1 解放(中平六年三月/189)
遼西郡の東端の防衛拠点である柳城に、ボロボロの男達がたどり着いた。よろよろと徒歩で、東の地平からやって来た。皆、髪は乱れ放題、鬚は伸び放題で痩せこけていた。
「……何者か!?」
守兵がおずおずと誰何する。
よたよたした男達を掻き分け、一人の毛むくじゃらがこれもまたよたよたと進み出る。男達の代表と思われるが、声が掠れて聞き取れない。哀れみから水桶を差し出した守兵は酷い匂いに閉口する。
口端から零れるのにも構わずにごくごくと音を立てて水を飲んだ男は、残った水を頭から浴び、顔までごしごしと洗った。
ふぅ。
息を吐いた男は、良く通る声でこう言った。
「騎都尉の公孫伯珪だ。帰って来た。皆に飯を頼む」
半年前、ここを通って東に進撃して行った猛将だった。水で少しなで付けられた髪と汚れの落ちた顔は、鬚面ながら美形の面影を残していた。
***
「三ヶ月も前に張純は死んでいた。どういうことだ?」
薊の臨時政庁。やっとここまで戻って来た公孫瓚は激怒していた。
「はい。劉幽州が賞金を掛けましたので」
長吏の関靖は、その激怒を軽く受け流した。
半年前。昨年十一月の石門の勝利の後、逃げる張純を追って辺境を東に向かった公孫瓚は、烏桓の逆襲に遭い、とっさに手近な城に籠城する羽目になった。敵中で動けなくなった公孫瓚の穴を埋めるべく、幽州牧として劉虞が赴任してきた。劉虞を慕う烏桓達は喜んで恭順。逃げ場を無くした張純は食客に背かれ殺された。それが三ヶ月前の事。この時点で二年近く続いた張純の反乱は終結したのである。
「じゃあなんで俺達は解放されなかったんだよ!」
劉虞に恭順した筈の烏桓は張純が死んで乱が終結しても公孫瓚の包囲を続けた。そこから三ヶ月。籠城で馬まで食べ尽くした公孫瓚は決死の覚悟で包囲を突破した。半数を失う辛い帰路だったが、あのままだったらどうなっていたことか。
「お考えの通りかと」
劉虞は烏桓と共謀し、自分を亡き者にしようとした。公孫瓚がそう考えていることは関靖でも判る。
「俺の部隊を解散させたのもか」
張純は武装蜂起の時に薊の役場を壊滅させていた。そこで幽州の行政を現地で代行することを公孫瓚は認められていた。都からの増援なしに戦うには現地での徴兵や徴用は不可避だったからだ。
薊の州治所も公孫瓚が再建しておいたが、自分が留守の間に劉虞はそれを無視してあらたに役場を再建した。そちらに徴税権を持って行かれた為、公孫瓚が置いた守備隊の一部は解散を余儀なくさせられていた。
「劉幽州は寛政の方ですから」
寛政とは民に優しい政治であり、それに対して民に厳しい政治を猛政という。だが優しければいい、というものではない。孔子の言葉にもこうある。
政寛やかであれば民は慢り、慢糾すには猛を於いてす。政猛しけれ民は殘れ、殘糾すには寛を於いてす。寛猛は相済み、政は是を以て和する。
寛と猛の調和が大事なのである。
異民族に対し寛であるのが劉虞であり、猛なのが公孫瓚である。
「そいつは性に合わんな。こちらもこちらで勝手にやってやろうじゃないか」
劉虞はこちらの牙を抜こうとしている。だが公孫瓚は幽州牧の配下ではない。だから与えられた現地徴兵、現地調達の権限は奪われていない。
公孫瓚の決意表明に関靖はニッと笑った。彼自身も酷吏と呼ばれる役人であり、劉虞の側には立てないと知っていた。




