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一章 2

深淵の少女たち

第一章 二


「あー、また子供生まれちゃったよ!」

 オーバーリアクションでやられたとばかりに赤味がかったショートカットの女の子がぼやく。

「ふふっ、もう五人目だものね。須賀機関長」

 江田がいつもの笑顔で隣に座る五人目の子供ができてしまった彼女に優しく微笑む。

「ボクでもさすがに五人目となると辛いって。ほら養育費とか、車だって乗り切んないじゃない、江田少佐。八人乗りのワゴン車でもチャイルドシートつけたらもう無理じゃないですか」

 自分のことをボクという言葉遣いもあって中性的に見える。須賀と呼ばれた彼女はどうしようかと言葉だけ聞いていれば深刻そうなのだが、表情には表れていない。

「副長でいいわよ、機関長。次はほら湯浅記録員の番だわ」

 江田が今度は反対側にの少女に話しかける。とうの湯浅は背筋をピンと伸ばしたままこれ以上ないほどに緊張している様子だった。これほど姿勢良く座っているのを見るのは江田島の海軍予科学校以来かしら、とまだ幼さが抜けきっていない湯浅の全身を眺める。江田からすればちょうど妹のように小柄で、軍服を着ていなければ今年高校を卒業したと言われれば素直に卒業おめでとう、と賛辞の言葉が出てしまいそうだ。なんといっても栗色のショートボブがそう見させてしまう原因なのだろうか。江田は自身の柔らかくウェーブがかかった金髪を触る。まだ二五歳だが本当にこの艦では自身が最高齢になるという事実は予想以上に『重い』。

 須賀と湯浅の二人だけを見ると本当に高校の教室になったかのようにすら錯覚してしまう。では自分はというと、女教師が適任と言うところだろう。実際、艦長を降ろされたとはいえ最先任ということもあり、この艦内では乗組員のまとめ役を自負していたし、日本中から足を使って集めた母親のようなつもりでいた。その役割だけは艦長よりも絶対に負けないポイントでもあった。


 江田が今回の任務を命じられたとき真っ先に足を大湊に運んで直接説得までして迎えたのだった。端から見れば容姿も言葉遣いも性格も全てがボーイッシュで男勝りだ。だが、一度機関室に入れば機関長の肩書きに恥じない働きを見せる。年頃の女の子だったら絶対になりたがらない機関科で、海軍のみならず陸海空軍併せても機関科の女性というのは驚くほど少ない。その上腕が立つという条件をクリアして、海軍の中でも最も厳しいと言われる潜水艦の機関長を務めるということは並大抵のことではない。

『女性』が絶対条件であり、精神的安定や最高機密を扱える人間かどうかの審査も軍の諜報機関である統合情報隊と米軍の中央情報局日本支部《JCIA》、それに警察庁の公安部の三つの情報機関から審査を行いリストで貰い、その中から照らし合わせて人選を決定した。

 須賀は実はその三つのリストのJCIAのリストの中では要注意と指定されていた。だからこそ大湊という中央から離れた場所で、働きに見合った階級すら与えられず飼い殺しにあっていた。

「どうした副長。湯浅はルーレット回し終わった」

 須賀が怪訝そうな顔でのぞき込んでいる。江田は驚いて後ろにのけぞった。彼女はいつも明るい。本人が底抜けに明るく、それはどこでも変わらなかった。江田は楽しいときでも辛いときでもいつも優しく微笑むようにしていた。その苦労というのは他人から見える部分ではないからこそ、大変なのだ。最初須賀もそうなのかと思ったが、須賀はいつでもどこでもそれが地《じ》なのだ。それが良い面もあれば悪くなるときもある。大湊では上官の理解を得られなかったからこそ、あんな《・・・》ことになっていたのだ。


 須賀の声で隣を見ると対照的に湯浅がわかりやすく落ち込んでいる。どうしたの優しく聞いてみると涙を目尻に溜めて「また一回休み……なんです」と柔らかく抗議してくる。彼女は先ほどから一回休み、ルーレットを回せば最高値の十を出すが、止まるコマはまた一回休みの繰り返しで最下位だ。

「さっきからずっと一回休みのコマに止まってるのですが……。なんかこの人生ゲームおかしくないですか」

 目の前の大きな卓上に置かれたボードゲーム『人生ゲーム』。大東亜戦争の終結後にアメリカより入ってきた、誰でも知っているアメリカ版双六だ。

 あっさりと「でもゲームだから、ね」と、江田はこれをほほえみながら却下した。湯浅も副長の江田にそんなことを言われてしまえば返す言葉もない。

「二歩進んで三歩戻るを本当にやる奴は初めて見たな。湯浅は」

「それ戻ってますわよ」

 大きな机の反対側に足を組んで気むずかしそうに顔をしかめている銀髪のセミロングを持った女性がいい加減呆れたように突っ込む。

「いやいや、同じようなもんだよ。この湯浅っていう奴は、記録員なのに持ってきたデジタル一眼レフなんて電源の入れ方すらわからなかったんだ。今までよく記録員としてやってきたなと驚いたよ」

「その時はすいませんでした」と湯浅も眉を八の字にしてえへへと頭を掻いている。

「全くなんでわたくしがこんなゲームに付き合わなければなりませんの。レポートだってまだ山積みですのに」

 お嬢様言葉のまま勢いよくルーレットを回すとさっさと自身の車をコマに進める。コマの内容を読むちょっとした時間があった後に、パッと顔が明るくなり、ハッと何かに気づいて不機嫌な顔に戻して、何でもありませんわ。と聞き取れないぐらい小さな声で呟いてそっぽを向いてしまう。江田がコマを見ると特別ボーナスと書いてある。リスクは取らずひたすら小銭を稼ぐ鶴舞家の家計は火の車で、そんな鶴舞には願ってもないコマなのだろう。コロコロと感情が表情によくでるのは須賀と同じだがそれが恥ずかしいのかわざと高飛車に振る舞っているところが江田からすれば微笑ましい。

「この任務が終わるまでは嫌でも毎日顔を合わせないといけないのよ。だから突然乗艦することになった湯浅記録員と鶴舞軍医長にはこうして少しでも交流を増やした方がいいと思って、ね」

 江田の勝手な持論だが、人生ゲームをやればその人がわかる。と考えている。都合の良いことに潜水艦内はゲーム機は持ち込めないし、大東亜戦争以前からこうした素朴なトランプなどのゲームが潜水艦乗組員の主な暇つぶしなのは今でも変わらない。まずはやってもらうことでわかる。須賀はもちろん何度もやっているが、だからこそベンチマークとして今回は参加して貰った。

 須賀はいつも通り自由奔放に考えたことをそのまま表現し、鶴舞は須賀と似ている。鶴舞が須賀になんとなく嫌っているようにみえるのは同族嫌悪の類だろう。感情を晒すことが恥ずかしいと思っているのが須賀と決定的に違うし、軍医というプライドというのか何か壁を感じた。湯浅は感情を表に出さないのか、出さないようにしているのかまだわからない。

「そーそー。どーせレポートなんて、これからいっくらでも時間あるんだから好きなときに書けばいいじゃん」

 機関長が早速酒保(しゅほ)から、もらってきたのか飴を口にする。

「わ、わたくしはそんなに暇じゃありませんことよ! 江田少佐が皆さんを紹介するからとお誘いになったからでして」

「あらあら、いいじゃありませんか。鶴舞軍医長。潜水艦に軍医が乗艦されることはほとんどありません。それに湯浅記録員と鶴舞軍医長のお二人とも潜水艦は初めてなんでしょう。早く慣れて頂かないと副長としても困りますよ」

 江田にここまで言われてしまえば、鶴舞も何も言い返せない。鶴舞と湯浅に艦のナンバー二からの思いやりの歓待の場となれば感謝されこそすれ無下にするのも筋違いだ。

「いいですね、軍医殿はやる仕事があって。ボクなんて青森の大湊に引っ込んでいるのに江田少佐が突然やってきてさ、『今度、乗組員全員が女性で構成される潜水艦を秘密裏に進水させる。そこで須賀君。あなたの機関士の腕を見込んで、どうしても来て欲しい』と言われるもんで二つ返事で来たら、これさ。新型動力機関のための実験潜水艦だって? あんなちっぽけなディーゼルエンジンだったらボクじゃなくても誰でもいいじゃないか」

 須賀の働きは誰から見ても申し分ない。特に呉を出港してからの膨大な機関類全てのチェックを驚くべき早さで完了してしまったのだ。言動や行動からは考えにくいが、出港前一人艦に寝泊まりして少しでも機関をベストな状態にできるように夜遅くまで働き、新型動力についても少ない資料の中でその構造を少しでも理解しようとしていたのを江田は知っている。

 まあまあと須賀を子供に諭すように優しく宥《なだ》める江田。隣で成り行きを見ている湯浅も不思議と江田がまあまあと言えば、気持ちが落ちついてしまう。不思議な人だ。

「須賀機関長は江田少佐からこの話を聞いたときは断っても良かったのではないんですか」湯浅が聞いた。

「江田少佐に頭を下げられちゃ断るわけにはいかないさ。以前駆逐艦で一緒の船に乗っていたんだ。その時の恩もあるしね。で、逆に湯浅はなんでこんな賭けみたいな艦に乗ることになったの?」

「そ、それは海軍にとってもこの乗組員全員が女性という潜水艦は日本海軍はもちろん世界にも類がないということです。さらにこのクリスタル動力の潜水艦が成功した暁《あかつき》には世界に向けて大々的に発表するために急遽私が派遣されました」

「一眼レフもまともに使えずボクに聞いてきた人が、世界に向けて?」

「その……広報の中で女性で一番若いのは私しかいなくて」

「ああ、つまり見習いでまだこれからのところを無理矢理乗っけられたんだ」

「つまり、そういうことですかね」

 やっぱりそうなんですよね、と湯浅がまた眉を八の字にして愛想笑いを振りまいている。

「もっと肩の力を抜いて、湯浅さん。あなたがこの艦では階級が一番下だけどそんなに固くならないで。あなたを入れてたった四十名しか乗っていないなんだからね」

「皆さんいいじゃないですか。わたくしなんて、新型のクリスタルが女性乗組員にどのような影響を与えるか観察のためということで突然教授から指示が出たんですよ。確かに海軍病院で潜水艦での健康状態などを研究はしていましたけれども」

「ことわりゃいーじゃん」小声で須賀が呟いたのが鶴舞にはしっかりと聞こえたようで、なんですって。と、鶴舞が反応してしまい、せっかく落ち着いたのに油を差してしまう。

「そもそも潜水艦の乗組員は古今東西どこを探しても志願制なんだから、そこではい、行きます。なんて言わなければよかったんじゃねーの。言ったんだろ。行きますって。え、軍医さん?」

 鶴舞が怒りにまかせて立ち上がったが、何か口をもごつかせているばかりだ。見かねた江田が水を向ける。

「まあまあ。出港してようやく瀬戸内海を抜けたところなんだから、まだまだこれからが本番よ」

 そのときだった。

 突如、耳をつんざくような電鈴音が鳴り響いた。

「これは訓練である。第七区画機関室から浸水。至急全水密扉を締め防水にあたれ」

 凛とした艦長の声が艦内に響きわたった。江田と須賀の動きは早かった。驚いて湯浅と鶴舞が立ち上がったときには、既に須賀は機関室に向けて走り出している。第七区画といえば機関室。その長である機関長なのだから一秒でも早く持ち場に戻らねばならない。江田はテーブルの下についている引き出しをあけて卓上のボードゲームを乱暴に叩き込む。

 湯浅はぼんやりと江田がこの人生ゲームあんまり最後までできたことがないのよね。と苦笑いをしていたのを思い出したが、その理由がよくわかった。なるほど、これだと続きをやろうにも誰もそれぞれのステータスなんて覚えていないのだからできない。だから、いつも最初からになってしまうのだろう。てっきり須賀あたりが最下位なのに怒って滅茶苦茶にしてしまうのかと思ったが、どうやら違ったらしい。

「二人は軍医室にいなさい!」

 江田が走りながら器用に湯浅と鶴舞に向けて指示をとばした。バルブやパイプやらいろんなところが出っ張ったりしている通路を器用に走っていく。

 鶴舞と湯浅がその気迫に押されるようには、はい。とうわずった声を上げて二人に与えられた部屋になだれ込んだ。本来なら潜水艦には艦長しか個室を与えられないらしいが、総員が四十名程度と通常の潜水艦の半分の人員しか乗っていないため余裕があるらしく、鶴舞には軍医として部屋を用意されていた。といっても単に二段ベッドとちょっとしたデスクがあるだけだ。湯浅は本来は水兵扱いでここに入れるのはおかしな話だが、お客様扱いで、この艦は全てのベッドが一人一人決まったベッドになっており、ここしか空きがなかったというのもあるらしい。

 扉を閉める前にがちゃがちゃと音を立てて止水用のジャッキやら鉄の楔《くさび》を持って若い女性水兵達が通路を走っていくのが見える。うまいことに二人が扉を少し開けてみているのは誰も気が付かなかったらしい。防水班なのだろう。しかし、手ぶらの兵もいれば荷物を手一杯持たされている子もいる。しかも、なにやらぶつぶつとお互いに文句を言いながらだ。本当にこんな(・・・)のが中華帝国とソビエト連邦の最前線を担う日本海軍の潜水艦なのであろうか。湯浅は不安を隠しきれなかった。

「江田副長は大丈夫って仰っていますけど、本当に大丈夫なんですの……」

 その気持ちは鶴舞も同じだったみたいで、不安げな様子で通路の向こうに消えていった防水班の様子をこっそり眺めていた。

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