4 王佐
(いつも貧乏籤は私か)
二十六歳の若者は自分の運命を嘆いていた。
荀彧、字は文若。神君と呼ばれた名儒、荀淑の孫である。
彼が本日登城したのは、新たに即位した今上(もうこれだけできな臭い)の勅令によるものである。
「公卿から黄門侍郎に至る家々は郎を一名出すように。宦官の欠員を補い殿上にて侍らせる」
案ずるに宮中は深刻な人手不足なのだろう。それはそうだろうと思う。単純に宦官が殲滅されて人手が足りないだけでなく、涼州の荒くれものが我が物顔に占領し、帝まで挿げ替えてしまったのである。出仕の勇気が出ずに病いと称して職を辞す士大夫も大勢いるのだろう。だから既に出仕している士大夫の家族で穴埋めしたい、と言うことだと荀彧は理解している。
実際、荀彧の気も重い。だが叔父の荀爽が侍中、年上の甥である荀攸が黄門侍郎となって出仕している以上、誰かが行かねばならない。そこで潁川荀氏が董卓に差し出したのが自分、ということになる。
(宗家の跡取りなんて、なんの得にもならないじゃないか)
荀淑には八龍と称された八人の子があった。だが長男の荀倹が若くして亡くなった為、次男である荀彧の父が潁川荀氏の宗家を嗣いだ。その為荀彧が将来の潁川荀氏を嗣ぐ、というのが規定の路線になっている。
だがそれ故に荀彧は四歳の時、唐衡の遺児との婚約が決められた。唐衡生前の約定を律義に守る為である。そして今度はこれである。
(これは体のいい生贄じゃないか?)
その陰に隠れ、荀攸など好き勝手に生きているとしか思えない。潁川荀氏の面々が楽しく世を渡る為、ひとり荀彧が酷い目に遭っている。そういう構図である。
(仲豫兄さんに宗家を引き取ってもらえないかな……いや、兄さんをこんな酷い目に遭わせるわけにはいかない)
八龍長男の荀倹の遺児である従兄の荀悦を荀彧は尊敬している。荀倹亡きあと、孤立し没落した家を独学で盛りかえしたからである。相互扶助はなされなかった。潁川荀氏にはそういう冷たい部分があった。
***
出頭先である尚書台の選部尚書の房を訪ねた荀彧を迎えたのは、意外な人物だった。
「伯求殿。あなたが選部尚書でしたか……」
五年前に党錮が解除されるまでの間、追っ手を避けつつ放浪していた何顒とは当然面識があった。だが、この度の政変でそういう人事になった、というのは聞いていなかった。
「まさか。人手が足りんので駆り出されただけよ」
そう言って何顒は印綬を取り出した。
「文若君には守宮令をやってもらおう」
守宮令は天子の使う紙筆墨等を管理する係である。字を覚えねばならない九歳の帝に親近する機会も多かろう。
何顒の手にある黒綬を見つめながら、荀彧は小声で尋ねた。
「私は本初殿の為に動くことになりますか?」
何顒が奔走の友として袁紹の為に動いている事は知る人は知っている。何顒は破顔してこの若者の肩をポンっと叩いた。
「余計な気を回しなさんな。帝を側で助けて差し上げてくれ。……孤独なお方なのだ」
そして続けた。
「王子師殿ではないが、君の王佐の才を期待するよ」




