、また傷つく」


 鎧猪が穴から脚を抜こうとしている。

 黒い殻が軋み、土が崩れていく。

 まだ時間はある。

 ほんの少しだけ。

 逃げようと思えば、逃げられるのかもしれない。

 階段を下りて、白い服を脱いで、どこかへ走れば。

 でも、その後ろには聖都がある。

 僕が勇者だから守らなければならないのではない。

 フィルがいるから。

 カテリーナがいるから。

 僕を見て立ち上がった人たちがいるから。

 それでも怖い。

 腕を差し出す手が、動かなかった。


「……僕は」


 声が出なかった。

 鎧猪が、穴から前脚を引き抜いた。

 地面を踏む。

 その時、下で誰かが叫んだ。


「勇者様がいる! まだ諦めるな!」


 別の声が続く。


「門を支えろ!」


「リュシアン様が見ておられる!」


 胸が苦しくなった。

 見ているだけだ。

 僕はまだ、何もしていない。

 その声に応えるためではない。

 勇者だと思われたいわけでもない。

 それでも。

 僕は、右腕を差し出した。


「……止めてください」


 アニエスが、僕を見る。


「あれを――聖都の中へ入れないでください」


 一瞬だけ、アニエスの瞳が揺れた。


「分かった」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ