3 二日目(昭寧元年八月壬申/189年9月26日)
董卓の相談役を離れた賈詡だが、依然多忙を極めていた。
まず司隷校尉袁紹の出奔の対処である。もちろん賈詡が司隷校尉を代行する、という話ではない。何進、何苗の死後、袁紹が掌握していた何進の私兵が指揮官不在となってしまったのである。
このまま放置すると私兵は統制を失い盗賊化しかねない。涼州兵に命じ兵力を接収、吸収した。治安維持が目的だが、兵力の増加も兼ねていた。
今、洛陽の機能は停止している。停止しているのは大将軍何進亡き後、董卓が具体的な指示を与えていないからである。
(早くなんとか再開してもらわんと)
そんな賈詡の元に、悪い知らせがやってきた。
涼州勢より一日遅れて、丁原の率いる并州勢が入城してきたとの報告である。
(并州勢の人数確認!分宿の手配!──なにより)
董卓がもてなしの宴席を張るのが目に見えたので、賈詡は自分の采配しなければならない事の多さに眩暈を覚えた。
***
「よくぞいらした!」
董卓は満面の笑顔で丁原の両手を取って自分の横の席に連れていった。
まるで董卓が丁原を洛陽へ招いた様な歓待ぶりだが、そう錯覚させる為に行なっているのだから当然である。
宴席がなんとか整ったので賈詡は胸をなで下ろした。
着飾った女達が次々と酒、料理を持って入って来る。
だが料理を見て董卓の顔が一瞬曇る。それを見て賈詡は心の中で謝った。
(すまない……それが精いっぱいなんだ)
ここ数日の騒ぎで膳夫庖人達が殺され、あるいは出仕しなくなっているのだ。そこで賈詡は生き残った宮女達を動員し、料理の出来る女に料理を、見目整った女に料理を運ばせている。出されているのは最高級の食材で作られた家庭料理なのだ。
だが丁原は気に止める様子もなく、うれしそうに出された料理を貪っている。
招かれた面々は礼節などくそくらえ、という風にそれぞれが話し、飲み、貪っている。中でもひと際大柄な若い男の姿が賈詡の目にとまる。
配膳の女が目の前を通る度、うっとりと女の姿態を眺め、首を右から左、左から右に動かしている。丁原の隣という良い席に座っているから目立つ、目立つ。
賈詡は思わずくすりと笑った。判りやすかったから。そしてその視線は董卓と丁原に向かう。
(あれが腕力だけで刺史に選ばれた男か)
ほぼ文盲だと聞いている。異民族と反乱で刺史すら殺された并州を自力で鎮圧してきた怪物である。
並んで座っているので良く判る。丁原と董卓は身長にさほどの違いが無いのに、丁原の方が二回りは大きく見える。董卓も随分厚みのある肉体だが、並べてしまうと筋肉の量がまるで違う。丁原の首はパンパンに張っていてどこもくびれずに肩に繋がっている。雄大、としかいいようがない。
にこやかに応対する董卓だが、付き合いの長い賈詡にはその表情が読めた。
(随分と顔が引き吊ってるな)
作り笑顔の下から焦りの色が見える。
(あと……恐怖?)
董卓の表情がどういう感情から来ているのか、賈詡には完全には読めなかったのには理由がある。
(やべぇ)
董卓が感じていたのは──劣等感──だったのである。なんでもできる、と自認して生きて来た賈詡には感じた事がない感情だったのである。
董卓とて、こんな感情は初めてである。董卓は張奐に、皇甫嵩に、孫堅に、恨みを感じたことはあっても劣等感を感じた事はない。軍事で劣っていても、衆目の中で殺せと進言されても董卓には余裕があった。
──いざとなれば殴り殺してやる。お前は俺に腕力では勝てない
それが董卓の余裕の源泉だった。今日初めて、董卓は自分が殴り殺せない相手に遭遇したのである。
厠を理由に中座した際、裏で董卓は李儒に泣き言を漏らした。
「あれを殺す方法を考えろ。あれが生きていたら何もできん」
かつて陳琳は何進にこう諌めた。「軍勢を集めれば強い者が従える事になります」と。丁原の強悍さは、ただここに存在するだけで董卓の権威を揺るがす。このまま行くと廃帝への付議に抵抗し丁原を担ぎ挙げる士大夫が出兼ねない。そしてそうなった時に勝つ自信が董卓にはなかったのである。
座に戻った董卓に、幾分腹が膨れた丁原が尋ねた。
「んで、俺はここで何をすればいいんだ?」
丁原は現地採用の并州刺史であった。并州刺史には兵を率いて都に入る権限がない。袁紹は何進に進言し名目上騎都尉として都に召喚した。しかし、都に来てしまえば騎都尉にはする仕事がない。本来なら兵を国に返して次の出撃まで待機となるが、やすやすと私兵を渡すはずがないと董卓にも想像がついた。
「大将軍がどうお考えだったかわからんが……」
董卓の役職は依然として前将軍であり他人に中央官を与える権限はないが、越権であるなどと考えもしなかった。だが、同時に適切な役職を与えようとして言葉に詰まった。字も書けないような男に勤まる中央官なぞあるのだろうか?
「あーーーー、李儒!」
丸投げすることにした。
どこからともなく李儒が進み出て、まるで以前からの腹案であるかの様に言った。
「執金吾がよろしいかと」
「執金吾ぉ?何するやつだ?」
ピリリと場が静まる。丁原が堂々と無知を晒したからである。それを笑ってしまうと失礼になるので皆が黙りこんだ中、李儒が淡々と解説する。
「洛陽の治安を守る役職でございます。月に三度、武装し隊列を率い、洛陽の街を巡行し悪人ばらを捕まえます。華々しいお役目ですので、かの光武帝が『官に就くなら執金吾』と憧れられた役職でございます」
しばらく考えてから丁原はにっこり笑った。
「悪人退治か!なら俺にもできそうじゃねぇか」
皆がどっと笑い、談笑が戻った。酒を浴びる様に飲んだ丁原が次の宣言をするまでは。
「お前ら!これから俺らは悪人を退治する側だぞ!行儀良くしろよ!」
そういって巨大な拳を振ってみせた。ぶんという風切り音がして、皆が沈みかえった。
宴席、というのは主人が酒を泥酔するまで飲み、客もまた泥酔するまで飲むものである。董卓は丁原の隣の若者にも酒を勧めてみた。正座して距離もあるので酌婦を呼ぶという形で。
酌婦が目の前に来たのを嬉しそうに見つめながら、その若者は片てのひらを前にだし、悲しそうに酌を断わった。これはかなり失礼な行ないである。
隣の丁原がすかさず救いの手を差し伸べた。
「すまんなぁ。うちの主簿、てんで酒が駄目なんだわ。なにしろ女にしか興味のない奴でなぁ──」
若者の肩に手を掛けて丁原は続けた。明らかに酔っていた。
「おい、奉先。お前しばらく女漁りは無しにしろ。最初に捕まえる悪人がお前なんていやだからよ」
そう言ってバンバンと肩を叩いた。
賈詡は見た。丁原の隣の若者の絶望的な顔を。董卓も見ていた。そして李儒も。




