表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光よ、満ちろ  作者: 織 航(しき わたる)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/49

第17話 蛇の目

 足が重い。

 靴の裏に泥がまとわりつく。

 息を吸うたび、腐った水と血の匂いが肺に入る。

 石壁の向こうに開けた場所があった。

 そこに、それはいた。

 狼だった。

 けれど、さっきの狼たちとは違った。

 普通の狼より、ひと回り大きい。

 背骨が盛り上がり、皮膚を内側から押し破りそうになっている。

 肋骨の隙間から黒い光が脈打っていた。

 左目は潰れている。

 代わりに、黒い結晶のようなものが眼のくぼみに埋まっていた。

 牙は二重に生え、口を閉じても外へはみ出している。

 胸の奥に黒い輪が見えた。

 見えているのか、感じているのか分からない。

 ただ、そこだけが周囲の空気を吸い込んでいるようだった。

 小型の魔王。

 そう思った瞬間、足が止まった。

 周囲の狼の魔物たちが、その狼の魔王の周りに伏せていた。

 まるで、主人の足元に控える獣のように。

 狼魔王がこちらを見た。

 唸る。

 その音だけで、胸の奥が震えた。

 イリアが剣を構える。

 サリアが杖を前に出す。

 アニエスは動かない。

 狼魔王の体躯が沈んだ。

 跳ぶ。

 そう思った瞬間だった。


「喰うな、黒狼」


 低い声がした。

 狼魔王の動きが止まる。

 僕も止まった。

 森の奥からではない。

 地面の下。

 崩れた石壁の隙間。

 黒い蔦の影。

 そこから、声だけが這い出してきたようだった。

 石の割れ目から、黒い蛇が現れた。

 細い蛇だった。

 踏めば潰れてしまいそうな大きさしかない。

 けれど、その目だけが異様に深かった。

 蛇の目ではない。

 黒い小さな穴の奥に、もっと大きな何かがいる。

 その何かが蛇の目を借りてこちらを覗いている。

 そう感じた瞬間、背筋が冷えた。

 蛇は瓦礫の上を這い、狼魔王の足元で頭をもたげた。

 蛇の口が開いた。

 けれど、そこから出た声は、蛇の喉から出たものには聞こえなかった。


「勇者リュシアンを喰えば強くなる。そう聞かされていたか」


 蛇が喋っていた。

 僕は息を忘れた。


「よくできた伝承だ。餌が自分から歩いてくる。剣士と魔法使いに守られ、賢者に送られ、我々の前へ差し出される」


 狼魔王が低く唸る。

 蛇は笑ったように見えた。


「だが、喰うな。それは餌ではない。――毒だ」


 毒。

 その言葉が、胸の奥に落ちた。

 僕のことだ。

 勇者ではない。

 英雄でもない。

 餌でもない。

 毒。

 それが、一番近い気がした。

 アニエスが一歩前へ出た。


「――グレモルト」


 名前だった。

 その声には、さっきまでの淡々とした響きがなかった。


「久しいな」


 蛇が言った。


「エルフの賢者」


 その呼び方には、敬意がなかった。

 アニエスは答えない。

 蛇の舌が、ちろりと空気を舐める。


「まだ、その名で立っているのか」


 森の空気が冷えた気がした。

 イリアが剣を構え直す。

 サリアの杖の先に、光が集まる。

 僕だけが、何も分からなかった。

 グレモルト。

 アニエスを知っている口ぶり。

 エルフの賢者、と笑う声。

 まだ、その名で立っているのか、という言葉。

 全部がつながりそうで、つながらない。


「口を慎みなさい」


 アニエスが言った。

 声は静かだった。

 けれど、冷たかった。


「慎む?」


 蛇が笑う。


「この私が?」


 狼魔王は動かない。

 蛇の声に縛られているようだった。

 喰うな。

 その命令だけで、狼魔王は止まっている。

 イリアとサリアは動けなかった。

 サリアの杖の先に光は集まっている。

 イリアの剣も、届く位置にある。

 なのに、二人とも踏み込まない。

 サリアが一瞬、アニエスを見た。

 イリアも、ほんのわずかに視線を送った。

 アニエスは答えない。

 蛇が見ている。

 それだけで空気が変わっていた。

 いつもなら、どうするのか。

 分かってしまった。

 僕の腕を斬る。

 あるいは、僕を魔王の前へ差し出す。

 魔王に喰わせる。

 けれど、今は見られている。

 この蛇に。

 グレモルトに。

 だから動けない。

 もう一度、サリアがアニエスを見た。

 イリアの指が、剣の柄を握り直す。

 アニエスだけが、迷っていなかった。


「イリア」


 短い声だった。


「蛇を殺しなさい」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ