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俺解釈三国志  作者: じる
十二話 兄妹(中平六年/189)
178/211

5 孟津を焼く

「親父ぃ、ほんとにこんなことするのかよ?」


 呂布は山のように松の薪を背負うと、河岸への道をよたよたと歩く。連日の雨で足元が滑べる。

 

 その豪力で呂布を超える量の薪を背負って前を歩いている丁原が答えた。


「バカヤロおまえがそういったんだろうが」


 主簿呂布の読み上げた竹簡には


 ──孟津を焼け


 そうあった。丁原は困った。孟津は河原である。焼くものではない。舟と舟付場を焼いても大した火災にはなりそうもない。丁原は部下を集め思案した結果、河原で盛大な焚火をすることにした。そこで兵全員に近隣から薪を徴発させているのだ。


 いまいち気の乗らない部下達をよそに、丁原は一人で大量の薪を運んでいる。


 大量の薪を積み上げた頃には夜になっていた。


「あとはまかせた」


 孤軍奮闘、誰よりも多くの薪を運んだ丁原は疲労困憊で宿にしていた亭に帰っていった。


 残された現場を取り仕切るのは主簿の呂布である。呂布は頭をぼりぼりと掻きながら指示を出した。


「とっとと燃やして都へ行こうぜ。美女が俺を待ってるんだからよ」


 男達が冷やかす。


「奉先《ほうせん》は女の話しばっかだな」

「だって都の女だぜ?絶対いい匂いするぜ……」


 呂布、字は奉先。北の果て五原郡は九原県の出である。県が休屠胡の襲撃に遭った時、自衛の為に立上り、その弓で、馬で、胡人を散々に打ち破った。丁原は呂布の弓の腕をいたく気に入り、迷惑がる呂布を強引に軍に取り込んだ。

 だが呂布は至って平和な男であり、当人は女の事くらいにしか興味がない。戦には興味がない呂布の前に丁原がぶらさげた餌が、都の女の良さ、であった。


 実際約束通り丁原の軍は都に近付いている。なのになかなか都に入れないので呂布の期待は焦りに変りつつあった。


「燃えねぇ!」


 今日も朝から雨。そんな中で積み上げた薪は全体に湿っており、脂の多い松とはいえ、なかなか炎が上がらない。


「乾いた火口が要るな、こりゃ」


 薪の下に火口をくべれば上の薪も乾き、雨に負けずに火があがるだろう。その誰かの言葉に呂布が河岸の暗闇を指さした。


「あるじゃん」


 目を凝らすと闇の中に何軒かの家が立っている。


「中は乾いてると思うぜ」


***


 洛陽ほどの大都市でも夜は暗い。燃料をただの灯りに使う様な富豪は限られているからだ。だが、その洛陽の暗い夜を赤い光が照らした。

 警備の必要から篝火を焚いている宮城をもそれは照らし、宿営の兵士が最初にそれに気付き、騒ぎは大きくなっていった。


「いったいなんの騒ぎです?」


 外の騒擾を怪しんだ何太后は嘉徳殿の中庭へ出た。塀の壁面が真っ赤に染まっているのを見た。振り返ると北の天が赤く燃えている。


 北の孟津で焚かれた劫火が、雨で朦朦と煙を巻き上げ、そこに炎が照り返して十里以上離れた洛陽に届いたのである。


(この明りは火事?それにしても大きすぎるわ)


 何が起こっているのか理解できないでいる何太后の元に、張讓が駆け寄ってきた。手に木簡を携えている。


「大将軍からのご伝言でございます」


 なんとなく内容は察することができた。雨に濡れるのも構わず命令した。


「ここで読み上げなさい」


 張讓は赤く染まった光の中で木簡を読み上げた。


『洛陽は既に包囲されている。今こそご決断を』


「それだけ?」

「さようで」

「そう……」


 やはり兄は、うちの子から権力を奪おうとしている。妹を脅す為にこんな大がかりな事をするなんて。


「お返事は如何様になさいますでしょうか?」

「何も。ただのこけ脅しです」


 ここで少しでも脅しに屈したら、ずるずると譲る羽目になるだろう。私がしっかりしていれば兄は何もできない筈。

 何太后は兄には何も譲る気はなかった。


***


 何進の側近をしながら司隷校尉となった袁紹は多忙を極めていた。

 

 自宅に引き籠る何進の為に、大将軍府の機能が第宅に移された。それに加え、司隷校尉の判断を仰ぎに属官がひっきりなしに訪れていた。


「『侯は侯に非ず、王は王に非ず、千乗萬騎北芒へ走る』?童謡の話なぞ洛陽令にでも回せ!」


 そう言って追い返す。


(身内に官職を回しすぎたな)


 身内の優秀な人物を様々な官職に就けた為、袁紹自身を補佐する者がいなくなったのである。その為どうでもいいことまで自分の所へ上がってくる。ましてや昨夜は孟津を焦がす大火である。それ関連で民心は不安定になっており、余計な報告に袁紹は忙殺されていた。

 

 北芒は靈帝の陵のある北邙山の事だろう。千乗萬騎は帝の行列の事。となればおそらく先日の大喪に関するものに違いない。前段が不穏だが、何進に関する揶揄ではないかと思われた。わざわざ大将軍に聞かせる話ではない。そんな判断もできないのか?


 案件の合間に余計な思索をしていた袁紹は、周囲が急に静まり返った事で我に返った。


 皆の視線が入口に?袁紹もつられてそちらを見た。


 何車騎──大将軍の弟である何苗が立っていた。謁者が案内して来たらしい。


 袁紹の側を通って何進本人が出迎えに行く。


「良く来たね。どうだい?最近は」

「兄上……」


 苦虫を噛み潰したような顔を見て、袁紹には昨夜の件について苦言を呈しに来たのだと判った。


「覚えておられますか?我々は南陽から来たときはともに貧賎でした。我々が富貴を得られたのは宦官達のおかげです」


 室内の空気は冷えきっていた。ここは大将軍府で、反宦官の策謀の中心地である。そこで宦官よりの発言をしたのだから当然である。だが何苗は気にしていないのか続けた。


「これは国家の事です。軽々しく考えるべきではありません。覆水は盆に帰らないのです」


 震える声に僅かながら怒気が含まれていた。血の繋がらない弟の静かな怒りに何進は身を縮めていた。


「よくよくお考えになって、宦官達と宜しくしてやってください!」


 宦官派の弟は、反感の視線を気にする風でもなく、それだけ言い捨てると去っていった。


 後に残ったのは悄然と立ち尽くす何進である。


(まずい!)


 袁紹は、何進の傷ついた顔を視た。大将軍の顔ではない。妹に拒絶され、弟に批判され、家族から孤立した男の顔だった。覚悟の揺らいだ顔である。


 袁紹は立ち上がると何進の側で囁いた。


「我々の動きは宦官も知っており、もはや止められません。将軍は何を待たれておいでで?早く決意されるべきです」


 袁紹の計画の第一段は孟津を焼きそれを以て皇太后を脅す、というものであった。これは失敗した。なので計画は第二段階に進めねばならない。


「平樂觀か?」


 何進の問いに袁紹は頷いた。

 

 西園の平樂觀。閲兵に使われるこの場所に諸侯の兵を集める。それを見せて皇太后を脅すのが袁紹の第二段である。第三段?もちろんその兵で洛陽宮に突入するのである。最後の最後にしたい手段である。


 何進と目が合った。どういうわけか何進はこちらの目をのぞき込んで来た。そして言った。


「よし。やろう」


(良かった)


 袁紹は何進に意志力が甦った事に安堵した。だから続けての言葉が一瞬理解できなかった。


「けどな、俺には進め方が判らん。本初、お前さんに仮節ってのをくれてやるから好きにやるといい」


 潔い責任放棄だった。


(な)


 じわじわと言葉の意味を理解し、目を白黒させている袁紹の肩を何進はポンポンと叩いた。


***


「今更『来い』だと?」


 大将軍からの急使が告げたのは洛陽西園への移動。董卓は不機嫌だった。


「文和!」


 賈詡は即答した。


「すぐには無理かと。隊を分割しましたし、今ごろ各隊とも督糧に出ていると思います」


 大軍が一箇所に集まると地域の食料を吸い尽くす。それを避ける為、部隊を分割し、離れて駐屯することにした。それらの隊も補給は地域からの収奪に頼っている。督糧隊を出してかき集めている事だろう。そんな簡単に再集結できる筈もない。


 董卓は「それぐらいわかっとるわ」という顔だった。


「他の連中に先を越されたくねぇ。何かいい策はないか、と聞いとる」


 大将軍が自分以外の太守や将にも声を掛けているのは知っている。功を最大にするには誰よりも早く洛陽に向かう事だ。同じ事をしても二番、三番では軽んじられる。


「……とりあえず騎兵を先遣に出す、ってのでどうでしょう?」


 董卓の手元の軍勢から騎兵を抽出しそれを急派するのだ。


「そんな少数の騎兵、何の意味がある?」


 巨大な洛陽に対して少数過ぎて実効のある軍事行動は取れそうもない。


「その場しのぎですよ?」


 賈詡はけろりとした顔で言い放った。


「だよなぁ。でもしょうがないか?」

「はい」


 百にも満たない騎兵を董卓の弟、董旻が率い、洛陽に向け出発した。


***


「兵が西園に?」


 何太后の問いに張讓は頷いた。


「続々と集結しているとの話でございます」


 董旻の少数の兵は予想を超える効果をもたらした。


 何太后も、張讓も、自分の目で董卓の軍勢を見たわけではない。信頼できる部下に確認させたわけではない。ほとんど風聞に近い粗い報告を鵜呑みにした事で、何太后の中に西園平楽観を埋め尽くす大軍が生まれた。


(兄は本気で宦官を殺しに来る気なの?)


 西園にやってきたのは董卓の騎兵だという。


 何太后は先日の董卓の上表を思い出した。


 ──張讓を殺す。名指しでそう書かれていた。


 何太后の中で西園に整列していた大軍は、突然慓悍な涼州の将軍に率いられることになった。それが足を鳴らし、戈を燐かせ、この洛陽に向かって進撃してくる。


 燃え落ちる洛陽宮。喪われる我が子の命。何太后はおそろしい結末を幻視し、いままで感じた事のない恐怖に襲われた。


(どうすればいい?あの子を助けるには何をすればいい?)


 何太后はきょろきょろと周りを見回す。誰か助けてくれるものはいないのか?目の前の老人は力のない宦官だし当事者過ぎてあてにならない。だが永樂宮に助けになりそうな士大夫がいるわけもない。最終的に何太后の目は再び目の前の困惑する老人の顔に注がれた。


(兵は張讓を殺しに来る。じゃぁ張讓が居なければ兵は来ない?)


 何太后の口から出たのは悲鳴同然の宣言だった。


「罷免!罷免────します!」


 目を丸くする張讓に向かい、何太后は吐き捨てた。


「小黄門以上の全員を罷免します!!今すぐ印綬を返し、宮殿から出て行きなさい!」


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