~秋子お姉ちゃんの知らせ3~
「それで、お母さんは?」
「伯母さんと空港に行っている」
兄は、私の知らない秋子お姉ちゃんのことを全部教えてくれた。
高校を卒業して芸大の器楽科に進んだ秋子お姉ちゃんは、大学でアメリカに留学したのをきっかけに卒業後は有名なオーケストラのオーボエ奏者となりアメリカに住むことになった。
卒業の翌年には留学先の大学で同じオーケストラの部員となった友達の紹介で付き合っていた音楽家のアンドリューさんと結婚し、私は東京で行われた結婚式で秋子お姉ちゃんとアンドリューさんに花束をあげた。
音楽と恋愛を両立させ、順風満帆だった秋子お姉ちゃんの幸せは、そう長くは続かなかった。
結婚から二年後、秋子お姉ちゃんは感染症が原因とされる年間十万人に一人しかかからないと言われる神経系の病気にかかった。
そしてその診察中に癌も発見された。
そして去年、演奏のできなくなった秋子お姉ちゃんは自身が最も大切にしていたオーボエを私に託した。
「最初から知っていたの!?」
私はおそらく物心ついてから初めて兄に対して叱るような口調で言った。
秋子お姉ちゃんの苦悩も知らずに、ひとりで浮かれている私が悔しくてたまらなかったから。
兄は正直に答えてくれた。
気がついたのは今年の私の誕生日の後だったと。
誕生日に私が演奏した曲に楽しいメッセージを編集して入れた兄が、そのデータをお母さんに渡したあといったん二階にあがって勉強したあと喉が渇いてキッチンに降りたとき、テーブルに置いたノートパソコンの前で泣いているお母さんを見つけた。
画面には楽しく演奏する私の映像と、効果音や吹き出しのセリフを入れて楽しさをアレンジして入れた映像が流れていた。
誰がどう見ても、涙を流す映像ではない。
何があったのかとお母さんに聞いたとき、お母さんは何でもないと言ってシンクに移動して洗い物を始めた。
そのとき兄はお母さんに秋子さんになにかあったのかと聞くと、洗い物をしていたお母さんは手を止めて、しばらく止まったままでいたあと急にその場に泣き崩れてしまったそうだ。
それで事情を打ち明けてもらい、そのとき初めて秋子お姉ちゃんが病気であることと、今日余命を宣告されたことを知った。
その時点で秋子お姉ちゃんの余命は一カ月とされた。
もう手の施しようもなく、あとは死を迎えるときを待つだけ。
なんどか危ない時もあったらしいが、秋子お姉ちゃんはそのたびに強靱な精神力で乗り越えてきたそうだ。
余命一ヶ月を宣告されたのが五月。
九月の私の運動会の映像を見て、秋子お姉ちゃんは笑ったらしい。
そして今日お昼前に、秋子お姉ちゃんが危篤になった知らせがあり、お母さんは叔母さんたちといっしょにアメリカに飛んだ。
車が車庫に入ってくる音がして、今さら車が家になかったことに気がついた。
お父さんはお母さんを空港まで送っていたらしい。
晩御飯は外で食べた。
いつもは楽しいはずの外食は、この日はとても暗かった。
お父さんは、いま空を飛んでいるお母さんの気持ちを思っているに違いない。
兄は秋子お姉ちゃんのこと。
秋子お姉ちゃんと五歳しか違わない兄は、それだけ秋子お姉ちゃんとの思い出も多い。
そういえば花火大会のときに兄といっしょにいた綺麗な女の人って、どことなく秋子お姉ちゃんと似ている雰囲気を持っている気がした。
そう。
自分が、こうと決めたことは、決してあきらめずに必ずやり抜くような強い意志を持っていると。
その日の夜、私は兄を誘ってロンの散歩に出た。
その日は相模川の河原まで行った。
なぜかとても星がきれいな夜だった。
そこで私は持って来ていた秋子お姉ちゃんのオーボエを演奏した。
秋子お姉ちゃんが私の最初の曲に選んでくれた『白鳥の湖』と、秋子お姉ちゃんが「すごい!」と驚いてくれた『風笛』
私には何もできない。
いまこうして演奏している曲も、アメリカの病院のベッドで眠っている秋子お姉ちゃんに届くはずもない。
でも、届けたかった。
どうしても。
『風笛』を演奏し終わり一瞬虚しい気持ちがしそうになったとき、ロンが珍しく遠吠えをした。
遠吠えは、オオカミや犬たちが離れた仲間と連絡を取るために使われる方法。
夜空に吸い込まれて消えそうになる私の音を、ロンの遠吠えが押してアメリカまで届くようにしてくれた。
そんな気がして、遥か彼方にある東の空を三人で見つめていた。




