↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「君の仕事はガラクタ直し」と婚約破棄されたので、声を失った公爵の蓄音機を修理します  作者: はてなるあてな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/18

第5話 直したのは私、売ったのはあなた

 封書を読み終えても、私はしばらく紙を置けなかった。


 ベルネットの名で仕事を引き受けないこと。

 侯爵家の工房から持ち出した道具を返却すること。

 同家の技術を外部へ漏らさないこと。


 末尾には、三日以内に返答を、とあった。

 婚約解消の話ではなく、私が何かを盗んだかのような書き方だった。


「道具は、母の物です」


 声が思ったより大きく出た。

 公爵は私を見たが、すぐに何かを書こうとはしなかった。

 その沈黙で、私は言葉を続けられた。


「婚約中、侯爵家で直し物をしていました。部屋は借りました。でも工具は、自分で持っていったんです」


 作業台の引き出しを開ける。

 握りの黒ずんだやすり。刃の小さい鏨。先が曲がった古い鑷子。

 母は柄の底に、短い線を二本入れていた。弟子時代に道具を取り違えないためにつけた印だ。


 公爵は一つを手に取りたそうにして、私を見た。

 私がうなずくと、布を敷いた上へそっと置いた。


『購入の記録や、持ち込む前の記録はありますか』


「母の注文帳があります。ほかにも、これを研いでくれる職人さんが」


 何が手元にあるか数えると、胸のざわつきが少し収まった。

 封書に書かれたことが、そのまま事実になるわけではない。


 けれど、最後の一文で指が止まる。


『当家の音響装置に関する製作工程を外部に開示しないよう』


 公爵の視線が、その行へ落ちた。

 私は紙を伏せた。


「その装置のことは、お話しできません。持ち主の許可なく、中の仕組みを他のお客様に伝えたくありません」


 彼は、すぐにうなずいた。

 詮索されなかったことが、ありがたかった。


「ただ、侯爵家の技術と呼ばれている物の中には、私が直した物もあります」


 幼い頃から、母の横で修理を覚えた。

 家の機械が動かなくなるたび、ユーグ様は私を呼んだ。

 最初は頼ってもらうのがうれしかった。

 いつからか、人前では使用人が修理したことになり、そのあとには侯爵家の工房の成果として紹介されるようになった。


「私も、訂正しなかったんです。いずれ同じ家になるのだから、それでいいと」


 口にすると、恥ずかしかった。

 誰かに決められただけではない。

 私自身も、自分の名前を後回しにしていた。


 公爵が鉛筆を置いた。

 何かを選ぶように、書いては消す。

 手帳がこちらへ向く。


『いま、違うと言ってよいのではありませんか』


 私は目を閉じた。

 叱られるより、ずっと苦しかった。

 その分だけ、うれしかった。


     *


 翌朝、私は職人組合へ行った。

 公爵は同行を申し出たが、まずは自分の説明を聞いてもらいたかったので、店で待っていただいた。

 公爵の圧力ではなく、私の仕事の話として。


 窓口の年配の女性は、封書と工具の注文帳を見比べた。


「侯爵家に返す品の一覧は?」

「添えられていません」

「では、先に何を返せというのか聞きましょう。あなたも、持ち出した物を全部書いて」


 私は鞄の中の工具を一本ずつ並べた。

 一覧にすると、豪華な品は一つもなかった。

 母の物と、母が死んでから自分で買い足した物。

 侯爵家から借りた細工台は、婚約を解消した日にその部屋へ残してきた。

 借りた物まで、自分の物だと言いたいのではなかった。部屋も灯りも使わせてもらった。そのことは、そのこととして書く。相手が全部を奪おうとしたからといって、私まで全部を自分の成果だと言い張りたくはない。

 紙の上で一つずつ分けていくと、どこを譲れないのかも、はっきりしてきた。


「修理をした記録は?」


 私はもう一冊、薄い帳面を出した。

 品名、故障箇所、使った部品、日付。

 料金の欄だけ、ほとんどが空白だった。


 窓口の女性の眉が上がる。


「お代は?」

「部品代だけ、あとでいただくことになっていた物もあって」

「もらった?」


 私は首を振った。

 母の遺したお金を、少しずつ使っていた。

 将来同じ家になるのだからと、自分に言い聞かせながら。


「あなたが何を請求したいか、ここを決めてから話しましょう」


 女性は叱らず、白い紙を出した。

 返してほしい物。支払ってほしい費用。訂正してほしい名義。

 三つの欄ができた。


 私はそこへ、少しずつ書き込んだ。

 ただ腹を立てているだけでは、相手に何を求めるか伝わらない。


 店へ戻ると、公爵が戸口で待っていた。

 手には二つ目の焼き菓子の包み――ではなく、茶葉店で借りた箒がある。


「どうなさったんですか」


 彼は足元を指した。

 雨どいから落ちた枯れ葉が、店の前に積もっていた。


『待つだけでは、落ち着かなかったので』


 私は危うく泣きそうになった。

 大きな力で、私に代わって片づけるのではない。

 私が帰ってくる場所の、小さな掃除をしてくれている。


「箒も、順番に貸し出しですか」


 冗談を言うと、彼がうなずいた。

 サラさんに手間賃を請求されるかもしれない、と手帳に書く。


 私は持ち帰った紙を机に広げた。

 そこには初めて、自分の名前で請求したいことが並んでいた。


 封書の返答期限まで、あと二日。

 今度は、何も言わずにうなずくつもりはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。