↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「君の仕事はガラクタ直し」と婚約破棄されたので、声を失った公爵の蓄音機を修理します  作者: はてなるあてな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/18

第4話 一文字の返事と、二人分の焼き菓子

 鈴の修理に、私は六日かけた。

 実際に工具を当てていた時間は、半刻にもならない。

 その半刻を取るのが難しかった。


 扉の蝶番を調整していると時計のお客様が来て、昼食の前に針を磨いていると配達が来る。夕方には、取れた金具を拾うためだけに床を這う羽目になった。

 ようやく鈴が鳴った時、隣からサラさんが顔を出した。


「直ったの?」

「たぶん。もう一回、開けていただけますか」


 鳴った。

 閉めて、また開ける。

 鳴った。


「おめでとう。じゃあ、ついでにこれも」


 彼女が持ってきたのは、茶葉を量る秤だった。

 片方の皿が傾いている。


「無料のお祝いではないわよ。いつものお客として頼みたいの」


 私は受け取り票を出した。

 隣人だからと料金を曖昧にしかけた口を、そっと閉じる。


「部品を見てから、お見積もりします」

「よろしく」


 その時、直したばかりの鈴が鳴った。

 公爵が戸口に立っていた。

 約束の曜日は明日だ。


「あ、今日は――」


 彼は小さな包みと手帳を、順に持ち上げた。


『修理の依頼ではありません』


 サラさんが私を見た。

 それから彼を見て、秤の見積もりは明日でいいわと言った。

 その声が妙に弾んでいるのは、気のせいだと思うことにした。


 公爵の包みには、焼き菓子が二つ入っていた。

 薄い紙の上に、砂糖をまとった小さな輪。


『市場の角で、焼きたてだと言われました』

「ご自分で買われたんですか」


 彼はうなずいた。

 後ろのノエルさんが、ほんの少し胸を張っている。


『注文を書いている間に、売り切れそうになりました』


 私はすぐに、あの店の忙しい朝を思い浮かべた。

 焼けた天板が出ると、道まで人があふれる。


「次は、数を指で示しても伝わりますよ」


 公爵は片手を上げ、指を二本立てた。

 私は笑ってしまった。


「そうです。……いえ、私が注文を取ってどうするんでしょう」


 彼も肩を揺らした。

 笑う時、左の目尻が先に下がる。

 そんなことを覚えている自分に気づき、私は急いで湯を沸かしに行った。


 サラさんの茶葉を二杯分。

 欠けていない茶器も、二つある。

 母の残した揃いの器を棚から出すと、ひどく改まったことをしている気がした。


「ノエルさんの分も――」

「私は外で馬を見てまいります」


 返事が早かった。

 馬車の馬は御者が見ているはずだが、呼び止める間もなく扉が閉まる。

 鈴が鳴って、店が二人きりになった。


 公爵は作業台の前で立っていた。

 丸椅子を出そうとすると、彼は私の手元の秤を指した。


『続けてください。邪魔をしに来たのではありません』


「お茶の間だけでしたら。金属の粉が飛びますから、お菓子は向こうへ」


 私たちは窓辺の細長い台へ移った。

 焼き菓子は、まだ指先に温かかった。


「公爵様は、甘い物がお好きなんですね」


 彼は手帳を開き、何かを長く書こうとした。

 それから私を見て、筆先を止めた。

 新しい頁の真ん中に、一文字だけ。


『はい』


 飾りのない返事だった。

 私はほっとして、自分も輪の菓子をひと口かじった。


「私もです」


 好きな物を尋ねられて、試されていると思わなかったのは久しぶりだった。

 手帳を横へ置いている間、彼は何も説明しなくてよい顔をしていた。私は菓子の紙を小さく折り、お茶を注ぎ足した。会話が途切れても、その時間を埋めるためだけの質問を探さずに済んだ。

 窓の外を荷車が通り、二人で同じ音へ目を向ける。それだけでも、一緒に過ごしているのだと分かった。

 侯爵家の宴では、砂糖を多く使う菓子を選ぶと子どもっぽいと言われ、苦い物を選べば分かったふりだと笑われた。

 公爵は私が何を選ぶかより、菓子が焼けている中心の方を気にしていた。

 そこが、いちばんおいしいのだ。


 お茶を飲んでいるうちに、私は秤の話をした。

 どうして片方だけが傾くのか、見当はついている。けれど、安い部品に替えると皿の重さが変わる。


「直すより、代わりの品を買った方が安いことも多いんです」


 彼はうなずいた。

 手帳を私の方へ寄せる。


『それでも、残したい物があります』


「はい。でも、持ち主が替えると決めたら、それも止めたくなくて」


 私の母は何でも直した。

 使わなくなった道具まで取っておくから、家を片づける時は泣くより先に疲れた。

 思い出は大切だ。でも、すべてを持っていける人ばかりではない。


 公爵はしばらく考えた。


『あなたが、私の母の録音を全部直せると言わなかった理由が、分かった気がします』


 顔が熱くなる。

 腕の良さをほめられるより、その言葉の方がうれしかった。


 戸口の鈴が鳴った。

 今度は客ではなく、配達の少年だった。


「ベルネットさん、侯爵家から。受け取りの印を」


 卓上の甘い香りに、冷たいものが混じった気がした。

 ユーグ様の家の封蝋。


 手を伸ばしかけた私の横で、公爵が立った。

 けれど、封書には触れなかった。


『開ける間、席を外しましょうか』


 私はその字を読んで、ゆっくり息を吸った。


「いいえ。いていただけますか」


 彼はうなずいた。

 ただ隣の椅子に座り直し、私が封を切るまで待ってくれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。