一章 3
一章 三
艦長の北郷は左前の液晶パネルと手元の懐中時計を何度も視線を往復させていた。潜航士の肩越しの液晶パネルにはメインのバラストタンク、艦の水平や角度を変えるためのトリムタンク、その他に潜航様に必須のベント弁やフラッドホールを始め潜水艦全体の潜航、浮上や重要な扉や弁といったものの状態を表示し操作する機能が備わっている。それを潜航士とよばれる一人のオペレーターが操作していた。
さらに艦首に向かって一人ゲームセンターのドライブゲームに似た椅子に座って水兵が蝶が羽を広げたようなジョイスティックと呼ばれる金属のハンドルを握っている。ドライブゲームと違う点は、周りにスピーカーやゲームの様子を表示する液晶パネルがないだけだ。代わりに、深度計や角度や艦の水平などを表示する計器が所狭しと並んでいる。本来なら操舵手というのは二人で操作するのが普通なのだが、全員女性という珍しい艦のため人手が不足していることと、新技術の試行ということで一人操舵を採用したらしい。
全長八十メートル、全幅が十メートル近くもあるこの潜水艦をたった二人で全ての動きを操っているのだ。
艦長が立っているところの発令所の中央は少しだけ盛り上がった壇のようになっていて、そこが艦長の定位置となっている。なんでも少しだけでも高いところに配置することで、艦長自身の判断に全てが委ねられているというプレッシャーをかける意味もあるらしい。
液晶パネルには第一から第七まである区画の水密扉が閉鎖されているかどうかを表示している。まだ、そのほとんどが△表示のままだ。
「一番区画閉鎖よし」
発令所にようやく閉鎖完了の声が響いた。
パネルの一番左に一番水密区画と書かれた表示が○になる。すると堰を切った鉄砲水のように次々に報告が入る。
「二番区画閉鎖完了」
「三番区画閉鎖」
「五番区画問題なし」
「六番区画よし」
一つの区画だけは○表示になっていない。四番区画。発令所の後ろで士官や科員のベッド、そしてクリスタル研究員たちがいる研究室があるところだ。
「四番、四番区画どうしたの」
副長がマイクに向かって鋭い声を発する。いつもの温厚な江田からは到底想像できない声色だ。雰囲気はそのままだから、発令所の人間は何度見ても慣れていないのか、艦長に見つからないように隠れて顔を見合わせる。
「こちらクリスタル研究室。今研究資材をどかして……四番閉鎖完了です」
向こうの女性兵士の焦りが手に取るようにわかる。制御盤の全ての水密区間が閉じたことを表示する○印が並んだ。
「七番区画、浸水止まりました」
ようやくといっていいほど時間が経ってから、その報告は発令所に届いた。カチリと懐中時計の時間を止めて、艦長は隣の江田を見下ろす。江田も平均的よりも背が高いが、艦長の北郷も負けていない。
「閉鎖にこんなに時間が掛かるなんて前代未聞だ。今頃機関室は浸水。貴様なら承知の上だろうが、艦内の容積に対して五パーセントの水が入ったら再浮上はできないんだ。私はもちろん艦内の全員が死んでいる。江田少佐、貴様は私がここに着任するまで何をし」
そこで突如発令所の照明が落ちた。一瞬液晶パネルのうすらぼんやりした光だけになってしまった。すぐに「電源をバッテリーに切り替えます」と、艦長から見て右側に座る三人の誰かが声を上げた。すぐに灯りは点き戦闘システムや潜水艦のシステムには問題がないらしいことを矢継ぎはやに報告した。
「またか」
話の腰を折られた艦長は渋面を作った。手元にある艦長用の艦内電話のマイクを掴み、機関室への通話スイッチを押した。
「クリスタルはまた不安定か」
「不安定すぎます。とてもじゃありませんが実用には耐えません。本当に潜水隊本部はこれを使って使えるようにしろと命令したんですか」
相手はもちろん機関長である須賀だ。さっきまでのつまらなさそうな声とは裏腹に今は困惑を隠しきれていない。おそらく電話の向こうでも眉をハの字にしているのだろう。珍しい光景だから見てみたいと発令所の人間は思っていた。
呉の潜水隊を出港し、瀬戸内海を過ぎて練習海域に向かうところというのにも関わらず、原子力にも引けを取らないという新動力はどうにも一筋縄ではいかない。この艦に使われているクリスタルは赤子が拗ねるように唐突にぐずるのだ。
従来のディーゼルエンジンもこの艦には積んでいるがあくまで発電用としてしか使えない。動力としては直結しておらず、バッテリーを間に挟んでモーターで艦を動かすことになる。そうなると非力なモーターで動かすとなると水中速力はがた落ちで現在の日本海軍のディーゼル艦なら水中で二十ノットは出るというのにその七割程度しか出せない。これでほぼ最大戦速だ。バッテリーの使用量も考えて動かすとなるとその半分程度だ。これでは大東亜戦争まっただ中の頃の潜水艦と良い勝負だ。下手をすると末期の頃の潜水艦の方が水中速力は速いぐらいだ。
悪い話はこれだけですまない。バッテリーもクリスタルがあるから大丈夫だということで削減されてモーターで艦を動かすとあっという間に無くなってしまう。そうなればバッテリー航行をしてはすぐに浮上してシュノーケルを海面に出して充電をしなくてはならない。およそ大東亜戦争から五十年近く立っているとは思えない次世代新型潜水艦だ。
クリスタルに手を出したくても、門外漢の須賀にすぐにわかるはずもなく、ふてくされているのもこういった事情もあるのだろう。
クリスタル動力というのはようやく研究室レベルで安定して動かせるようになった段階だというのに、それを極限の環境である軍のしかも、潜水艦の動力として使おうというのがそもそも間違いだ。と、江田も思ってはいた。それを使える状態にして呉に戻ってこいというのも無理難題を通り越して、暴論だ。動かしてみて数時間でその未完成具合はすぐに露呈した。これでクリスタル研究員の五人のチームとわざわざ軍医まで乗せている意味が分かった。艦長にはクリスタル動力での航行は危険すぎるという事で秘かに呉に引き返すことも含めて進言したが、瞬時に却下された。
日本海軍がこのクリスタルにかける期待と焦りを嫌と言うほど江田はわかってしまった。未完成の動力に頼ってしまうほど中華帝国とソビエト連邦の原子力潜水艦は脅威だと思っているのだ。ここで日本海軍としても対抗策を作ってアピールしておかなければ共産主義の防波堤としての意味も、日本海のイニシアチブを取られてしまう。それだけは絶対に許されないことだった。先の海軍内におけるスパイ事件が尾を引いているのかもしれない。
数ヶ月前に沖縄沖の中華帝国との軍事境界線付近で中華帝国の巡視船が境界線を越えてきた事があり、すぐに海軍はスクランブルをかけ飛行機によるインターセプトと日本国境警備隊との共同作戦をはり最終的には銃撃戦になった。今までも幾度も同じような事件はあり日本本土は今回の事件もいつもの日常だと思っていた。海軍省を含む霞ヶ関はそう思っていた。拿捕された一隻に海軍の秘密情報があることが発覚するまでは。
国内は蜂の巣をつついたような事態になり、海軍内や駆逐艦や果ては最高機密の潜水艦内にまでスパイがいることが判明した。さらに中華帝国水兵を尋問したところ日本海軍は中華帝国とソビエトの原子力潜水艦による閉鎖作戦を決行すれば息の根を止めることができると判断し、その思惑は中華帝国軍部の中で主流派になりつつあるという恐ろしい情報も得られた。日本は海軍を含む軍部の大量更迭を行い世保は大将になれた。
日本軍部としてここらで日本の新たな力を示す必要がある。温めておいた世保のプランがこのクリスタル実験艦なのだ。
そんな海軍としても厳しい情勢の中で艦長としても日本に呼び出されておめおめとすぐに諦めて帰ってくるようでは許されるはずがない。それに北郷一族の名が、これからの将来にキズが付くのは避けられない。
「須賀機関長。貴様が疑問に思うことはない。あとで艦長室に報告にくるよう」
イエス、マム。と須賀の肩を落とした声が耳に残る。ディーゼルとガソリンエンジンならまかせてくれと豪語してやまない彼女もクリスタルという新動力には手も足もでないらしい。
「艦長。防水訓練についてはもう一度、艦内全ての設備を確認の上、達成するまで訓練を致します」
通信を終えると江田が進言したが、
「もういい。訓練終了。潜望鏡深度のち、バッテリーを充電しつつ潜水隊本部に連絡。江田副長あとは任せた。それからクリスタル研究科長の小湊を艦長室に来るよう連絡しておけ」
発令所から北郷は操艦を江田に任せると発令所を後にした。士官室を通り抜け、艦長室の前に立ったところで、思い出したように後ろを向いた。艦長室と軍医室は通路を挟んだ反対側にあるのだ。鶴舞と湯浅が縮こまって早く艦長が部屋に入らないかドキドキして軍医室から聞き耳を立てているのをしってか知らずか、
「鶴舞軍医長と湯浅記録員。これから小湊研究科長と須賀機関長によるクリスタル動力についてブリーフィングを始める。貴様らも参加しないか」
お誘いに似た呼び出しだ。鶴舞が扉越しでどう返事しようか悩んでいるところ、湯浅がいきなり扉を開け放った。
「ぜひ、お願いします。私、ぜんぜんクリスタルについて知らないんです!」
湯浅の瞳はマンガのようにキラキラ輝かせて、顔にはしっかり聞きたいですと書いてある。
「それでは艦長室では手狭だから士官室でやろう。二人が来たら待ってくれるよう伝えてくれ」
そう言い残して艦長は自室に一度入っていった。
2p版
2013年7月27日 2版改稿




