3 圧轢
公孫瓚が張純との戦いで洛陽から得た褒賞は、降虜校尉の軍権と遼東属国長史への復帰である。遼東属国長史時代に烏桓と激闘を繰り広げていた公孫瓚は、これを烏桓との戦闘に裁可を受けたものと理解した。
「さぁ、せいぜい邪魔をしてやろうじゃないか」
劉虞は恭順した烏桓との協調体制を整えようとしている。それでは困るのである。
公孫瓚は烏桓を撃破することで武功を上げたい。そして地域への影響力を高めたいのである。公孫瓚でないと幽州は治まらぬ、そう民にも洛陽にも思わせたいのである。
公孫瓚は胡への取り締まりを開始した。
***
遼西郡の東側の内陸部。荒野の続くこの地を百騎あまりの騎兵の集団が南下していた。漢人の出で立ちではない。そもそも漢人はこれほど手馴れた姿で乗馬できない。
遼東郡、遼東属国との郡境とも近い、内陸部のこの場所には漢人はほとんど住んでいない。この一団は鮮卑である。彼らもまた、この地に住んでいるわけではない。更に北の平原から国境を越えてやってきたのである。国境に延びる長城も、いまや荒廃してただの小高い土盛りに過ぎない。それを越えることなど、鮮卑ならずとも容易いことだった。
ここからずっと南下した先にあるのは郡治所の陽樂。
男達は期待に満ちた表情で馬を駆けさせている。無論、略奪の為にきたのである。家族と羊の待つ北の居留地に、どれだけの物を持ち帰れるか。それしか考えて居なかった。
──つまり、彼らは完全に油断していたのである。
窪地から、官兵の服を来た男達が立ち上がり、すかさず矢を上に放った。ビン!という音を聞いて鮮卑の何人かが上空を見上げた時、降って来る数多の矢から逃れる方法は無かった。
矢は人にも馬も容赦なく降り注いだ。絶叫と嘶き、立ち上がる馬と落される人。その場は大混乱となった。
「散れ!」
長らしき男がそう叫んだ。とっさにしては的確な指示である。だが悪手だった。幾本もの矢がその男に集中した。
離れた岩影から次々と騎兵が現れた。皆、白馬に乗っている。
「包囲しろ」
先頭の公孫瓚が号令すると、白馬義従は左右に分かれ、公孫瓚を次々と追い抜いて行く。
右に進んだ白馬義従は、緩やかに弧を描きながら、次々と矢を射る。槌の役割である。
左に進んだ白馬義従は、大きな円を描いて鮮卑の逃げ場を塞ぐ。金床の役割である。馬を失った鮮卑は絶望で動けないまま、矢に晒された。
幸運にも、人馬ともに無傷だった鮮卑は、逃走の為に左の白馬義従の先頭に向けて馬を駆った。右側からの矢を逃れたい。そして左の白馬義従は大きな円を描いていて最短距離で包囲を作っていない。その先頭を追い抜けば、包囲網が完成する前に逃走できる。
鮮卑が左の白馬義従を追い抜き、頭を抑えた瞬間である。左の白馬義従の先頭三騎だけが馬首を返し、弓を構えた。鮮卑は至近から背中を撃たれ、落馬した。
包囲が完成した瞬間、左の白馬義従は反転した。そして弓を背後から取り出す。来た道を戻りながら撃つのである。今度は彼らが槌の役割となる。
奇襲から始まった殲滅戦は一方的なまま終わった。
「怪我してる奴にとどめを。使えそうな奴が居たら連れて来い。奴隷に落すから手の平を縫い繋いでおけ。それから二名ばかり選んで逃してやれ。国境を越えたらどうなるか、部族に広めさせる」
公孫瓚の指示で白馬義従は粛々と事後処理を開始した。
***
公孫瓚と白馬義従は、胡が塞内に侵入したと聞けば急行し、追い出し、あるいは殲滅した。烏桓であろうが鮮卑であろうが、容赦はなかった。少しでも国境を越えると白馬義従が来る、そう知った胡は境を侵さなくなった。
白馬義従は公孫瓚が自分に心酔し帰順してくれた烏桓兵に白馬を与え編成したものである。白馬義従、という名を付けたのも公孫瓚自身。目論み通り、白馬義従と公孫瓚の名は辺境に鳴り響いた。
これで困ったのは劉虞である。
(……本初、済まぬ)
先日、日食があった。その結果太尉の馬日磾が罷免され、自分が後任に推されたと辞令が届いた。都では袁紹が何進を焚き付け、着々と対宦官戦の準備をしているという。しかしこの状況で洛陽へ戻ったら公孫瓚は遠慮なく烏桓を攻めるだろう。そうすれば劉虞の幽州での実績は無に帰してしまう。それが判っていておめおめと戻るわけにもいかなかった。
もちろん烏桓も困っていた。
国境から締め出されてしまうと、交易も強奪もできない。劉虞に恭順した事による最大の利益である朝貢に対する下賜も受け取りに行けない。
そもそも、烏桓は一枚岩ではない。地域に分かれそれぞれの大人を頂く。劉虞に全面的に帰順したのは遼西の丘力居と遼東属国の峭王こと蘇僕延。西側に居る右北平や上谷の烏桓は態度を明らかにしていなかった。
公孫瓚が活動しているのは幽州の東側、遼東属国である。そのため幽州の西側の烏桓たちは公孫瓚に締めつけられずに済んでいる。
幽州西の烏桓の統制が緩みはじめた。張純の乱に便乗して得た財物も、そろそろ底を尽きてきた。彼らは公孫瓚の目を盗み、県への略奪を再開したのである。
そんな彼らの前に、鉄と塩の上がりで富んだ、雍奴があったのである。




