5 任命
「まぁ、そういう事なら俺だろうな」
許靖は自慢げに胸を張った。周毖が選部尚書の相方として選んだのが人相見で高名な許靖である。
「人相見としての知見を活かし、有望で気骨ある士大夫を選ぶのを手伝っていただけまいか?」
その一言で許靖は快諾した。
むろん、周毖は許靖に自らの陰謀については告げていない。周毖はこの有名人を、人選の恣意性を董卓に悟らせない為の目眩ましとしか考えていない。周毖が見るに、許靖には自分達の陰謀に参加させるだけの気骨も覚悟も足りていない。人相見でない周毖にもそれだけは確信できた。
***
「袁紹?あいつは行方知れずだろう?賞金を出して捜させようと思ってはいたが」
周毖の最初の人選に董卓は驚いた。いくら友人だからと言って、最初から恣意的に過ぎないか?董卓からの批判がましい視線が突き刺さり、周毖は恐怖で言葉を失う。
城門校尉となった伍瓊が弁解する。
「廃立というのは常ならぬ事なれば人智の及ぶ所ではありません、袁紹はそれが理解できる域に達することができなかった為恐懼して出奔したのです。決して他意があったわけではないでしょう。今、彼に賞金を掛けたりしたらかえって変を起こし兼ねません。あれでも四世三公の家柄。門生故吏は天下にあまねく存在します。もし豪傑を以て衆を集めればそれを切っ掛けに英雄が並び立ち、山東に公が有する場所はなくなるでしょう」
伍瓊は鎮痛な顔でそう告げた。それから苦笑いの表情を作って続けた。
「一郡の太守くらいくれておやりなさい。袁紹は罪を免じてもらったと喜んで従いましょう。これこそ患を無くす方法ですぞ」
「そんなものかね?」
董卓の脳裏には刀を横抱きにした袁紹の姿が消えなかった。だからこそ、逆に袁紹の友人の勧めに従ってみようか、という気持ちになった。
伍瓊が董卓を脅す為に実質的に自分達の計画を暴露していた事には気付かなかった。……この時点では。
***
「本初。公山殿からだ」
逢紀が封泥された竹簡を掲げてみせた。
東莱の妻の実家に寄生している袁紹の元に、劉岱からの私信である。公文書の体を偽装するために相当の賄賂を使った筈である。
袁紹は黙って小刀を取り出し、封泥を削って読んだ。
ふ、と笑みを漏らし、
「読んでみろ」
と投げてよこした。
逢紀が一瞥し、許攸に渡す。
「勃海か……大郡だな」
勃海郡は人口百万を超える。
受け取った許攸も竹簡を読んだ。
劉岱の知らせは袁紹に勃海郡の太守の辞令が下りていることを告げるものだった。袁紹が勃海郡の州治所である南皮県に出頭すれば引き継ぎを受けられるらしい、その旨全国へ郵で通達されている、というのである。
「近くて助かる上に都からは遠い」
ここ東莱から勃海は沿岸を伝えばすぐである。そして都から遠い、というのは董卓の気が変ったとしても征伐され難い、ということだ。
陳琳は読まずに言った。
「誰か政権中枢にもぐり込んだようですな」
奔走の友の誰かが赦免を勝ち取ったということだ。
「南皮へ着いたら晴れて主従になる。よろしく頼む」
袁紹が頭を下げた。袁紹にしては殊勝な態度だった。
***
袁紹の勃海太守就任を皮切りに、周毖と許靖の選部尚書が動き出した。
尚書台で二人は額を寄せ合う。
「孔伷か。あれは口先だけの男だ。前任者を考えると物足りない」
許靖が周毖の案に異議を唱える。黄琬が司徒になり空席となった豫州刺史の後任に、孔伷を推挙したからである。
孔伷、字は公緒。陳留の人である。清談の達人として知られる。
「とはいえ、高名は高名だ。黄子琰ほどの方の後は誰だって物足りないものだ」
鄭泰の構想では豫州は戦場として想定していない。兗州側が主戦場となる。董卓の目を眩ますためにも名士らしい名士を配置したかったのである。
「そう言われてしまうとその通りとしか言えんな。兗州刺史に侍中の劉岱を置くのは判らんでもない。だが尚書の韓馥を冀州刺史にするのはどうなんだ?あれは小心者だぞ?」
周毖は苦笑いした。
兗州は洛陽を長江沿いに攻める主戦場の一つ。袁紹の親族を置いた。韓馥は袁紹の家の故吏であり、冀州の袁紹に対し董卓が取り締まらせようとする際に遠慮するであろう人選である。だがそれを説明はできない。
「すまん、個人的な友誼によるものだ。見逃してくれ」
「しかたないな……」
今度は許靖が苦笑いした。門閥縁故で結び付くのが士大夫と言うものである。実際には宦官親属と大差無いことをしているのだが、彼らにはその自覚はない。
「徐州は無理だな」
「徐州は無理だ」
まだ青徐黄巾が駆逐し切れていないのに陶謙を動かすわけにはいかない。
「西側が全く手着かずだが?」
「西をいじると太尉の不興を買うかもしれん」
「……やめておこう」
許靖とて命は惜しい。
刺史の人選が終わり、次に太守の議論が始まった。
***
その日、自宅を訪れた旅装の張邈の姿に曹操は尋ねた。
「どこだ?」
張邈。字は孟卓。かつて太學で八厨の一人に選ばれた男である。
太學の「三君」「八俊」「八顧」「八及」が学識や品行方正で選ばれるのに対し、「八厨」は毛色が少々違っている。厨とは口先だけではなく、私財を擲って人を救う者である。つまり実践者なのである。張邈は若い頃から私財で人を救い、自分の家が傾くのを気にもしなかった。
その侠気でもって奔走の友に加わり、そして後から加わった曹操と歳の離れた友人となっていた。
「陳留の太守になった。三年はお別れだな」
「孟卓を選ぶとは時代が変ったと言う事だな」
曹操は宦官虐殺には反対だったが、その成果が早速出ていることは認めざるを得ない。張邈は宦官が郡県に送り込む人選ではない。
「選部尚書が周毖だった。同志の誼という奴だな。俺だけじゃないぞ。本初が勃海だろ……」
曹操は聞いているうちに無言になった。
洛陽の東、兗州の陳留郡太守に張邈。その隣の東郡太守に橋瑁。その向こうの濟北の相に鮑信。一つ向こうの山陽に袁遺。
洛陽の北、長江の対岸の河内太守に王匡。
洛陽の南、南陽に張咨。
曹操の脳裏の四海の地図の上に、奔走の友の同志と志ある士大夫が次々と配置されて行く。それは洛陽を半包囲する布陣に他ならない。
(でかいことをやるつもりだ!)
奔走の友……自分の同志が中原を舞台に壮大な計画を立てている。それも董卓の足元で。曹操は聞いていて血が滾るのを感じた。
だが、眼前の張邈は不思議な程平静で、全く気負いが感じられない。
──まさか?
曹操は尋ねた。
「孟卓。仲遠は何か言ってたか?太守になったらどうしろって話を」
囁くような小さな声だった。
「いや、なにも。これまで苦しめられてきた百姓を救えってことなんだろ?」
曹操はヒュッと息を止めた。深く考える余り瞳孔も開いた。
(周毖は張邈にさえ計画を明らかにしていない?そうか!秘密を守る為か!)
であるなら曹操が口を出すのは差し控えるべきだろう。
「……ああ、孟卓には言うまでもないことだったな」
これは自分にも出番が来るだろうな。曹操は確信していた。
(問題はどこの太守か、だ。是非とも先鋒を拝命したいものだ)
自分は奔走の友の中でも数少ない実戦経験者なのだから。
***
「曹操?ああ、思い出した。あの宦官の孫か……劭の奴が『乱世の姦雄』とかほざいてた奴だな」
許靖のこの一言で周毖は曹操を諦めた。董卓の士大夫優遇策に合致しなさすぎる上に、評判が刺激的過ぎるからである。
「それで思い出した。沛国の相だが、袁忠はどうかな?あそこは曹騰の係累がはびこっているからな」
袁忠は袁紹と同じ汝南袁氏だが、権門に阿らない清亮な士大夫である。党錮の際、黄門北寺獄で拷問された范滂と痛みを分かち合う為に自ら進んで拷問を受けた男である。まぁ袁紹にいわせれば古くさい士大夫、老害の一人、ということになるのだが、董卓が士大夫を優遇している、と見せるにはうってつけではある。だが、曹操の家が苦しい目にあわされかねない。
周毖は一瞬強く唇を噛みしめ、内心で「孟徳、すまない」と謝ってから答えた。
「ではそれでいこう」
董卓を欺く為である。曹操の実家には少し酷い目にあってもらおう。周毖は大望の為と割り切った。
次の竹簡には公孫度を遼東太守にする様、推薦が書かれていた。
「三互の法に反するな」
三互の法は後漢の地方官の腐敗を防ぐための掟である。公孫度は遼東郡襄平の人であるから、本籍地の守令にはなれない、という項目に抵触している。
「辺境では間々あることだ」
実際、直近では丁原がそれに抵触していた。推薦人は徐榮。これまた遼東の人である。
「太尉に取り行って中郎将になった男か」
許靖のつぶやきは批判ではなく、「これで決まり、これ以上議論はしない」という断言の意味合いを含んでいた。
そして最後の竹簡を読んだ許靖の感想はこうだった。
「廣陵に張超?草書の?」
「いや草書のではない」
草書の達人の張超は河間の出であり、この張超は東平の出で、張邈の弟である。
「またお主の友誼という奴か」
許靖はいい顔をしなかったので周毖は苦笑せざるを得なかった。
張超は奔走の友の一員でないし、今回の包囲網に参加させるつもりもない。洛陽から遥かに離れた徐州の東海の沿岸、廣陵に赴任させたいのは、張邈が蜂起した際に備えてのことである。洛陽に置いたままだと董卓に弟が処刑され兼ねない。それでは張邈に会わせる顔が無くなってしまう。
「まぁ仕方無かろう。これで今回の守令の配置は完了、というわけだな」
許靖がひと仕事終えた、という晴れやかな顔になった。
「いや、もう一件残っている」
「ほう?全て処理したと思ったが」
周毖が追加を提起したので許靖が積んでいた竹簡を再確認し始めた。
「文休。卿を巴郡太守に推薦したい」
いずれ東で軍勢が蜂起したら自分はこの任命の責任を追及され殺されるかもしれない。それは覚悟の上である。だが許靖は違う。自分に名声を利用されただけなのだ。周毖はこのお人良しの人相見の達人を救いたかったのである。張超と同じく、都から離してやりたかったのである。
許靖が驚いて周毖の顔をじっと見つめた。
「馬磨きで口に糊していた俺がとうとう二千石か……ありがたい話だ」
それから泣きそうな笑顔になった。
「だが受けれんよ。六百石が己を二千石に昇進させては外聞が悪かろう」
そう言って手にした竹簡を束ね、とんとんと揃えた。この話は終わり。そういうしぐさだった。
周毖はただ、ため息をつくばかりだった。




