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「君の仕事はガラクタ直し」と婚約破棄されたので、声を失った公爵の蓄音機を修理します  作者: はてなるあてな


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12/18

第12話 完全には、戻りません

 円盤の白い帯は、拭いても消えない。

 私は拭くための布を、箱へ戻した。

 表面の汚れではなく、音を刻んだ溝そのものが、削れているのだ。


 目覚まし時計を返した翌日、追加の調査を終えた。

 これ以上、針を重くして残りを拾おうとすれば、まだ残っている部分まで傷める恐れがある。

 私は報告書の最後に、作業をここで止めると書いた。


 修理師になってから、直ったと言う練習は何度もした。

 戻らないと言う練習は、何度しても足りなかった。

 公爵が来るまでに、私は同じ行を三度読み直した。


     *


 彼は今日は一人で机に座った。

 ノエルさんは通りの馬車で待っている。

 私は円盤を見せ、読める区間と読めない区間を図にした紙を渡した。


「ここから先は、完全には戻りません」


 声が少し硬くなった。

 公爵は紙を受け取ったまま、図を見ていた。


「確認音があったはずの区間は、一部に続いた溝があります。でも、そこから三つの音は拾えません。装置の出した音が録音側に入らなかった可能性もあります」


 私は手順書を並べる。


「鳴っていなかったのか、残らなかったのか。この円盤だけでは、決められません」


 彼が鉛筆を持った。

 最初の一文字を書くまでに、少し時間がかかった。


『止めろ、という声は』


「言葉として確かめられる形では、残っていません」


 公爵の記憶を否定したくなくて、言い方を選んだ。

 彼はあの夜、誰かが叫んだと覚えている。

 でも、私が聞き取れなかった声を、報告書へ書くことはできない。

 手帳の上で、彼の鉛筆が止まった。


『あなたにも、聞こえたらと思いました』


 私はうなずいた。


「私も、聞きたかったです」


 励ましの言葉が、いくつも頭に浮かんだ。

 まだ方法があるかもしれない。

 ほかの職人ならできるかもしれない。

 でも、望みだけを増やして円盤を傷めたくなかった。


「今日、お返しする形でよろしいでしょうか。ほかの方の見立てを求められる時も、この図と所見は使っていただけます」


 公爵は円盤を見た。

 指先を近づけ、触れずに戻す。


『あなたが、止める方がよいと思ったのですね』


「はい」


 返事をすると、彼は報告書の作業終了の欄へ署名した。

 その下に、調査に使うための所見を組合へ渡すことも記す。

 頼まれた物を直しきれなかった私の名前が、すぐ上にあった。

 公爵はそこを避けず、指で紙を押さえて書いた。


『分からないところを、分かるふりで埋めていない。お願いして、よかったです』


 私は礼を言う前に、ひと息吸った。

 泣くような場面ではない。

 彼の方が、ずっと欲しかった音を受け取れなかったのだ。

 それでも、胸の奥が痛いほど温かかった。


     *


 包み直した箱へ手をかけた時、組合からの使いが来た。

 公爵の承諾を取って封を開ける。

 入っていたのは、照会の中間回答と、組合に預けられていた作業票の写しだった。


 当日の納品を受け持った者の欄に、ヴァルデ家の工房の名。

 その前日の欄に、小さな文字で中止申入れとある。

 私は頁をめくった。

 申入れの理由を書いた別紙は、まだ照合中だった。


「ここを、確かめてもらう必要があります」


 公爵も文字を追った。


『止めようとした人が、いたのですか』


「この作業票には、そう書かれています。ただ、装置の何を止める話だったのか、まだ」


 展示の準備なのか、試験なのか。

 誰が申し入れ、誰が続行を決めたのか。

 頁のない部分へ、私たちの欲しい答えを入れてはいけない。


 中止という文字を見た時、ユーグ様の顔が浮かんだ。私はその顔を、紙の上へ重ねないようにした。知っている人への怒りはあっても、まだ知らない事実の代わりにはならない。

 公爵は鉛筆を取った。

 組合へ返す紙に、別紙と担当者への確認を求めると書く。

 私は円盤についての所見を添えた。


 音の失われた場所を、別の音で作り直すことはできない。

 けれど、働いた人が残した紙を探すことはできる。

 私は初めて、この調査が自分の机の外へ続く長さを感じた。

 同時に、全部を自分の手で直す仕事ではないと分かって、少し息がしやすくなった。


 使いを見送ったあと、公爵は箱を抱え直した。

 私は今日の代金と返却の控えを渡す。彼は確認して受け取り、立ち上がりかけてから、もう一度椅子へ腰を下ろした。


『今日は、お茶を飲んで帰ってもよいですか』


「はい。もちろん」


 私は茶缶を開けた。

 今日は焼き菓子を出せる。

 市場で話した蜂蜜の薄い菓子を、朝、買っておいたのだ。


 公爵は皿を見ると、目を細めた。

 それから手帳へ、茶とは関係のないことを書く。


『仕事のない日にも、また会いたいです』


 私は、うれしいです、と答えた。

 今度は鉛筆を落とさなかった。


 円盤の箱は、二人の間から脇の椅子へ移った。

 仕事が終わったあとも、この人はここにいる。

 私も、終わったからといって帰ってほしいとは思わなかった。

 窓の外では、夕方の店じまいが始まっていた。

 私たちは温かい茶を飲みながら、次の休日にどこへ行くかを相談した。

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