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一章 1

深淵の少女たち



第一章 一

 潜航中の潜水艦内というのは想像以上に寒いものだ。海の中に囲まれているということもあるが、海水の温度で艦内の室温が左右されていたのは大東亜戦争の頃までの話で二一世紀を目前に控えた現代では戦闘・制御系コンピューターをエアコンで強制冷却しなければならない。そうすると必然的に機械に合わせることになってしまい、人間としてはいつも肌寒い思いをすることになる。

 一人の少女が狭い通路を器用に駆けていく。目的の入り口に立ち止まって左右に視線を走らせる。肩の高さぐらいの位置にまだ貼って間もない機関室と書かれたプレートが照明にさらされて薄く反射している。中を覗くと機関室という名前に恥じないディーゼルエンジンがこれでもかと言わんばかりに威圧感を放っている。まるっと部屋一つ分もある巨体《エンジン》は次の始動を静かに待っている。

 彼女が水密扉の段差に足をかけて機関室に踏み入れたときに足下に柔らかい感触をおぼえた。死角になって見えなかったがツナギのような服を着た少女が倒れている。肩が上下しているから死んではいないのだろう。右手の傍にはレンチが転がっていて蛍光灯の冷たい光を鈍く反射している。 

 彼女は道に転がる石を見たように一瞥《いちべつ》をくれた後、何事もなかったように跨ぐと、巨大なエンジンの横を通り過ぎると箱といったほうがピッタリと思うほど小さな部屋があった。大き目の浴室といったぐらいだ。頑丈そうな鉄の扉には高出力レーザーに注意と関係者以外立ち入り厳禁というプレートが下がっている。彼女は迷うことなく扉に近づいて小さなガラス窓から中を覗き込んだ。今は動いていないのか部屋の中はやや薄暗いままだ。部屋の中心には水晶のようにキラキラと輝くコブシ大の紅《あか》い水晶にまず目を引かれた。紅い水晶は理科の実験で使うようなガラス器具の中に入れてあり、一メートルほど離れた所から八方向から銃のようなもので狙われている。おそらく真ん中にガラスに入っているのがクリスタルで周りの銃はレーザー銃なのだろう。ガラス管を目で追っていくと途中から鉄のパイプとなって複雑にいろいろな機械に繋がっている。それ以上は暗いこともあってわからなかった。

 扉の前を通り過ぎると、小部屋の隣には通路に背を向けるような格好で気を失っている二人の女性がいた。二人の前には様々なスイッチやモニターが天井まで続いており、昔の映画で見た宇宙船のような様相だ。とても二人では扱いきれそうになさそうというのが彼女の第一印象だった。近づいても起きないのを念のために確認してから彼女は二人に気にすることなく、迷い無く目の前の制御盤のスイッチをいじり始めた。決められた手順があるのか彼女の動きに淀みなかった。最後にポケットから取り出した粘土状のものを制御盤の奥に貼り付けた。

 彼女は立ち去ろうとしたが、振り返って気を失っているオペレーターを見て動きを止めた。数秒の迷いの後、二人のオペレーターを引きずって安全な場所まで移した。次に彼女が向かったのは艦の中心部である発令所だった。

 一本の狭い通路を何かにせかされるように足早に歩く。途中には水兵のベッドもずらりと並んでいた。それぞれに名前が書いたプレートが掲げてあり、カーテンもピンクやかわいらしいのやら様々だ。ここが潜水艦であるというのを少しでも忘れるため、唯一の個人になれるベッドを飾ったりするのだろう。ちらりちらりとカーテンの隙間から光が漏れているが、誰も起きてくる気配はない。彼女はあまりにも簡単に計画が上手くいっていることで周りへの警戒を疎かにし始めていた。彼女に見つからないように艦内にはもう一人、様子をうかがっている少女がいるとも知らずに。

 発令所に着くと異様な光景が広がっていた。数々のコントロールパネルの前に座っている少女達が机に突っ伏すように倒れていたり、ある者は椅子から転げ落ちていた。中央の司令壇ではいつもいるはずの艦長の姿はなく、発令所のどこを見渡しても姿はなかった。柔らかなウェーブの掛かった金髪をもった副長が崩れるように眠っている。ゆっくりと近づいて見ると副長は片方の手で手すりを掴んでいて最後まで抵抗していたのがわかる。

 足を止めることなく彼女は一つのコントロールパネルに近づき、訓練されたように慣れた手つきで操作をし始めた。潜水艦を目標の座標まで自動で操艦してくれるいわばオートパイロット機能だ。目標の座標を入力し終わると眠っていた艦は静かに生き返り、ごくゆっくりと動き出した。隣のコントロールパネルには海図が表示してあり、これから艦は海図上のある点線に向けて動き出そうとしていた。その点線こそ日本と中華帝国の海上の軍事境界線だった。


「何をしているの」

 艦長室の前で突如声を掛けられた彼女は飛び跳ねるように振り向いた。彼女は幽霊でも見たかと思うほど驚愕に溢れていた。

「まさか、スパイがあなたとは、ね」

 声の主は照明の合間で顔ははっきりとわからない。悠然と歩み寄ってくる。その間に冷静さを取り戻して、ポケットから小さなマッチ箱ぐらいの大きさの箱を取り出した。

「残念ながらもう計画は最終段階まで来ているんですよ」

 そのマッチ箱の形をした発信器のボタンを迷うことなく押した。

 ドンッとどこかではじけるような音が響き、キンと遅れて耳に圧力を感じる。どこかで何かが炸裂したようだ。

「もうこの潜水艦は止まらない。止められるものなら止めてみなさい」



―― 一ヶ月前

「お言葉ですが、今回の任務は私が艦長をやらせて頂けるはずではありませんでしたか、世保《よやす》大将」

 霞ヶ関にある海軍省の大将の執務室は赤い毛足の長い絨毯が敷き詰めてあった。世保が座っている前には大きな机があり、手を前に組んだまま静かに座っていた。他には潜水艦隊司令の中将、場違いといわれても仕方がない少佐の、しかも金髪の女性が机の前に休めの姿勢のまま立ち尽くしていた。普段なら軽くウェーブした金髪と丸眼鏡、あとはその人柄からにじみ出る優しさからは想像もできないほど彼女はきつく唇をかんでいた。

「江田少佐。確かに今回の任務は君に極秘裏に動いてもらっていたことは重々わかっている。厳しい制約の中、日本中からできるだけ若い女性水兵を選び出し、周囲に気づかれぬよう細心の注意を払って女性だけの潜水艦乗組員を構成したことについての苦労も理解しているつもりだ

 大将の口振りはどこか歯切れが悪い。彼女を正視できないのか明後日の方向に何度も行きそうになっている。これほどに怒りを露にしているのは世保も見たことがなかった。海軍学校の入学式で彼女を見て興味が湧き、わざわざ資料を取り寄せてまで調べてみた。その入学式での光景を世保は昨日の事のように思い出すことができる。戦争という単語から一番遠い所にいそうなほど穏やかで、隣の席で争いが始まっても静かに紅茶を飲んであなた達もどう、と逆に自分のペースに飲み込んでしまう事からついたあだ名が『マリアお姉様』で、長身と柔らかくウェーブの掛かった金髪とその絶対領域といえる雰囲気を目に見えてしまうほど醸し出していた。学校卒業後やっていけるのか本気で心配をしたが一人また一人と海軍女性兵士が抜けていく中で、配属された駆逐艦の中でもいつでも笑顔を絶やさず努力を怠らなかった。転機が訪れたのは対馬沖海戦での活躍だった。その功績から江田は二一世紀の海軍を担う新世代の一人として認識され、陰から世保は江田を海軍大学校に推薦し江田を士官の道に誘い込んだ。当時、大学校で教官をしていた世保は江田を娘のように可愛がった。その江田が瞳の奥から燃えるような感情をたぎらせて、ややもすれば飛び掛らんとするばかりだ。

 江田も亡くした親の代わりとして今まで世保を慕ってきた。その彼女が血が滲むほどに拳を強く握り、歯をぐっと噛み締めている。

「……ありがとうございます。しかしそこまで理解していただいているにも関わらずどうして突然このような事態になってしまったのでしょうか」

 江田の口振りは極めて穏やかだが、心の奥底から沸き上がってくる負の感情をどうにか必死に出さないように務めているようにしか見えない。

「海軍学校の時代から私は君がもっとも早く出世し、日本海軍で最初の女性艦長になると思っていた。今回の実験艦での任務こそが君のハレ舞台になるはずだった。そこまでは計画通りだったんだが、いかんせん横やりが入った。一人いたんだ。君と同じように未来を嘱望されていた天才が」

 世保はこれ以上江田を見るに耐えられなくなってしまい、たまらず眼鏡を外して、引き出しからハンカチを取り出してレンズを拭き始めた。

「北郷ですか」

「そうだ。あの北郷一族の一人娘だ。アメリカ海軍が早々に目を付けて海軍学校卒業後そのまま留学にてアナポリスに連れて行かれた。私はてっきりこのままアメリカが引き取るのかと思っていたが、どうやら違ったらしい」

「その北郷中佐が私の代わりに今回の任務では艦長になると、そういうことですね」

 今まで横で黙って聞いていた潜水艦隊司令が初めて口を開いた。

「江田少佐。その辺にしたまえ。決して世保大将も易々とこの人事を承認したわけではない。これは他からどうしても……」

「司令。君も余計なことは言わなくても良い。情報がどうやら漏出した模様だ。今それについては統合情報隊に調べさせている。だが、クリスタル実験艦の進水をこれ以上遅らせるわけにはいかない。一日でも早くソビエト連邦、中華帝国の原子力潜水艦に遅れをとらないようにしなければ日本はその生命線たる制海権が脅かされることになる。ここはすまんが、こらえてくれ」

 大将にここまで言われてしまえば江田もこれ以上は何もいえなくなってしまう。一年近くの時間をかけて数少ない女性海兵を、時には自ら足を運び説得し、根回しをして日本中から集めたプロジェクトチーム三十七名の女性だけの潜水艦をあと一ヶ月後に本格試験航海しなくてはならない。既に旧式のディーゼル潜で練習も始めている。今までの苦労は実験艦の名誉ある処女航海で報われるはずだった。鳶《とんび》に油揚げさらわれるとは、あとたった一ヶ月前になっての突然の艦長の交代劇がまさにそうだろう。

 それから信頼していた世保に裏切られたような悔しいとも哀しいともいう言葉にできない気持ちも多分にあった。

「それからほかにも艦長の北郷中佐に併せて他に数名が乗艦することになった」

「これ以上人を増やすのですか」

 ため息を必死に押しとどめていた。もう個人のベッドまで全て振り分け済みで空いている場所なんてあっただろうかと考えを切り替えせずにはいられないのが口惜しい。

「……圧力というのはいつも一方から掛けられるわけではない。海軍病院と広報からそれぞれ一名ずつだ。どこからの差し金かはわからんが、十分注意して欲しい。まず一名の軍医は海軍病院からすぐに派遣される。そのあと二週間ほど遅れて記録員が、最後に出航数日前にようやく北郷中佐が着任する見通しだ」

 質問は、と世保がジェスチャーをした。なぜ記録員が乗るのか、そもそも海軍の潜水艦に軍医が乗るのは通常ではあり得ない。艦長についてはもっと質問を繰り出したいところだが、江田も世保をこれ以上同じ場所にいたくなかった。詳細については中将から直接江田に指示をすると言われたのを聞いて江田は敬礼をして悲しみと嫉妬、怒りをないまぜになった感情を執務室に置き去りにするようにして執務室を辞去した。

2013年前半に考えたネタナンバー201302と呼んでいた連載小説をようやく第一章をこうしてアップできました。


 目指すは「完結」です! 今まで長編は全て投げてしまって……なんでもありません。がんばります。


 潜水艦について意外に資料が少なく、多くの映画や本を参考にしました。呉にまで取材と称して突撃旅行までしました。その件についてはまた別の機会に小説にいたします。

 呉の護衛艦見学にお会いした方、見ていただけたら幸いです。


 いろいろと現実とは違う点もあるかとは思いますが、最後までお付き合いしていただければ幸いです。

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