2 一日目(昭寧元年八月辛未/189年9月25日)
董卓の軍勢に守られた帝が御帰還なされたのは早朝の事だった。
最初に出迎えたのは百官達。西園の平樂観に避難していた彼らは董卓軍の到来を城外で待ち受けたのだ。
整列して迎える百官の前を董卓の軍勢が通り過ぎようとする。帝は馬に乗せられ曳かれている。董卓が不敬にも横に馬を並べ、その腹の前に陳留王を抱いていた。
帝は剽悍な涼州兵に囲まれ、怯えて涙を浮かべていた。それを見咎めたのが以前太尉を勤めていた崔烈である。
「兵を引きなさい。帝がご不快だ」
董卓は鼻で笑った。崔烈に馬を寄せ、下馬せず見下ろしたまま吐き捨てた。
「お前ら大臣共が王室を正せなかったから国家が流浪する羽目になったんだ。いまさら兵が引けるかよ!」
そう言って百官を振り切り、兵を引き連れたまま洛陽へ入城した。
「帝の御帰還を知らしめる為、天下に大赦と改元を告げろ!」
百官に、民に、帝に、董卓ありを見せつけるのだ。
官兵を私物化し、命令無視と越権を繰り返した自分である。自分をここへ招いた大将軍が殺されていた以上、自分の生き残りにはどれだけ有利な条件で自分を売り込めるかが肝心だと董卓は心得ていた。
***
董卓の馬は帝の馬と轡を並べ、皇族のみが通行することを許された大通りの中央にある馳道を行く。
城内では早朝だと言うのに見物人がひしめいていた。洛陽宮城での火災の後、帝が突然外から戻って来た、という異常事態に興味津々なのだろう。
その混雑を城壁から見下ろす人影が二つ。
一人は騎都尉の鮑信。もう一人は司隷校尉の袁紹。
「本初。董卓を見ろ。帝を引き連れ、陳留王を抱いてすっかり主役気取りだ」
鮑信は腕組みのままあごで董卓を指した。
「あの男、帝を擁して洛陽を牛耳るつもりだ。今すぐ手を打たないとしてやられるぞ。今なら徹夜の行軍で兵が疲れている筈。俺には手兵一千がある。襲えと命じろ。禽にしてやる」
だが、袁紹の反応は鈍かった。
「……」
無言で、蒼白で、そして弱気だった。塞ぎ込んでいると言ってもいい。いつもの無駄に尊大で自信たっぷりの袁紹しか見た事の無い鮑信は不安にかられた。
「本初。今やらないなら俺は泰山へ帰るぞ。大将軍が居られない以上、俺と兵がここにい続けるわけにはいかないんだ。十分休養を取った董卓と正面衝突はできん」
袁紹がただ首を横に激しくふるだけだったので、鮑信は失望し城壁を去った。急ぎ泰山への帰路を辿る為である。
ぽつねんと一人残された袁紹は、帝と馬を並べた董卓を眺め続けた。その時袁紹が因われていたのは失意である。恐怖である。……これからの政権運営への懸念である。
原因は袁紹の元に上がって来た三つの報告である。
一つは何進の弟、何苗が殺された事である。主犯は何進の配下、呉匡と張璋なる者だが、すでに出奔してしまって行方が知れない。しかも何進の妻子までも行方不明である。
もう一つは、何太后の母、舞陽君が殺された事である。これは袁術の配下による事故だが、実質的に太上太后に相当する者を殺したのである。
最後の一つが最悪であった。何太后が救出され、大将軍府に保護されているというのである。
つまり、現在漢家の最高権力者は何太后である。その母と兄を殺した責任者が袁紹なのだ。
ここ数日の宦官殲滅の栄誉はこの袁本初の受けるものと思っていたが、逆を言えば責任を取るのも袁本初なのである。顛末を何太后が知ったら三族まで誅殺されて文句は言えまい。
そう。袁紹は宦官が支配していた卓をひっくり返したが、事態を収拾するのに必要な大将軍を失い、その上皇太后の潜在的な敵になってしまったのである。
果してこの身で漢家の政権運営をできるものなのか?
(「欲しい」というならくれてやってもいいな)
洛陽で宦官殲滅後の政権を誰が牛耳るのか。その争いをする気力は袁紹から既に失われていた。つまり袁紹は董卓との対決から降りてしまっていたのである。
***
賈詡は董卓の涼州勢の中で唯一の実務家である。
遠征の間でも、糧と秣の手配、水場と野営地の選定、会計、都との連絡、それらを一人で担って来た。賈詡の能力は一流で、それらの激務をものともせず対応して来た。手の抜き方もまた、一流だったのである。
その才能は洛陽でも遺憾なく発揮された。
まずは羽林中郎将、虎賁中郎将、北軍中侯に通達を出し、虎賁や羽林、五営の機能を停止させた。「涼州勢が入城するので諍いを起こすな」という脅しを董卓の名で掛けたのである。そして涼州兵たちを洛陽北宮内の無事な建物に分宿させる様手配した。
徳陽殿の、多少まともな部屋を捜し出し、そこに帝と陳留王の居室を定めた。実質的には軟禁である。だが相手は子供でも皇帝である。落度があってはいけない。助けてくれる宦官も居ないので女官を捕まえ、脅しすかししてなんとか形に持っていった。
そこへ董卓の呼び出しがあった。
「文和。俺はどうしたらいい?」
帝の兄弟を救出する、という快挙と、晴れがましく入城する、という栄光を味わった筈の董卓の顔はどんよりと暗かった。
「なにがあったんです?」
そう聞かざるを得ない状況である。
「弟の奴が何車騎の殺害に荷担していやがった」
何進の弟、何苗を何進の部下であった呉匡と張璋が殺害した時、董旻がそれに合力していたと判明したというのだ。
董卓は癇癪を起こした。
「俺は族滅されたくないぞ!なんとか方法を見つけろ!」
董卓が何進の、袁紹の誘いに乗り、本来牧として向かうべき并州へも行かず、洛陽近辺に移動したのは、大将軍に貸しを作り涼州の交易路上に軍閥を作る、という董卓の野望を黙認させる為だった。
皇太后の同母兄で帝の伯父である人物を殺したのである。なのにとりなしてくれる大将軍はこの世に居ない。皇太后の気持ち一つに命が掛かっている。
賈詡は一瞬で計算した。回避策を、ではない。それは一瞬で思い浮かんだ。策など一つしかないからだ。
事が成らなかった時、成った時の我が身を計算したのである。
非常の策を講じて事が成らなかった時。自分は死ぬであろう。それは容易に計算できた。
では成った時は?やはり自分は死ぬであろう。董卓が非常の策を進めるなら、それは無理押しというものであり、早々に失脚するであろう。それを提案した謀臣が許されるか?許されまい。
賈詡は自分は董卓の望みに応える能力はあると考えている。だが、それは自分の命を犠牲にするほどの事ではない。
ではどうする?
誰かに押しつける事である。董卓から離れる事である。なので今この時点でもう、董卓に荷担してはいけない。とぼけるの一手である。
戦乱の涼州で生き延びる為に董卓の配下に入った。だが、これからの董卓の周辺は涼州に居るより危険なのだから。
「──将軍。自分は糧秣の手配くらいはできますが、今の将軍のお悩みを解消して差し上げるのは自分には難しすぎる様です」
「ぬぅ」
董卓の機嫌が見る見る悪くなる。
賈詡は自分を無力で小さい男に見せようと努力した。
「自分は所詮、郎すら病いで辞した非才です。洛陽に居たのは僅かな期間でしかありません。議郎をなさっていた将軍の方が洛陽をご存知なのではないですか?」
「じゃあ俺はいったい誰に相談すればいいってんだ?」
「……どなたか洛陽に詳しい方が居られればいいのですが」
ひと呼吸あってから董卓が人名を挙げた時、賈詡は肩の荷が下りた気がした。
「文和よ。太學に李儒、という博士がいる筈だ。今すぐ呼んで来い」
この後、董卓は自らを太尉とする。賈詡もその際に太尉掾になったが、その後平津都尉、討虜校尉と遷している。つまり二ヶ月後の董卓の相国昇進時には追随していない。無事董卓の手元を離れる事ができたのである。
***
孟子は、人の性は本来善である、と説いた。だから悪人であっても善の心があると言う。
荀子は、人の性は本来悪である、と説いた。だから君子は善を学ばねばならないと言う。
どちらの理路も整然としていて、李儒は論旨の理解に苦しまなかった。なので、博士としてこの二つに対して何か問われたとしたら、李儒はこれらを語り教授する事に不足を感じなかったであろう。
だが、それは記述の論理上の話である。李儒は性善説も性悪説も、理屈としては理解しているが、実は本質的には何も理解していない。
善とはなんであるのか、悪とはなんであるのか。
李儒にはそれを区別する感覚が生来なかった。だから董卓の下問に、こう答える事ができた。
「皇太后が偉いのは、帝の母だからです。今上を廃せばもう皇太后ではありません」
大胆すぎて董卓の視界になかった解決法であるが、確かに。帝は何氏の血統だが、帝を陳留王にすげ替えれば何苗を殺したことなど、なんの問題にもならない。
「そんな事が──」
可能なのか、と聞こうとして董卓は詰まった。可能かどうかを問うてもしかたがない。やらねばいずれ何太后に殺されるのだ。
だが、帝を廃位して、その後も無事でいるにはどうすればいい?
董卓は、自分が選べるのは覇業へ繋がる道だけだと気付いた。その道は走り始めたら死ぬまで足を止められない。
大きな腹を突き出して空気を吸った。
ふう。
吐き切りながら董卓は丹田に力を込め、吐き切った瞬間に覚悟を決めた。我が身の為に国家を壟断するのだ。
「廃帝にはどうすればいい?」
「朝議で決定なさればよろしいのでは?」
「反対意見はどうする?」
「最終的に何太后がお認めになればよろしいかと」
董卓はにっこりと笑った。望みを告げても春秋の先例を索いて諌めたりしない、理想の謀臣を手に入れたのである。
***
登城する袁紹の足取りは重い。日も暮れようという今になって董卓からの呼び出しである。用件は判っている。今後の政権運営の主導権を譲れ、協力せよという事だろう。
召喚に来た使いには急ぎ参上する、と答えた。争う気なら「そっちが来い」と回答してもよいところだ。だから意図は伝わっている筈。
いつもの様に洛陽北宮に登城する。だがその景色は違っていた。まず門の所にいる守兵が涼州の荒くれ兵である。城門校尉は職務を放棄したらしい。にやにや笑う連中の前を通ると、意外にも一人が案内を買って出る。
「袁司隷、こっちです」
田舎の、蛮族めいた男に自分が知られているのが不思議だったが、百官の出仕は停止されているので通るのは自分だけだったらしい。
焼け焦げのある徳陽殿に案内される。ここにも涼州兵の門番が立っていたが、これまた意外な事に帯刀のままで通された。
壮麗で壮大な徳陽殿の前庭は、そこ・ここに処理しきれていない死体が積まれていて、血の流れた黒い染みも点々と残り吐き気を催す。
今まで入った事もない徳陽殿の奥に、巨大な男が待っていた。軍装のまま、胡床に座っていた。袁紹にもそれが董卓だとひと目で判った。
董卓が議郎として洛陽に居た頃、袁紹は六年の服喪中で帰省していた。何進の配下として袁紹は何度も董卓に信を送っていたが、対面するのはこれが初めてである。
(なるほど。俺に帯刀を許す筈だ)
がっちりした筋肉にたっぷりと脂肪をまとわせたその上に鎧まで着ている。董卓の厚みは、刀術素人の袁紹では傷一つ負わせる事ができなそうだった。
「……」
董卓は無言のまま、ただじろりと袁紹を睨んだ。下の者から先に挨拶しろ、そういう駆け引きだと袁紹にも理解できた。
「初めてお目に掛かる。袁本初です」
刺を差し出し、挨拶する。肩書は省いた。自分を偉く見せるのは得策ではない。
「董仲穎だ。大将軍には残念な事になったな」
ちっとも残念そうな口ぶりではなかった。傲岸にも笑顔だった。
「今回の騒動を収拾せねばならん。協力してもらえるかね?」
董卓は自分の部下になれ、と言っているのだな。袁紹はそう理解した。
今回の宦官殲滅は、大将軍何進を頂点とし、謀臣として袁紹らが絵図面を描き、董卓はその絵図面の中で「使われる側」の一人に過ぎない。実際、宦官殲滅の際には何もしておらず、たまたま逃げ出した帝を拾う、という幸運に恵まれただけである。
その主従がいまや逆転している。「帝を手中にしている」という事のなんと強い事か。
だが袁紹も唯々とは従えない。ここで承諾すれば、袁紹は自ら下風につく為にわざわざ董卓を呼んだ阿呆という事になる。人からそう見られるのは死ぬより辛い。
袁紹は答える為に勇気を奮い起こしたが、
「……どう収拾なさるおつもりか?」
か細い声しか出せず、自分自身に落胆した。
「武力と強権。今必要なのはそれ以外にあるまい」
董卓は余裕の笑顔だった。
「だからこそ邪魔な皇太后を排除したい。あの女は状況を混迷させるばかりだからな」
(やはりそう来たか)
「今上を廃し、陳留王を帝にする。賛同してくれるな?」
董卓のやりたい事はとっくに想像がついていた。自分の置かれた諸々の不都合を解消する事が出来る。本当なら諸手を挙げて賛同してやりたい所である。
だが、それは、それだけは袁紹には肯ぜない事でもある。何進を奉じ何太后の子劉辯を即位させたのは自分である。その不義理不忠を選んでしまえば、袁紹の築いてきた名声は地に落ちる。
招きに応じた事で自分に敵意がない事は判ってもらえただろう。今日ここに来たのは単なる時間稼ぎなのだ。だからここで話を打ち切る必要がある。自分の政治生命を将来へ繋ぐ為に。
「これは国の大事です。まずは太傅に相談いたします」
現在の太傅は袁隗。袁紹にとって叔父である。何も不自然ではない。董卓は鷹揚に頷いて退出を許した。
だが、別れの最後の最後、董卓はにこやかにこうつぶやいた。
「ま、劉氏の種なんぞ残す必要ねぇんだけどな」
陳留王劉協すら重視してはいない、という虚勢だったのだが、その言葉を放った瞬間、ほんの一瞬だけだが、袁紹の体から強烈な殺意が放射されたのを董卓は感じ、身じろぎした。
いつの間にか袁紹は刀を横抱きにしていた。横抱きは抜き打ちの為の体勢である。
どうしてこうなったか本人にも自覚がない様で、袁紹は恥ずかしそうに剣を抱いたまま、深々とおじぎをして去っていった。
「なんだ?あいつ……?」
袁紹の一瞬の激高は、董卓には解けない謎となって残った。
***
袁紹が洛陽の邸宅に戻ると、既にあらかたの荷物が車に載せられていた。董卓の元へ出頭する前から、袁紹は洛陽からの脱出の準備を始めていたのだ。
董卓があのじゃじゃ馬を排除するために今上を廃そうとするのは予想できていた。それに抗うには命を掛ける覚悟がいる。そしてあの女を守る為に命を掛ける気は更々ない。逆に、洛陽にいて廃帝される様子を傍観していては没義道のそしりを免れない。残された手段は出奔してこの問題から遠ざかること。それだけだった。
「ちちうえ!」
袁紹の姿を見て、十歳くらいの男の子が駆けつけてくる。
足元へ抱きついてきた我が子を袁紹はやさしく抱え挙げる。
「ぼくたちどこへお出かけするの?」
「阿母の実家だよ」
そう言って頬ずりした。
袁紹は毀誉褒貶様々ある人物だが、我が子を溺愛する事に関しては人後に落ちない人物である。
この子の母は劉氏。東萊劉氏の一族であり、つまり前漢王族の末裔でもある。




