第六話 はじめての取り分
浜へ下りる途中で、空馬を連れた男に行き会った。荷鞍だけを載せた馬を見て、私は明朝の仕事が空いているか尋ねた。
「山へ戻る。積んでくるものも決まってる」
「そうですか。ありがとうございます」
男は馬の肩を撫で、綱を引いた。私は横へ避け、通り過ぎる荷鞍を見送った。久蔵が追いついたときには、もう馬は坂を上がっていた。
「浜で探そう。孫七殿の船で、荷を下ろしていた二人はどうだろう。今夜ここへ泊まるなら、朝の支度の前に、少し手を借りられないかな」
「聞いてみますか」
「うん。四十俵を一度に出せるなら、と言っていたから。倉では久蔵に見てもらって、私が浜で受ければ」
歩きながら話すうち、足が速くなった。久蔵に呼び戻され、曲がり角で待った。
浜沿いの家では、軒先に灯りが出始めていた。孫七は岸から荷の覆いを確かめていたが、私たちを見ると、その場へしゃがんで話を聞いた。
「朝のうちに、四十」
「米は揃っています。あちらで頼む運び手を待つと、昼になります」
「昼には風が変わるかもしれん」
孫七は水面を見た。暗くなりかけた湖に、細かな白い筋が走っていた。
「二人に聞くことはできる。だが、ほかの荷が来たら船の支度へ戻す。それまでに終わるか」
孫七に尋ねられ、倉へ続く道を振り返った。歩くだけなら短い。一俵ずつ担いで往復すれば、どれほどかかるのだろう。
「私も一緒に担げば」
「お前を往復する人数へ入れるのはやめとけ」
孫七は私の肩を見て言い、船にいた男を呼んだ。倉の場所を聞くと、男は知っていると頷いた。
「戸を開けて、すぐ渡してくれれば。俵を選ぶところから待つんじゃ、終わりませんよ」
久蔵がその男へ答えた。
「出す分は今夜のうちに決めます。朝は私が倉にいます」
「こちらでは私が受けます。数と印を見るのはできます」
言い添えると、孫七が私を見た。
「その間、運ぶ者を数え直しに戻すなよ」
「倉を出た数と、船で受けた数を、最後に合わせます。途中で戻す俵があったら、別に書きます」
久蔵が頷いた。孫七はもう一人の船乗りも呼び、二人へ刻限と俵数を伝えた。片方が手間賃を尋ねる。
「四十俵で百二十。船の賃とは別だ」
孫七が私たちを見た。二人は返事を待っている。早く引き受けたい気持ちを抑え、私は久蔵へ昼の手配では幾らと聞いた。
「八十文でした。四十増えます」
「船の支度へ戻るまでに、四十俵。その条件で頼みたいです」
久蔵も承知したと答え、ようやく二人が頷いた。
私は懐の紙を出しかけたが、浜ではもう字が見えなかった。額を口の中で繰り返しながら取引先へ戻り、朝に倉を開けてもらう話を済ませた。主人の頼んでいた運び手は使わず、船の二人へ払う。
灯りの下へ紙を広げ、八十文を百二十文へ直した。買付を増やした分の米代と船賃は、家に残る二十俵の分とは分けてある。
「荷全体で四十文増える。それをこちらで全部見ても、まだ残る」
私は向かいの久蔵へ紙を寄せた。
「うちの分だけなら、帰りの船賃は二百文。それに二十俵足した分が百二十文。二軒の売上からは、増えた方を引いています」
「関銭と、両方の浜の手間も入っていますか」
「ここに入れたよ。まだ払っていない分は、父から聞いた額で見ている」
久蔵は一行ずつ追った。私の知らない費用がまた出てくるかと身構えていたが、彼の指は一番下まで来た。
「帰りが延びたときの飯と、泊めてもらう礼を足しましょう。二人で一日、六十文は見ておきたい」
その額を引き、紙を押さえていた指を外した。
「それでも買える。扇屋に渡す値も変えなくていい」
声が大きくなり、奥から主人が顔を出した。私は姿勢を直した。
「四十俵、お願いします」
私が言うと、主人は久蔵へ目を向けた。
「清兵衛から聞いてきた値の内です。その数で、買わせていただきます」
久蔵の返事を受け、主人は米の控えを持ってきた。
運び込んでもらった銭箱を久蔵が開け、代金を数えて渡した。主人は束をほどき、何枚かを灯りへ向ける。二人が銭の縁を確かめている間に、私は倉を開ける刻限と、荷を出す戸口を聞き、明朝の段取りへ書き足した。
泊めてもらった奥の一間へ引っ込む頃には、灯りの周りに虫が集まっていた。
小袖を脱ぐと、母の当てた布が脇に見えた。指で触れてから畳む。横になった床は、家のものより硬かった。
久蔵は隣で、銭の入った袋と書状を確かめていた。
「久蔵」
「はい」
「朝、浜で受ける役、本当に私でいい?」
「やると仰ったではありませんか」
「そうだけど」
久蔵が袋の口を結び、枕元へ置いた。
「家の倉でも数は合っていました。今度も同じようにしてください。途中で戻す俵は別にして、最後は私と合わせます」
「うん」
横になると、板の硬さが肩へ当たった。久蔵はまだ灯りを消さず、こちらを見ている。
「病のあとから、よく理由を聞くようになりましたね」
「前は聞かなかった?」
「ここまででは」
私は母の当て布を指でつまんだ。忘れたと言えば、久蔵はまた母へ話すだろう。
「分かったつもりでやって、また間違えるのが怖いんだと思う」
久蔵はしばらく黙っていた。
「聞かれるのは構いませんよ。今日は、運ぶ者が足りぬと分かったところで相談なさった。あれでよかったんです」
袋を枕元へ寄せ、灯りの方へ身を起こす。
「ただ、朝の役を決めてから、何度もお一人で引き受け直さなくていい。私も孫七殿もおります」
「……うん。朝のことは、今は大丈夫」
「では、寝かせてください」
灯りが消えた。暗闇で顔が緩む。目を閉じても身体だけがまだ揺れていて、私はしばらく、その揺れに任せていた。
*
夜明け前の浜は、昨日とは別の場所に見えた。
店の声も馬の声も遠い。水が岸へ寄せる音だけが、すぐ足元にある。浜の石の上に据えた灯りのそばで、孫七が私を待っていた。
「ここで受けろ。数え終わらんうちに、次へ返事をするなよ」
「分かった」
私は膝の上に紙を置いた。
倉には久蔵がいる。船へ来る米は、あそこで確かめ、縄の印を揃えた四十俵だった。三斗入りの俵を一つ受けるたびに、一本引く。昨夜、久蔵と確かめた段取りを、もう一度頭の中でたどった。
最初の男が、米を担いで来た。
船の者が受け、荷を置く場所へ運ぶ。私は縄の印を見てから短い線を引いた。次の俵が来るまで、紙を膝へ押さえて待った。
道の曲がり角に人影が出る。
男の背に俵があり、その下に、踏ん張った脚がある。岸へ着くと、息をついて一度止まった。船へ渡し、肩を回して、また倉へ向かう。
荷が来る間に、空が明るくなった。
私は五つ数えるごとに線の間を空けた。孫七に呼ばれると、指で最後の線を押さえ、それから顔を上げた。
途中、一俵の縄が緩んだ。
船へ下ろしたとき、藁の端が開いた。孫七が手を入れ、すぐに運び手を呼び戻した。
「これだけ、向こうで巻き直せ」
私は紙へ顔を落とした。今引いた線を一本、斜めに消す。
俵はまた男の背へ戻った。
「二十六」
声に出すと、孫七がこちらを見た。
「今、載ってる分です。戻した一つを引いて」
「分かった」
孫七はそれ以上言わず、ほかの荷へ向き直った。
私は紙を押さえ直した。墨が少し滲んでいた。指で擦らぬよう、端を持った。
やがて、倉からの足音が途切れた。
運び手が一人、肩の布を外して汗を拭っている。私は紙の線を、初めから数え直した。
三十九。
顔を上げると、孫七がこちらを見ていた。
「一つ、まだです。巻き直した分」
「来たぞ」
久蔵が曲がり角を過ぎてきた。その前を歩く男の背に、縄を掛け直した俵があった。
私は腰を浮かせ、俵の通る側を空けた。膝へ戻した紙を、最後の一本が書けるように持ち直す。
最後の俵が渡り、縄の印が見えた。私は一本、線を足した。
「四十。全部、受け取りました」
久蔵が岸から声を返した。
「こちらも四十!」
孫七が覆いを掛けるよう命じ、船乗りが縄を持って動いた。私はその間を抜け、久蔵へ控えを渡す。引き返した一俵も、ちゃんと船にある。紙の線と目の前の荷が揃ったのを、二人で確かめた。
「間に合った」
口に出すと、久蔵が頷いた。荷を運んだ男がそばを通り、私の肩へぽんと手を置いた。
「そこ、空けてくれ。こっちも仕事が残ってる」
私は笑って飛び退いた。
*
帰りは、風を待って途中の浜でもう一晩を過ごした。
借りた一間で、翌朝も動かぬ船の話を聞いた。私は買い手の期日と残りの銭を確かめ、久蔵へ紙を渡した。まだ待てる。せっかく早く積んだのにと思いはしたが、荷は揃っており、風が変われば出られた。
ようやく坂本の浜が見えたときには、船の上で二人して腰を浮かせた。私は孫七に言われる前に座り直した。
浜から知らせを出すと、父の頼んだ者が来た。四十俵が船を離れ、私たちの家へ向かった。受け渡しの終わった控えをしまって立ち上がると、孫七が私の脇の荷を指した。
「それも下ろしてくれ。お前の包みだ」
「あ、はい」
抱えた飯の包みは、行きよりずっと軽かった。
「また乗ってもいいですか」
「今度は、うちの者が幾ら働くかも先に聞いとけ」
笑い声が船の奥から上がった。私は頭を下げ、板を渡った。
家へ着くと、母は私の顔を見てから、足元へ目を落とした。
「草鞋が、だいぶ減ったね」
「歩いたから」
「そうだろうね」
私は、今津で馬を探して歩いた道のことを話しかけた。だが母は、先に足を洗っておいでと言った。私は桶の前へ座り、指の間に入った砂を落とした。
水がすぐに濁った。
桶の向こうを、浜から来た俵が通っていく。表から通り土間を抜け、裏戸から庭へ出て、米倉の前でいったん止まる。父が口と縄の印を確かめてから、中の者へ渡していた。久蔵はその脇で控えを開き、泊まった日数と払った銭を父に伝えている。
私は足を拭いてから、店へ上がった。
扇屋が引き取りに来たのは、その日の午後だった。
主人は米を少し掌へ載せ、父と話した。私は脇で、自分の控えを押さえていた。
「これなら、よい」
白い眉が、わずかに上がった。
米は十俵ずつ、二軒へ渡った。倉に残った二十俵が、うちの分だった。十俵の代金は二貫七百文。父は受け取った銭を久蔵と確かめ、まだ受け取らぬ分は、払われる日とともに控えへ残した。
帰り際、扇屋が私を呼んだ。
「次も今津の話があれば、聞かせてくれ」
「はい。今度は、どれくらい置いておく米が御入り用ですか」
「まだ今度の分も売っておらんわ」
扇屋が笑った。私も笑い、すみませんと頭を下げた。
「また聞きに行きます。父とも話してから」
「そうしてくれ」
その返事を、久蔵にも聞いてもらいたかった。振り返ると、彼はほかの客の米を量っていた。私は待つことにして、先に空の俵を片づけた。
夕方、父が私を呼んだ。
机の上に、何日も持ち歩いた紙が広げられていた。今津で払った分、船の者へ渡した分、風を待つ間に使った分まで書き足すと、最初に思ったほど銭は残らなかった。
「二軒へ渡した二十俵。売った分が五千四百文、買った分が四千八百文だ」
「売値と買値の差が六百文。そこから、増えた舟賃の百二十文を引く」
私が指で辿ると、父はその下の行を寄せた。
「ほかに三百二十文。関銭と、両方の浜の荷役、余分に泊まった分。それに久蔵らの手間まで入れてある」
今津で急がせた荷役は、四十俵全体で払った額を、家の分と二軒の分へ分け直してあった。家に残る二十俵の仕入れ代や運び賃は、別の控えにある。
「それで、百六十文」
声に出してから、私は父を見た。頷いてもらい、ようやく紙を押さえる指を離す。船と人の手間を払い、泊まった分も引いて、自分が持ち出した商いから銭が残っていた。
父が小皿から十文を分けた。
「これは、お前の分だ」
「十文、全部?」
「少ないか」
「そうじゃなくて」
差し出した手へ、父が銭を置いた。冷たかった。掌を傾けると、十枚がずれて縁を光らせる。
「頼みを聞いて回った分と、向こうで働いた分だ。久蔵から聞いた」
父は、残った百六十文から十文を引き、店に残す百五十文を書きつけた。
私は久蔵を見た。彼は帳面を棚へ戻し、背を伸ばしていた。こちらの視線に気づいても、いつもどおりの顔をしている。
「ありがとう」
父に言ったのか久蔵に言ったのか、自分でも曖昧になった。もう一度銭を数える。一枚ずつなら薄いのに、重ねると、指でつまめる厚みがあった。
初任給の明細を開いたときも、同じ額を何度も見返した。振り込まれると知っていたはずなのに、実際に自分の名がついた数字を見ると、閉じるのが惜しかった。
奥から母が飯だと呼んだ。
しまうものがなく、私は銭を両手で持ったまま、布を一枚くれないかと頼んだ。母は針箱から藍の端布を出し、包むところを覗き込む。
「もらったの?」
「今度の仕事で」
母が父を見た。父はもう飯を食べ始めていた。
「そう。じゃあ、なくさないようにね」
布の角を重ねて結んだ。脇の当て布と同じ色になった包みを懐へ入れると、胸元に小さな重みができた。
食べながら、孫七が漬物を気に入っていたと話した。母は、だから空で戻ったのかと笑い、今津で何を食べたのか尋ねた。私は米の値から話し始め、食べた物の話を聞いているんだよと遮られた。
清吉が椀を持ったまま、膝をこちらへ向けた。
「ずっと船に乗ってた?」
「浜へも下りたよ。朝はそこで、米を数えてた」
「揺れたか」
「かなり」
「怖かった?」
弟は、少し身を乗り出していた。ここで平気だったと言えば、もう何も聞かないかもしれない。
「最初は、板を渡るだけでも。久蔵の踵を踏みそうになった」
清吉が吹き出し、父に、飯をこぼすなと言われた。お春は話を聞いていたのかいなかったのか、私の袖を引いた。
「その包み、見たい」
「銭の?」
「結んだところ」
懐から出すと、妹は藍の結び目をつまんだ。ほどかないでくれと言うより先に、清吉が私の手を押さえた。
「ここで開けたら、板の間へ落とすぞ」
私は包みを懐へ戻した。清吉はまた船の話を聞きたそうにしていたので、帆が膨らんだときのことを、今度は米の値を交えずに話した。
食後、戸を閉めに戻った久蔵を呼び止め、今津の道順を一か所だけ確かめた。彼の脇には、家へ持ち帰る包みがあった。続けて聞きかけたことは、明日の紙へ書いておく。銭の包みを紙の端へ置くと、久蔵の目がそこへ留まった。
「重しにするんですか」
「ちょうどよくて」
「戸を閉めますから、しまっておきなさい」
私は包みを拾い、懐へ戻した。
久蔵が片方の戸を引いている間に、もう片方へ手を掛けた。二人で戸を合わせると、浜から吹いていた風が止まった。




