2 殺戮(光喜元年八月庚午/ 189年9月24日)
南宮の後宮。長らく皇族以外の男子が入る事を許されなかったその場所に今、袁術の虎賁が踏み込んでいた。無論、踏み込んだだけではない。死を撒き散らしていた。
霊帝の詔で全ての寺に宦官が居る。当然、北宮にもその外にも宦官は分布している。だが、どこに一番多いか、と言えばやはりここ、洛陽南宮の後宮である。
さほど広くもない後宮には、桓帝霊帝の相手として連れて来られた女達。そしてその身の回りを世話する宦官達がひしめいている。
宦官の象徴が高冠帯剣とはいえ、護衛の為に剣を使う機会があるのは帝の側近くらい。女達の世話をする下級の宦官達にその技術も覚悟もありはしない。虎賁の手戟に為す術もなく斃れていった。
「殺せ殺せ!容赦はいらん。家具の影、竈の中まで調べ尽くせ!」
そう言いながら袁術は剣をぶら提げ後宮内を闊歩する。そして下半身を丸出しにして女官を組み敷いていた虎賁に遭遇した。
「おいおい、俺らは近衛だぞ?恥ずかしい真似をするなよ」
そう言いながら背中から、あばらの間を刺した。虎賁は絶叫した。体重を掛けると剣は面白いように肋間に沈み、絶叫は止んだ。そして下の女が絶叫した。のしかかった男の体が急に重くなり熱く赤い血しぶきを真上から浴びたからだ。
袁術は女の叫びにさほどの興味も示さず、次の宦官、次の宦官と捜しながら後宮を進んだ。
***
袁術が九龍門を突破しそうだ、との報を受けた段階で、袁紹は出動した。北宮の徳陽殿と崇徳殿の間の通路に陣取ったのである。十常侍が帝と皇太后を連れて北宮に逃げて来る可能性を想定したためである。
だが、どの経路で北宮に逃げてくるかまでは判らなかった。複道が一番ありそうだが、逆に洛陽市街を経由して北側から入り込むことすら有り得た。洛陽北宮のすべての門に監視を付けるには袁紹の手勢は少ない。司隷校尉なのだから配下がいないわけではないが、宦官に賄賂で殺されてしまうような部下は数に入れられない。少数の見張りを置いて、伝令の連絡でここから出動することにしていた。
夜半、南宮の赤い光がひときわ明るくなってから消えた。しばらくして、南から伝令が走ってきて叫んだ。
「来ました!」
袁紹は立ち上がった。
「やはり複道か」
袁紹は伝令の顔を覚えていた。朱雀闕に配置した組の者だ。朱雀闕は複道の北宮側の出入口である。
「急ぎましょう。仇を逃したくない」
袁紹の横に居た男も立ち上がった。車騎将軍の何苗である。何苗は兄が十常侍に暗殺されたのを知り、宦官と訣別し、袁紹に合力しに来たのである。何苗もまた僅かな私兵を引き連れただけだったが、袁紹にとっては車騎の肩書がなによりありがたかった。
袁紹と何苗は兵を連れ、闇に閉ざされた北宮を南へ走った。王宮とはいえ、どこでも常夜の火が焚かれているわけではない。ほとんど真っ暗な通路を足先の感覚で走って行くと、ぼんやりと朱雀闕の常夜の明りが見えた。
朱雀闕前。その常夜の篝火に、人影が浮かびあがった。人影は鈍く青く光る剣を提げており、足元に黒いものが転がっている。それは剣を抜き身で提げた一人の宦官。そして斃れた部下達の死体。さらに後方に子供を背負った二人の老宦官がいた。
「張讓が帝を拐っている!お助けせよ!」
袁紹の声で配下の一人が襲いかかった。人影から青い光が下から上に閃いた。そして配下は倒れた。
「尚方の渠穆!達人だ!気を付けろ!」
何苗は宦官と親交がある。渠穆とその実力を知っていた。
何苗の部下が手戟と鉤鑲で人影に挑み掛かった。鉤鑲は棒状の鉤の付いた小さな盾である。棒の部分で相手の武器を受け止め、絡め取るものである。人影は振り下ろす途中で剣の軌道を刺突に切替えた。切先は鉤鑲をすり抜け、胸を突かれた部下は膝から崩れ落ち、動かなくなった。
「押し包んで斬れ!」
袁紹の指示は的確だったが、実力に差がありすぎた。青い光が閃くたび、部下が倒れていく。ついには誰も近寄らなくなった。
人影を中心にひゅん、と青い光が弧を描き、ビッという音が地面で鳴った。血飛沫を振り落したのだと袁紹にも判った。
人影は剣を胸の前に構えた。
「帝のお通りである。道を空けよ」
逆光で顔など見えないのに、渠穆がにやりと笑ったのが袁紹には感じられた。人影はずんずんと近付いてきた。
袁紹も、何苗も、その部下も、道を空けた。青い光の届く範囲に入ろうとする者はいなかった。
子供を背負った張讓と高望がその後ろに続く。
袁紹は三人が通過したのを、むしろほっとした思いで見送った。その瞬間、一人の宦官が全力疾走で袁紹らの空けた道を走り抜けて行った。何太后という重荷を捨てた段珪である。
「仇を見送る羽目になるとは……」
「今の我々にどうにか出来る相手ではなかった。戦力が足りん」
何苗は後悔しきりだが袁紹は袁術の虎賁が北宮に来れば解決できる、そう算段していた。
その時である。朱雀闕から人影が飛び出し、勢い余って門前で転んだ。
「あ、あれ?」
篝火に照らされる中、起き上がろうとしたのは趙忠である。何太后の転落を確認してから走って来た為に段珪に置き去りにされたのである。
袁紹と何苗は顔を見合わせた。
「大長秋ですな」
「その様です」
長く後宮の巨悪であった老宦官の命運はここに尽きたのである。




