~気になるロン~
動物病院に定期健診に行ったとき、ロンがあまり私の顔を舐めるので先生に相談してみた。
「犬が人の顔を舐めるのは挨拶みたいなものですよ」と、笑って済まされそうになったので私は、家族にはペロっと舐めるけれど、私の場合は押し倒されてすごく長い間舐め続けるのだと説明した。
先生は真剣に私の話を聞いてくれて、それはロンが私のことが大好きだという愛情表現だということと、お互いにウイルスを感染し合う可能性があるので口の中に舌を入れようとしても決して入れさせないこと。
そして必ず後のケアに、うがい手洗いと洗顔をすることを言い、ロンの頭を撫でながらロンにも言ってくれた。
「どんなに千春ちゃんが好きでも、彼女にはなってもらえないんだから諦めなさい」と。
その言葉を聞いたときに私は何を考えたのか、それとも何も考えていなかったのか自分でもわからないまま、あわてて言った。
「先生。私は、私が結婚するまで、いえ……ロンに彼女ができるまで、ロンの彼女でいてあげていいですか?」と。
先生は、急な私の言葉に驚いた。
そして口に出してしまった私も。
帰り道、お母さんの運転する車の中で、なんであんなことを言ってしまったのだろうと一人で考えていた。
ロンが家に来て、私のせいでロンは怪我した。
そして私のせいで去勢した。
我が家で飼うことでロンは犬として独りぼっち……私でいいのなら、いくらでもロンのためにつくす。
そこまで考えたとき、私の膝の上に頭を乗せていたロンがムクッと起き上がり私の肩に片方の前足を乗せて頬をペロリと舐めた。
舐めたあとは私の胸に頭を押し付けて窓の外をじっと見ていた。
なんだろうと思って、外を見ると小さな子供2人がお父さんらしき人の連れた犬と一緒に走っているのが見えた。
犬を飼う家族の、ごくありふれた光景。
ロンはそれを私に見せたかったのか、私がそれを見ていることをうかがうように私の目を見ていた。
ロンが私に何を伝えたいのか薄っすらとしか分からないが、彼は私たちにいつも何かを伝えたがっていることは分かった。
なんとなく、この前の定期健診以来ロンの元気がないような気がしてならない。
兄に聞いても、お父さんやお母さんに聞いても「いつもと変わりない」と言ってくれるけれど、私にはやっぱりロンのことが気にかかる。
夏休みに吹奏楽部の友達が遊びに来たときも、お利口さんだったロンは、みんなから「賢い」「イケメン」と言われてかわいがってもらった。
ご褒美におやつをあげるとモリモリ食べるし、散歩に行っても元気に走る。
もちろん家族の誰かが帰ってくるたびに、いち早く玄関に出てお迎えも欠かさない。
里沙に相談したら「大人になったんじゃないの?」って言っていたけど、本当に大人になったのかな?
なんだか私には最近のロンの態度がつまらなく思えて仕方がない。
一緒に住んでいる家族がそろって「変わりがない」と思っているのに私だけ違和感を覚えているということは、ひょっとして私自身になにか問題があるのかなと考えてみたけれど、なにも思い浮かばなかった。
いや……ひとつだけ気になることを思い出す。
それは最近、ロンは私のことを押し倒さないし、キスも頬を軽くなめるだけだ。
「嫌われたのかな」
でも、なんで?
私はロンに聞いてみた
「ロン?私のこと嫌いにならないで」と。
ロンは、そのときも私の頬を何回か舐めてくれただけだった。
夏休みの宿題の読書感想文を書くために私が選んだ本は川端康成の「古都」
お話は、赤ん坊の時に老舗呉服問屋の前に捨てられて、そこの夫婦の子どもとして大切に育てられた千恵子と、捨てられずに北山杉の林業の村で育てられた双子の苗子とが出会って、そして分かれる物語。
京都の四季折々の風情の鮮やかさを惜しげもなく盛り込まれた中に、今の二人の身分の違いに会いたい気持ちを我慢してまで、別れを決意する苗子の寂しい心情が描き出されていた。
読み終わって、感想文を書いていた途中でハッと閃くものがあり後ろを振り返った。
私の後ろには、いつものようにロンが暇そうに寝転んでいた。
私は腰掛けていた椅子から飛び出すとすぐにロンを抱いた。
きっとロンはロンなりに身分の違いや、病気なんかが移る心配をして私と距離を置いていたのではないだろうかと思った。
距離を置かれたのは私だけだから、家族には分からない。
飼い始めて、私の不注意でロンを事故に合わせてしまった時、兄はロンの知能が4歳くらいしかないと言ったが、私が気づかないでいたことをちゃんとロンは気が付いて、それを表に出さずに隠していたのだから私なんかよりずっと賢い。
気がついてあげられなくて、ロンに一人だけ寂しい思いをさせてしまったことを泣きながら詫びた。
そしてロンに言った。
「私が大人になって、誰かのお嫁さんになるまではずっと私の彼氏でいてね」と。
ロンは泣いている私を宥めるように優しく私の目からあふれ出る涙を舐めとってくれていた。




