3 即位
梓宮を前に、司徒の丁宮と司空の劉弘が立っている。太尉の劉虞は着任しておらず、空席であり、何進は病で欠席していた。
「尚書顧命篇の教える所では、周の成王が崩じられた後、遺命によって召公爽はすみやかに康王を立てられました。その先例に則り、太子におかれましては、この柩の前で、すみやかに天子に御即位頂きたく願い申し上げます」
皇帝劉宏の崩御により皇后から皇太后となった何太后がその奏上に満面の笑みで「可」と回答する。形式上は喪中である。心ある士大夫は眉を顰めた。だが式次第としては成立している。ここに元服し劉辯となった史侯が皇帝位についた。日食から数えて半月の事である。
次の儀式の為には白の喪服から吉服に着替える必要がある。万歳を叫ぶのに喪服とはいかないではないか。群臣たちは退出を始めた。
その士大夫たちの流れの中に袁紹の心配げな顔があった。
「大丈夫ですよ」
荀攸は平然としていた。
何進の陣営には帝劉宏の遺体もなく、崩御を確定させる証拠も一切ない。だからと言って手を拱いていては後手に回ってしまう。
そこで彼らは劉辯を即位させる為に思い切った手に出た。一方的に帝の崩御を発表し、史侯の即位式を開き百官を招集したのである。
実際のところ梓宮には何も入っていない。通例読み上げられる先帝の遺詔も省かれた。だが百官は帝の崩御に異議をとなえない。宋氏渤海王が呪っているという風聞も帝の崩御を印象づけてくれた。
袁紹が心配したのはもし今上がご存命であったらどうしようか、その一点である。勝手に崩御を発表するなど不敬極まりない。どんな極刑を受けてもおかしくないのである。だが荀攸は帝の崩御を確信していた。でなければ何進暗殺を試みようとする筈がないからだ。
「そんな事より、この後の大事を考えておくことです」
「判っているさ」
宦官の誅滅。その最終目標の為に無理を通したのである。
この日、帝の弟である董侯は渤海王に封じられた。これで渤海王が今後帝位につく可能性は無くなったと言って良い。万が一今上が夭折されるような事があったとしても、次に帝位を誰に嗣がせるのか決めるのは何太后である。渤海王を選ぶ筈がないからである。
若い今上を補佐するため、大将軍何進と太傅袁隗には録尚書事を加えられた。
袁紹は司隷校尉となった。洛陽の監察権限を持つ司隷校尉は宦官誅滅への布石である。拝命しながら、袁紹は思った。
(世間は大将軍が新帝劉辯を傀儡にした外戚の政権だと思うかもな)
袁紹は族弟の袁術を虎賁中郎将へ推挙した。洛陽宮内で兵力を手にさせるのである。荀攸、何顒、逢紀ら袁紹の仲間達も洛陽宮内で活動するために相応の官職が与えられる。
実態は何進すら傀儡であり、ここからは袁紹とその仲間が政治を行なうのだ。
天下に大赦が告げられ、改元がなされた。新たな元号は光喜──まるで劉宏の死が喜ばしいかのように。
***
ぺちり。
董皇后の打擲は、蹇碩に取っては蚊に刺された程の痛みでもなかったが、それでも蹇碩は顔を庇い、しゃがみ込んで哀れな声を上げた。平然としていては主人への反抗になってしまう。
「どうしてあのあばずれの子が皇帝になって、この子がなれないの!?」
董皇后の怒りは蹇碩にも理解できた。息子を毒殺してまで図った簒奪計画を何進に乗っ取られてしまったのである。史侯の即位で今後は誰もが何進に阿ることだろう。董皇后そして自分達嘉徳殿の宦官に賄賂を出そうという人間も居なくなるに違いない。
「お前が付いていながらどういう事です!?」
ただ、自分の責任にされてしまうのはどうにも困る。自分に出来るのは頭を使う事でなく寵愛に阿る事である。平伏している頭を何度もぶたれながら、張讓だったら何かうまい手を打っていたのだろうか?と蹇碩は思った。
「なんて可哀想な子なんだろう」
董皇后はそう言って孫を抱きしめた。董侯……いや渤海王は黙って抱きしめられている。
「そうだ、あっちの子を殺してしまえばいいのよ!お前、なんとかしなさい!」
自分の管轄下でなら弑逆もたやすかろうが、新帝は何太后と趙忠、張讓らに守られている。とても出来たものではない。蹇碩は董皇后の逆上を平伏してやり過ごしながら思った。
(聡い子だな)
渤海王は祖母の懐の中で無言を貫いていた。九歳にしてこんな時は黙っていた方がいい、ということが判っているようだった。
***
(あいつがここに居ればなぁ)
袁紹は嘆いた。むろん、劉虞の事である。太尉に任命されて半月、幽州から帰ってくる気配はない。
こういう場合、離任に際しては残務の引き継ぎや別れの宴などですぐには帰還できないのが普通である。一月どころか半年かかってもおかしくはない。劉虞の様な高徳の士大夫なら、住民の引き留めにも遭遇しているかもしれない。
長安の蓋勲を戻す事も憚られた。董卓がいなくなって兵力が半減した扶風の抑えに信頼できる者が必要だからだ。
結果としてこの政権の重責は、ただ一人袁紹の双肩に掛かっていた。
(まず、足場を固める事だ)
まずは渤海王の身柄である。あの子供の身柄を押えておかないと、宦官誅滅の際にあちらが践祚させて対抗してくる可能性がある。宦官が結託し順帝を即位させた先例が脳裏にちらつく。
その渤海王は嘉徳殿に養育されている。渡せと言われて渡す董皇后ではなかろう。つまり邪魔な董皇后の勢力を一掃する必要がある。だがあれでも今上の祖母である。あまり手荒なことをするとこちらの評判が悪くなる。
(蹇碩を排除することだ。奴さえ居なければ何程のものでもない)
そして大喪や祭事を滞り無く完遂し、劉辯の治世に実績を積まねばならない。何進を中心とした体制が当然のものとして受け止められなければ、兵も士大夫もその日に手の平を返すかもしれないからだ。
最後に来るべき日の為の戦力を集める事。西から前将軍の董卓、北からは元并州刺史で騎都尉の丁原、東から東郡太守の橋瑁に声を掛けた。更に自前の戦力を充実させるべく、騎都尉の鮑信、部下の王匡、そして先行してやってきていた丁原の部下、張楊と張遼を募兵の為に都から送り出した。
(問題は、だ)
何太后である。
宦官殲滅の際には渤海王だけでなく、今上、そして何太后の身柄も押えておかねばならない。宦官の側にこの二人が居たらこちらが逆賊にされて勝ち目が無くなる。
問題はその何太后が宦官に不満を持っていないのである。宦官の推挙で皇太后まで昇りつめたのだから、むしろ親宦官といっていい。妹を張讓の養子に娶せた程である。
何太后の説得は兄である何進にお願いするしかない。
(──だが)
何進自体が現時点で宦官の害に遭っていないのだ。
袁紹はたびたび外戚と宦官は最終的に対立する、と説いて何進を煽っているが、どこまで身に染みているだろうか。教え込まれた理念だけで何進が果たして戦えるのか?
自分は宦官を殺すことに躊躇はないし能力としても問題無い。そう袁紹は踏んでいた。だから彼の懸念はむしろ味方側に向いていた。
***
蹇碩は几の上の竹の板を払い飛ばした。くるくると横転しながらその板は思ったより遠くに飛び、ぱたん、という軽い音と共に床に貼りついた。今は無駄になった遺詔の尺一である。
代わりに新しい竹簡を取り出す。
(自分の力ではもう無理だ)
董太后の要望を叶えるのはほとんど不可能であることを蹇碩は理解していた。だが、生き残ることはできる筈。何太后派の宦官と共闘できる敵を作るのだ。蹇碩は筆を執った。
「大将軍の兄弟は国を乗っ取りました。今、天下の党人と組んで先帝の左右を誅せんと謀り、我々を掃滅しようとしています。碩が禁兵を以てお守りしておりますので手を出せないだけです。今こそ宜しく上閣を閉じ、奴らを捕らえるのです……だとさ」
趙忠は中常侍の同僚達を集め、蹇碩からの竹簡を読み上げた。
「党人……ほう?」
段珪が皮肉な顔で笑った。つられて皆がくすくすと笑った。党人は彼ら宦官が士大夫を取り締まる為に作った概念に過ぎない。
一同に張讓が尋ねた。
「この件、何か論ずる程の余地があるかね?」
張讓の養子は何太后の妹を娶っている。
郭勝が答えた。
「まさか」
郭勝は何太后を洛陽へ連れて来た宦官である。
答えは既に決まっていた。
***
嘉徳殿の門前に一人の宦官が立った。
「嘉徳殿の皆様に申し上げる。元小黄門の蹇碩を引き渡されたい」
(そうか、それが答えか)
蹇碩は全てが終わった事を知った。
黄門令は宦官の管理者である。それが蹇碩の解任に来たのである。これが張讓らの答えである。蹇碩を見捨てる意志であり死ねという意志である。
震える手で衣装を整え、よろよろと自室を出る。
部屋の外に出ると、嘉徳殿の宦官達のいたわしげな眼差しが蹇碩を迎えた。彼らも董皇后側の宦官として、蹇碩の身上を明日の我が身と考えているのだ。
廊下から前庭に出た途端、冷やかな視線が蹇碩を迎えた。嘉徳殿の衛兵達である。彼らはその権勢を恐れて蹇碩に従ってきたが、すでにそれは烏有に帰していたと知ったのである。
蹇碩は静まりかえった前庭をとぼとぼとと横切った。
門は開いておりそこに黄門令が立っているのが見える。
蹇碩は途中で一度だけ本殿の方を──帝の安置されている方を──振り返った。董皇后に挨拶していこう、という気は起きなかった。
黄門令の前にたどり着いた蹇碩はとても小さく縮んで見えた。
***
蹇碩が誅され、嘉徳殿は何苗の兵が制圧した。董皇后に属していた宦官達は連行され、長秋宮の宦官達が入って来た。
先帝の遺体が前殿に搬出された後、嘉徳殿に入って来たのは何太后、そして彼女の母である舞陽君である。
「あら、さすがに豪華ねぇ……」
きょろきょろと内装を見回すと、ため息を吐いた。感嘆と、そして軽蔑のため息である。
四年前、南宮を大火災が襲った。火災は何皇后の住む長秋宮も、董皇后の住む嘉徳殿も、等しくその猛火で舐め尽くした。二つの建物は最優先で再建された。それ以降で始めて入る新嘉徳殿だが、何太后の目で見ると出来上がりの美々しさでは雲泥の差があった。
「銭の力って凄いわね」
董皇后は売官で温めた懐の私財で嘉徳殿の整備を行なったのである。
何太后は長身を屈め、顔を姑に近付けると見下ろして告げた。
「……ここは今日から私の永樂宮にするわ」
董皇后は何太后を睨み上げて叫んだ。
「お前が偉そうにしているのは兄のおかげだろうが!私が驃騎に命じて何進の首を持ってこさせてもいいのだぞ!」
何太后は目を丸くしてその叫びを聞いた。そして周囲の宦官に尋ねた。
「聞いた、今の?怖い怖い。誰か大将軍に伝えなさい」
騒ぎはすぐに自分の第宅に居る何進に注進された。
話を聞いた袁紹が笑った。
(自分で自分の首を締める様な真似を……)
董皇后は自ら甥の命を縮めたのである
「あちらは現実が見えていないようですな……公業」
「ああ、こちらで文面を作らせておく」
鄭泰、字は公業。天下に乱が起ころうとしているのを知り、豪傑と交わる為に私財を擲った事で名声を博していた。辟されても全て断わって来た彼だがその豪傑の一人である袁紹の推挙で重い腰を上げ、何進の側近となり尚書侍郎に抜擢されたのである。
上奏があった。
「孝仁皇后は中常侍の夏惲、永樂太僕の封諝らを用い州郡と通じ、珍宝貨賂を独占し、ことごとく西省に入れました。蕃后の故事によりますと、京師に留まる事はできません。服装も食事も待遇は変えないまま、本国にお帰り頂くことを乞い願います」
孝仁皇后とは董皇后の事である。劉宏が父劉萇に孝仁皇を追贈していた為である。
蕃后の故事とは西漢の終わりにあった事件を指す。従兄の跡を嗣いだ平帝が崩御した時、生母であった衛姫が権力を振るうことを恐れた王莽が、衛姫を故郷中山国へ送還した、という先例である。董皇后は皇帝の生母ではあったが、歴代皇帝の妻……国母であった事がない。だから皇太后を名乗れず皇后を名乗っていた。その立場の弱さを衝かれた形になる。
上奏したのは何苗。見えすいた芝居であった。上奏より前に既に実働部隊は動いていた。驃騎府の建物は何進の私兵に囲まれていたのである。
今は平時であり、驃騎将軍といえども多兵を領している訳ではない。驃騎府には少数の属官が詰めているだけある。抵抗のしようが無かった。董皇后の甥、董重は免官され、先を悲観して自殺した。光喜元年五月辛巳。日食から一月の事である。
自分の呪詛がこの流れを呼んだ事を知った董皇后は恐怖のあまり病を発した。
この時、帝の弟渤海王は国替えされ、陳留王となった。渤海郡は東海の大郡であり、万が一でもそこに割拠されたら困る。その万が一、の場合も討伐しやすい近場に国を替えたのである。もっとも実際に陳留王が自身の身柄を以て陳留国に赴任することは誰も想定していない。何太后と何太后の宦官の居る永樂宮に事実上の軟禁となる。
光喜元年六月辛亥。董皇后は急逝した。甥の死から一月後の事である。皇太后は通常夫の陵墓に埋葬されるが、董皇后の夫の墓はここにはない。遺体は冀州河間へ送られた。
そして孤独な少年が一人、残された。




