第7話 間に合わなかった
――触れられない場所がある。
そう思い知らされたばかりだった。
それでも。
(それでも、やるしかないだろ)
自分に言い聞かせるように、歩く。
放課後の廊下。
ふと、騒がしい声が聞こえた。
「マジでウケるんだけど」
「それな、さすがに引くわ」
笑い声。
でも、どこか刺々しい。
視線の先。
一人の女子が、囲まれていた。
俯いている。
何も言わない。
「ちょっと、やめろよ」
思わず声が出た。
数人の女子がこちらを見る。
「あ? 何」
「関係なくない?」
冷たい視線。
でも、止まれない。
「嫌がってるだろ」
「別にー。遊んでるだけだし」
笑う。
軽いノリ。
でも、空気は重い。
「な?」
囲まれている女子に話を振る。
「……」
返事はない。
ただ、俯いたまま。
「ほら、何も言ってないじゃん」
そう言って、また笑う。
(くそ……)
強引にでも止めるべきか。
でも、ここで揉めたら逆効果になるかもしれない。
少しの沈黙。
やがて、女子たちはつまらなそうにため息をついた。
「もういいや、帰ろ」
「時間の無駄だし」
ぞろぞろと去っていく。
残されたのは――
俯いたままの、その子だけだった。
「……大丈夫か」
近づきすぎないように、声をかける。
返事はない。
「……なあ」
もう一度呼ぶと、ゆっくりと顔が上がった。
目が、虚ろだった。
焦点が合っていない。
「……あ」
声が出る。
何かがおかしい。
「……」
その子は、何も言わずに立ち上がる。
ふらふらと歩き出す。
「おい、どこ行くんだ」
反応はない。
ただ、歩く。
(待てよ……)
嫌な予感がする。
慌てて後を追う。
階段。
屋上へ続く扉。
――鍵が、開いていた。
「……っ」
心臓が跳ねる。
ドアを押し開ける。
風が吹き込む。
そして――
フェンスの向こう側に、立っていた。
「おい!!」
思わず叫ぶ。
その子は、ゆっくりとこちらを振り返る。
表情がない。
まるで、何も感じていないみたいに。
「……やめろ」
足が震える。
一歩、近づく。
「……」
反応はない。
ただ、そこに立っている。
(間に合え……)
頭の中が真っ白になる。
どうする?
どうすればいい?
考えろ。
考えろ。
――催眠。
それしか、ない。
「……こっちを見ろ!」
必死に声を張る。
目が、合う。
その瞬間――
パチン。
指を鳴らす。
「……」
風の音。
心臓の音。
何も、変わらない。
「……っ」
もう一度。
パチン。
反応はない。
(なんでだよ……!)
焦る。
時間がない。
「戻ってこい!」
叫ぶ。
でも。
その子の足が、少しだけ動く。
前に。
「やめろ!!」
走る。
手を伸ばす。
届く距離。
――そのはずだった。
「……」
ほんの一瞬。
その子の足が、宙に浮く。
「……あ」
声にならない声。
時間が、止まったみたいに感じる。
次の瞬間。
――消えた。
「……」
何も聞こえない。
風の音すら、遠い。
ただ、目の前の現実だけが、残る。
「……なんで」
足が動かない。
手が、震える。
「……なんでだよ……」
間に合わなかった。
たった、それだけの事実。
でも、それが全てだった。
――数時間後。
事情を聞かれる。
何を見たのか。
何をしていたのか。
どうして止められなかったのか。
答えられない。
何も。
だって、分からないから。
(俺が……)
もっと早く気づいていれば。
もっと早く動いていれば。
もっと――
催眠が、ちゃんと効いていれば。
意味のない“もし”が、頭の中を埋め尽くす。
夜。
部屋に一人。
ベッドに座ったまま、動けない。
「……俺は」
何のために、この力を持っている?
救うためじゃなかったのか。
それなのに。
一人も、救えなかった。
いや。
目の前で、失った。
「……っ」
拳を握る。
爪が食い込む。
それでも、何も変わらない。
スマホが震える。
見る気にもならない。
でも、画面だけは目に入る。
――美咲。
――由奈。
名前が並んでいる。
「……」
指が、止まる。
返信する資格なんて、あるのか?
そう思う。
でも。
(……それでも)
まだ、生きている人がいる。
まだ、助けられるかもしれない人がいる。
ゆっくりと、スマホを握る。
震える指で、画面を開く。
――間に合わなかった。
その事実は、消えない。
これからも、ずっと残る。
それでも。
それでも――
目を逸らさない。
逃げない。
そう決めたはずだ。
「……次は」
小さく呟く。
「絶対に、間に合わせる」
その言葉は、誓いというより。
祈りに近かった。




