4 決裂
大喪の礼の日取りが決まり、式次第の確認と手配が進んで行く。
「諡号?わしが?」
何進は驚いて聞き返した。黄門侍郎の荀攸がうなずく。
「大行の諡号は太尉がお決めになる事項です。まぁ、帝の了承を得ながら、ですが」
帝は生前、ただの「帝」である。名を持たない。死後、生前の業績にみあう諡が贈られ、ようやく名が付く。つまり諡号は帝の統治期間への死後の評価である。そして大行は崩御の後、諡されるまでの間の呼称である。新帝が即位されると名の無い帝が二人になり、区別できないからである。
「しかし太尉は未だ着任されておりません。そこで百官が相談した上で大将軍に代役をお願いしたいとのことで」
「わしに出来るわけがなかろう?お前達で決めてくれ」
何進は嫌そうに答えた。それに必要な教養が無いのは判っているだろう?そういう表情だった。
荀攸はにっこりと笑った。
「では、そのようにさせて頂きます」
帝の諡号を決める機会を託されるなど早々無い。袁紹達は喜々として、そして無責任に議論を進めた。
「あまり良い名にするわけにはいかんな」
諡号は先帝に対しての死後の評価である。宦官の跋扈があり、党錮の弾圧がありと、士大夫にとっては艱難の時代であった。暗君、というのが率直なところである。
「かと言ってあまり酷い名をお贈りすると後々災いとなりかねん」
西周の幽王だの東周の赧王だのというのは滅亡させた最後の王に対し付けた諡で、後継が居ないから遠慮なく好きにできたのである。悪い名を付けたら今後の帝、皇族に不興を買い兼ねない。
結果として決まった諡は靈。「乱而不損」の意である。酷い治世だったが滅びずには済んだ。それが党錮を潜り抜けた士大夫達にとっての実感であった。
不損──崩御から二月の時点での彼らは、そう思っていた。
***
その日は朝から雨が降っていた。
長い長い車列が北東に進む。洛陽の北東にある北邙山に作られた皇帝陵、文陵へ向かっている。
先頭の車には奇怪な姿をして踊る人物が乗っている。方相氏である。黒い衣に赤い裳を履き、目が四つ付いた黄金の仮面を付け、熊の毛皮を被って楯を掲げ、戈で空中を突いている。邪を払っているのである。
「天子之棺」と書いた旗を翩翻とさせた車が後に続く。後方には孝靈皇帝の棺を載せた大行載車を、三百名の子供達が綱を持って曳いている。帝の遺物や副葬品を積んだ車、百官が続く。
先頭から最後尾まで見渡しても、その中に何進の姿は無い。太尉の代行を行なう為に長冠を被って緊張の面持ちだったのは大行載車のすぐ側に陣取る、車騎将軍の何苗である。
何進が即位式に続きこの大事な行事に欠席したのは袁紹がこう説得したからである。
「今、大行は前殿にありますが、将軍は詔に沿って兵を領し衛守なさいませ。軽はずみに入宮なさってはなりません」
既に暗殺未遂があったのである。そして洛陽宮にはどこにでも宦官が居る。何進は暗殺を警戒し、病と称して大喪に参加せず、陵への埋葬へも行かないで屋敷に籠ったのである。
その行動を怪しむ人間は当然何人も居た。その一人が何太后である。
「何故長兄は家に籠っているのかしら」
母である舞陽君が答えてくれた。
「それがね、あの子、家で悪い部下と何かを企んでるって話らしいわよ」
「何かって?」
「宦官たちが言うには陛下の左右を殺す計画だそうよ」
袁紹らの行動は宦官に筒抜けであった。というより何進の側近になる前から袁紹は危険視されている。
「え?なんで?」
「そうすれば陛下をお助けする人は居なくなるでしょう?そしたら自分が牛耳れる様になるじゃない」
だが目的はねじ曲げて伝えられていた。
そんな筈は、と言いたかったが何太后の口からは出て来なかった。宛から都に来て十五年。肉屋の看板娘には想像も付かない事を見聞きしてきたのである。権力の為に孫を殺し続ける祖母が居るなら、権力の為に甥をないがしろにするくらい普通にありそうだ。
しばらく考えたが、何太后の意見はまとまらなかった。なら、直接話をするしかない。
「兄の第宅に下行します」
皇太后の訪問を拒絶できる臣下は居ない。血色の良い顔で何進は出迎えた。
「急病でしたがもう直りました。陛下にご心配いただくまでも、はい」
何太后の疑惑はいよいよ深まったが、何進は病気に関してはこれで済んだとばかり、話を変えた。
「せっかくですのでお会いできたこの機会に今上について御提案がございます」
「申せ」
兄妹なのに立場が変ってしまい、昔の口調で話せないのがもどかしい。
「今上の皇后をそろそろ考えねば成りません」
「唐姫でいいでしょう」
十四になった劉辯には既に事実上の妻が居る。唐姫という。かつて権勢を誇った宦官唐衡の縁者である。夫の立太子がなかった為、彼女は無官のままである。だが今は喪中であり正式な婚儀も立皇后も行なえない。
「喪が明ける前に皇后を選定しておく必要があると思います」
何進は暗に正室を選定しなおせと言っている。ますます疑惑が深まった。
「また後宮には先代、先々代にお仕えした女達が大勢おりますが、陛下にはふさわしくないと考えます。その者達を故郷に返しましょう」
それに特に異論はなかった。桓帝時代の姥も後宮に居るのは知っている。
「美人貴人を帰せば、女官も宦官も減らせます。後宮を一度閉じてすっきりとし、改めて若く今上にふさわしい女性を集めましょう」
後宮の縮小を口実に宦官を削減する、それが袁紹が授けた策だった。もちろん残すのは扱いやすい下級の宦官にするつもりだった。
(やっぱり)
兄は宦官を追放しようとしている。大長秋や中常侍が居なければ誰に政務を相談するのか?中書がいなければどうやって永樂宮から政務を執るのか。兄の提案は自分と我が子から権力を剥奪するものとしか思えなかった。
「宦官が禁裏を取りしきるなんて今に始まった事ではないでしょう?漢家の伝統を廃するなんてとんでもないこと。先帝が天下をお棄てになられたばかりなのにあなたたちは何で士人と事を起こそうとしているのです?」
何太后の反論で二人は決裂した。
何太后が帰った後、状況を聞いて袁紹は──半ば予想していたとはいえ──落胆した。漢家で今、最高の権威者である皇太后が同意しない、では話にならない。
「まずは司隷が目に余る宦官を摘発するのでどうかな?そうすれば連中の悪辣なることを皇太后もお分かりいただけるだろう」
何進はそういうが、李膺にすら出来なかった事が出来るとは自信家の袁紹にしても思えなかった。
「宦官どもは至尊の方々の近くにいて詔勅に口だしできるのです。今、ことごとく廃し尽くさなければ必ずや患いが降り掛かるでしょう」
宦官を一斉に排除するにはやはり皇太后の同意は必要だ。袁紹は策を練った。ただの説得でご納得頂くのは無理だろう。脅すしかあるまい。
大将軍府で、袁紹の決起の言葉が何進の口から滑り出した。
「四方の英雄、豪傑を都へ招き、その勢いを以て皇太后にご翻意いただく。まずは手始めに孟津を焼く」
集めた兵力を都に突入させ宦官排除に使うのは最終手段として、その前に脅しとして機能させよう、という作戦である。
孟津は洛陽からすぐ北にある黄河の渡河点である。ここははるか昔、周の武王が殷の紂王を討つ際に八百諸侯と会合した場所である。象徴的な意味もあった。すでに南下している騎都尉の丁原に命令の使者が送られた。
だが、この動きに大将軍府主簿の陳琳が意見した。陳琳、字は孔璋、廣陵の人である。
「易に『即鹿無虞』と称し、『掩目捕雀』の諺もあります。小さな生き物でも侮っては得られないのです。ましてや国の大事なのです。欺きで成り立つものでしょうか?将軍は今、皇威を總べ兵要を握り龍が驤り虎が歩くように何事もお心のままでしょう。ですのにこの様なやり方では火を吹いて毛髪を焼くのと同じく、しくじりが起き兼ねません」
皇太后を脅すのは悪手である、と言う。だが陳琳は温和な意見の持ち主、というわけではない。そんな者を袁紹は招かないのである。
「ただ雷霆の如く命令を発し、機会を逃さず行動すれば経に反しても道に合っていれば天も人も順うものです。ですのに自前の武器を使わず他から招くとは。軍勢を集めれば強い者が従える事になります。干戈を逆さまに持って柄を他人に渡す、という奴です。功は全く成らず、ただ乱の元になるだけですぞ」
招聘した戦力など待たずに自前の兵力で一気に片を付けろ、と言っている。その為に皇帝や皇太后や祖母を拘束するくらい仕方ないだろう、そう言っている。
何進は救いを求めて袁紹を見た。袁紹は静かに首を横に振った。洛陽宮の兵力である羽林や虎賁、五営は宦官側に回る可能性が有り、信頼しきれない。それが可能なら竇武と陳蕃が成し遂げていた筈なのだ。
袁紹が当てにしていた西園軍は霊帝の私費で賄われていた私設軍だったため、霊帝の崩御によって維持費用が切られ、兵は夢散してしまっていた。董皇后も、何太后も、自費で西園軍を維持する気などさらさらなかったのである。
だから外部から兵を招くことは──袁紹の考えとしては──必須だった。
そんな折、何進の第宅に驚くべき報告がもたらされた。
「董卓が、上表?」
郵を使い、董卓が上表したというのである。
『中常侍張讓らは寵愛をいいことに海内を濁乱させました。臣は『湯の沸くのを止めたければ薪を取り去らなければならない』と聞きます。痛くとも腫れ物を潰さねば内を蝕むものには勝てません。昔、趙鞅は晋陽で甲を興し君側の悪人を遂ったとか。今、臣はすぐにでも鍾鼓を鳴らして洛陽に赴き、張讓らを収容し以て姦穢を清めん事を請うものです』
「──これは」
「やられましたな」
荀攸が右手でぱちんと額を叩き、驚きを表現した。
「董卓が宦官殲滅の手柄を奪いに来たってトコです」
先に上表する為により、董卓は宦官殲滅の首謀者面ができる。もし我々が董卓抜きで宦官殲滅の兵を挙げたとしても自分の功績と認めさせようとするだろう。洛陽に居る我々にはとてもそんな上表はできない。警戒され反撃されるだけだからだ。
「随分頭の切れる奴が付いていると見える」
だが荀攸が本当に驚愕するのは、続報を聞いた時であった。
「澠池に?董卓が?」
驚きに袁紹も立ち上がる。
澠池県は洛陽のある河南尹の西隣、弘農郡の東端にある。そこに董卓の軍勢が現れたというのだ。
「黄河を渡ったというのか!」
董卓に指示したのは黄河の向こう、河東郡での待機である。河東から渡河して弘農に入り、さらには洛陽を指呼の間に置く場所まで前進しているというのである。
「この件、皇太后陛下は?」
「無論、ご存知です。董卓に河南尹に入る事を禁じる詔をお出しになりました」
「……そういえば董卓は勅命と言えども聞かない男だったな」
何進はいまさらながら思い出した。
「まずは董卓を止める事です」
袁紹の描いた大将軍が各方面から将軍や太守の軍勢を呼び寄せる、という絵図面は、軍勢を統御出来てはじめて成り立つ。勝手に洛陽に入られたらたまったものではない。袁紹はこの男を制御する事の難しさを初めて実感し、そして恐怖した。
「止まれといって止まるのかね?あやつは」
郵から詔を届けられても無視しそうである。
「詔を手に入れてください。誰か硬骨の者に持たせて派遣しましょう」
***
「お役目ご苦労様です」
都から来たその男は武装していたわけではない。肉体に強そうな所はなにもなかった。いかにも士大夫、といった風体の男だった。
种劭、字は申甫。洛陽の人である。先日まで諌議太夫であった。
まもなく河南尹に入る、というところで种劭は董卓を出迎えた。ささやかながら犒師の準備までしてあった。
ご馳走がある、という事で兵が止まった。董卓は「ものわかりのいい」将軍である。叱責せずに犒師に付き合うことにした。
幕が仕切られ、宴席になった。
「詔でございます。将軍には軍を引き返し、今まで通り河東で待機なさるようお願い申し上げます」
「おいおい、関中の上林苑に居た俺をこんなとこに呼んだのは大将軍だぞ?来いというのか来るなというのかどっちだ?」
种劭は静かに答えた。
「……詔でございます」
董卓は鼻で笑った。
「オイお前ら!」
董卓の呼びかけに兵達が幕の間から入ってきた。とても官兵に見えない連中だった。
「なんです?将軍?」
礼儀もなっていなかった。
「お前ら、洛陽を見たいか?」
董卓の問いに、兵達は口々に答えた。
「見たい!」
元は洛陽から発した軍なのに、何時の間にか兵が涼州兵に入れ替わっていた。
「見たいか?!」
董卓が重ねて聞き、拳を突きあげると兵も拳を挙げて叫んだ。
「見たい!!」
大音声だった。勢い余り剣を抜いて掲げるものも出、白刃の燐きで幕内は大騒ぎとなった。その圧に董卓はにやりと笑った。脅しの結果を確認する為に种劭を見た。
种劭は立ち上がっていた。目は鋭く据わっていた。种劭は兵達の大声に負けない声で叫んだ。
「并州刺史は!河東に!兵を!戻す様!詔を!たまわっております!詔に逆らうや否やか如何に!」
种劭の眼から発される強烈な意志力に董卓はたじろいだ。兵にも聞かれている。いきなり「俺と一緒に逆賊になれ」と言うわけにはいかない。ここで董卓は降参した。
「判った判った。後退させよう。だが、河東は勘弁してくれ」
种劭の鋭い視線を両手で遮る様にしながら、董卓は続けた。
「河東一帯は匈奴と白波が劫掠した後だ。あそこでは兵が養えん」
董卓の軍は正規の資格を以て駐屯していない。きちんとした兵站を構築していないのである。従って兵糧は各地の亭の貯えなどを徴発して賄っている。一定地点に留まるのはそもそも難しい。それが荒らされた土地では。
种劭の眼は一向に和らがなかった。董卓はようやくそのまなざしを思い出した。子供の頃、遠くから見かけた度遼将軍种暠の精悍な眼と同じだった。祖父譲りの気骨に、自分の体は震えたのだ。
种劭に睨まれ、董卓はとりあえず夕陽亭、という場所まで下がった。
董卓の東進はなんとか留めた何進を鄭泰は諌めた。
「董卓は残忍で義に薄く、果てしない欲を持っています。もしこの大事に加えましたら欲しいままに欲望を見たし、必ず朝廷を危険に陥れましょう。明公は親徳の重に阿衡の権をお持ちです。独断して意を決し罪有るを誅し除かれるべきで、それに董卓などの力をお借りになることはございません。到着を待とうとすれば変を生じるものです。殷鑒は遠からず、です」
殷鑒、というのは「殷は前王朝の夏を鑑にすべきである」という言葉で、それに遠からじ、が付くと「身近に教訓はある」という意味になる。上奏文を提出した事に満足し一晩待ってしまった為に宦官から逆襲された竇武が念頭にあった。つまり、今すぐ蜂起して宦官を殺せ、と言っているのだ。
だが鄭泰の意見は陳琳のそれよりも袁紹に響かなかった。董卓への印象といえば「部下を大事にするあまり兵を私物化してしまった将軍」である。強欲かもしれないが残虐という印象はなかったのである。
鄭泰は自分の意見が容れられないと知り、何進の第宅を去った。去り際、見送る荀攸に肩をすくめて言った。
「何公をお輔けするのはなかなか難しいことですな」
荀攸は何も答えなかった。鄭泰はその足で尚書台に出向き、印と綬を返却して官を辞した。




